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勇者X  作者: 厚揚げどーふ
一章 旅立ち編
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7話 身体の記憶

ギルドを出たアリベルとアレフは、依頼書に記された場所へ向かっていた。

今回の依頼は、村の近くに出没する魔物の討伐。危険度は低く、初心者でも受けられる手頃な依頼だという。


「いやあ、初依頼だな!」


アレフは楽しそうに歩きながら、依頼書を片手でパタパタと揺らした。


「今回の魔物はそんなに強くないらしいぜ。ただ、かなり素早いんだってさ。すぐに逃げちまうから、討伐に手間取ることもあるらしい」

「素早い魔物かあ……」


アリベルは歩みを緩め、考え込んだ。

踏みしめる街道の土の感触や、漂う草の匂いが鼻をくすぐる。

森で暮らしていた頃、すばしっこい生き物なら何度も見てきた。しかし、明確な意思を持って襲ってくる「魔物」を相手に戦った経験は、彼にはほとんどない。


「まあ、やってみないと分からないよね」

「その意気だ! 危なくなったら無理せず下がろうぜ!」


二人は村を離れ、さらに草木が生い茂る獣道へと進んでいった。

やがて、依頼書に書かれていた目的地へたどり着く。

周囲には大人の腰ほどの高さまで伸びた青々とした草が広がり、その向こうには鬱蒼とした木々が立ち並んでいた。

ざあ、と風が吹くたび、無数の草の葉が擦れ合う波のような音が周囲を満たす。

アレフは手で日差しを遮りながら、周囲を見回した。


「この辺にいるはずなんだけどな……」


アリベルも目を凝らす。

しかし、陽炎が揺れる草むらの中に、それらしい姿は見当たらない。


「隠れてるのかな?」

「かもな。こういう魔物は、こっちが見つける前に逃げることもあるらしいし……」


そのときだった。

サッ。

風の音とは違う、不自然な音。草むらの一角が、わずかに揺れた。

アリベルの身体が、本能的にそちらへ向く。


「……何かいる」

「おっ、どこだ?」


アレフが武器に手をかけ、探そうとした――その瞬間。

バサァッ! と激しく草を割り、小さな影が飛び出した。


「うわっ!?」


魔物だった。

小柄な体に、ナイフのように鋭い爪。地面を蹴るたびに、その肉体はまるで弾丸のように跳ねる。

魔物は二人の目の前を恐るべき速度で横切ると、すぐさま直角に方向を変えた。

右へ、左へ、そして木の陰へ。

縦横無尽に疾走する影が緑の波を割り、ちぎれた葉が宙に舞う。その動きは、あまりにも素早かった。


「はっや!? おい、アリベル! 見失うなよ!」


アレフの焦った声が響く。

アリベルは魔物をじっと目で追った。

速い。確かに、常識外れの速度だ。

けれど――恐怖に呑まれるより先に、なぜか魔物の動きが克明に目に入ってきた。

地面を蹴る硬い音。

体の向きが変わる直前の、わずかな重心の傾き。

次に飛び出してくる、草むらの隙間。

ひとつひとつの動きが、なぜか手に取るように分かる。

いや、分かるというより――。

(目が……勝手に追ってる?)

魔物が再び深い草むらに飛び込み、完全に姿を消した。


「どこ行った!?」


アレフが背中合わせになりながら周囲を警戒する。アリベルも辺りを探した。

その直後。

カサリ、とアリベルの真後ろで草を踏みしめる音がした。

振り向く。

そこには、すでに跳躍し、すぐ目の前まで迫っていた魔物の姿があった。

陽光を反射する鋭い爪が、アリベルの視界を覆う。

考える時間など、一瞬たりともなかった。

避けなければ。

そう思ったのかどうかすら、アリベル自身には分からない。

ただ――肉体が、思考を置き去りにして動いた。

湿った土を右足がしっかりと捉え、上半身がわずかに傾く。

次の瞬間、獣の生臭い風とともに、魔物の突進がアリベルの頬のすぐ横を通り抜けていった。

ほんの、わずかな動き。

大きく飛び退く必要も、慌てて腕を振り回す必要もない。最少にして、最適の回避。

魔物の爪は、何もない空間を虚しく切り裂くだけに終わった。


「えっ……?」


アリベル自身が驚くよりも早く、彼の体はすでに次の動作へと遷移していた。

魔物は攻撃を外した勢いのまま、アリベルのすぐ脇を通り抜けようとしている。その進路へ、アリベルの足が無意識に踏み込まれた。

魔物の体勢がガクリと崩れる。

逃げようとする必死の足掻き。しかし、それを完全に先読みした無駄のない重心移動で、アリベルの腕がしなやかに伸びた。

魔物が空中で身をひねる。

普通の人間なら、そこで手をすり抜けられて逃げられていただろう。

しかし、アリベルの動きは魔物の敏捷さに一切遅れなかった。魔物が次に動こうとする未来の座標へ、すでに手のひらが位置していたのだ。

そして――

ドンッ!!

肉と土が衝突する、鈍い音が響き渡った。

魔物の体が地面へと容赦なく叩きつけられる。

一瞬、周囲の草むらが大きく揺れ、やがて、しんと静まり返った。

魔物は、もうピクリとも動かなかった。


「…………」


アリベルは、その場にぽつんと立ち尽くしていた。

自分の両手を見る。

次に、足元の泥を見る。

そして、完全に気絶して倒れた魔物へと視線を落とした。


「……あれ?」


何が起きたのか、頭が追いつかなかった。

魔物が目の前に迫ってきた。

攻撃を避けた。

その後、体を動かした。

明確に覚えているのは、それだけだ。

どう避けたのか。

どうやって魔物の不可視に近い動きを捉えたのか。

どうして逃げようとする魔物を正確に捕まえられたのか。

何ひとつ、言葉では説明できなかった。

ただ、気がついたときには、魔物は地面に転がっていたのだ。


「……倒せた、のかな?」


アリベルがぽつりと呟く。


「お、おい……」


背後から、擦り切れたようなアレフの声がした。

振り返ると、アレフは顎が外れそうなほど目を丸くして立ち尽くしていた。


「今の……お前がやったのか?」

「え? う、うん……たぶん」

「たぶんって何だよ! 目の前でガッツリ見てたのに、速すぎて何が起きたか全然分からなかったぞ!?」


アレフは倒れた魔物に恐る恐る近づき、剣の先で慎重に様子を確かめた。それから、信じられないものを見る目で、もう一度アリベルを振り返る。


「こいつ、ギルドの奴らも手こずるって言ってた素早さなんだぞ? なのに、お前……」

「僕も、よく分からないんだ」


アリベルは困ったように眉を八の字に下げた。


「魔物が飛びかかってきたから、避けようと思って……そしたら、体が勝手に動いて」

「体が勝手に?」

「うん……」


アリベルは自分の手を開いたり、握ったりしてみた。

いつもと変わらない、少し細めの自分の手だ。特別に力が強いわけでもない。

今まで、こんな神業のような動きができるなんて考えたこともなかった。

なのに、さっきの瞬間だけは、まるで何百回も同じ戦闘を繰り返してきたかのように、肉体が迷わず駆動した。

まるで、最初からその戦い方を知っていたかのように。


「……変なの」


アリベルは首をかしげた。

自分の知らない自分が、身体の奥底に潜んでいるような、奇妙な感覚。

けれど、今の彼にその感覚の正体を確かめる方法はなかった。


「ま、まあ! とにかく依頼達成だな!」


アレフがブンブンと頭を振り、気を取り直すように声を張った。


「これで報酬がもらえるぞ! 初依頼、大成功だ!」

「そっか……うん!」


アリベルの顔に、いつもの少年らしい笑顔が戻る。

自分の身に起きた謎は、まだ分からない。けれど、大切な相棒との最初の依頼は無事に達成できた。

今は、それでいい。

二人は討伐の証拠を持ち帰るため、草むらの中で魔物の処理に取りかかった。

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