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勇者X  作者: 厚揚げどーふ
一章 旅立ち編
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28話 交渉

アリベルの身体を操っていた未知の人物から魔鈴を受け取ったアレフは、冷ややかな静寂の中で、しばらくの間その曰く付きの代物を見つめていた。手のひらにすっぽりと収まるほどの小さく可憐なベル。しかし、その小さな金属の器の中には、聞いた者の自我を破壊して意識を深層へと強制的に叩き落とし、魂の抜けた身体を人形のように思い通りに操るという、恐るべき力が宿っている。アレフは手の中で、そのベルを軽く傾けた。

 

チリン。

 

鼓膜を優しく撫でるような、かすかな音色が室内に響く。その美しい音を聞いた瞬間、アレフのいつものお調子者めいた表情がふっと綺麗に消え去った。

 

「……あー、」

 

その口から漏れたのは、アリベルの前で見せるような明るく脳天気な少年の声では決してなかった。低く、地を這うように落ち着いた、冷徹な大人の声音。それはまるで、まったくの別人が同じアレフという少年の肉体を使って、内側から話しているかのようだった。

 

「交渉をしよう、魔鈴」

 

当然、無機物である道具から返事などあるはずもなかった。けれど、アレフはそんな拒絶を一切気にする様子もなく、まるで長年愛用してきた玩具でも弄ぶかのように、細い指先で器用にベルを転がしていた。

 

「お前も、自分自身の本能で薄々分かっているはずだ。いくらその音色を重ねたところで、この俺をどうにかすることは絶対にできない」

 

アレフの言葉に反応したかのように、ベルの黒ずんだ表面に細かく刻まれた古の模様が、不気味にかすかに揺らいだように見えた。アレフは冷酷に目を細める。

 

「お前のその力では、俺の精神の防壁を破ることも、この身体を支配して操ることも絶対にできないんだよ」

 

重苦しい沈黙が広場を支配する。しかし、その張り詰めた沈黙は、アレフの言葉に対する拒絶ではなく、圧倒的な格の違いの前に平伏するしかないことを意味していた。

 

「それでさ」

 

アレフは弄んでいたベルを、指先でグッと力強く握り締めた。

 

「ここでただ朽ち果てるはずだったお前を、俺が救い上げて助けてやる」

 

その絶対的な救済の言葉に、魔鈴の本体が生き物のようにわずかにカタカタと震えた。今度は、霊感を持たないアレフの肉体にもはっきりと伝わってきた。この魔鈴は、アズライト刑務所に封印されるだけの確かな意思を持っている。ただの便利な道具ではない。だからこそ、自分の目的のために交渉するだけの確かな価値があった。

 

「その代わり――お前のその便利な能力を、俺のために貸せ」

 

再び、肺が押し潰されそうなほどの冷ややかな静寂が落ちた。しばらくの猶予の後、魔鈴が自らの意思を表明するように、小さく、哀れに鳴った。

 

チリン。

 

それは、目の前の底知れない少年に対して、取引の条件を恐る恐る問いかけるような音色だった。

 

「条件が気になるか?」

 

アレフは満足そうに口元を歪め、薄く笑った。

 

「何も難しい話じゃないさ。俺がその力を必要としている間だけ、お前の主としてその能力を都合よく使わせろ。条件はそれだけだ」

 

魔鈴は再び固まったように沈黙した。力を貸す。それが一体何を意味するのか、長い歴史を生きてきた魔鈴にも分からないはずがなかった。能力を他人に使われれば、自分の誇り高き力は相手のどす黒い目的のために完全に搾取され、行使されることになる。それが、最終的にどんな破滅的な結果につながるのか。魔鈴には想像もつかない。分からないからこそ、正体不明の少年の軍門に降るような真似を、簡単に承諾するわけにはいかなかった。

 

だが。ここで断ったところで、自分に一体何ができるというのだ。目の前に立つアレフには、魔鈴の絶対的な能力が何一つとして通用しない。意識を深層へ落とすことも、その頑強な身体を支配することもできないのだ。そして、もしこの交渉を蹴れば、この冷酷な少年が自分をどれほど無残に扱うつもりなのかも、まだ全く分からなかった。魔鈴に残された選択肢は、最初からほとんど残されていなかったのだ。

 

やがて。

 

チリン。

 

降伏を告げるように、魔鈴が静かに鳴った。アレフはその従順な音を聞くと、我が意を得たりとばかりに満足そうに目を細めた。

 

「話が早くて助かるよ」

 

ここに、人間と危険な魔具との狂った交渉は成立した。アレフは本物の魔鈴を片手にしっかりと持ったまま、空いているもう片方の手を顔の高さまで持ち上げた。そして、その細い指先を、そっと自分の胸元へと向ける。

 

そして。

 

アレフが小さく念じると、その指先から、一滴の鮮烈な血がポツリと滴り落ちた。赤い雫が、手のひらの上でじわじわと不気味に広がっていく。アレフはそれを見つめながら、静かに、だが確信を込めて呟いた。

 

「さて……これでいい」

 

手のひらに落ちた血が、まるでそれ自体が独自の意思を持つ生き物のように、ドロドロと形を変えて変質していった。細く伸び、複雑に折り重なり、重力に逆らいながら少しずつ立体的な輪郭を作り上げていく。赤い液体だったはずのものが、瞬く間に冷たい金属のような鈍い光沢を帯びていく。小さなベルの形。表面に細微に刻まれた古の模様に至るまで、今まさに左手に握っている本物の魔鈴と全く同じように、寸分の狂いもなく再現されていく。

 

やがて、血の塊は完全に固まり、もう一つの魔鈴が手のひらの上に完成した。見た目は、どこからどう見てもまったく同じだった。大きさも、色合いも、刻まれた模様の深ささえも。一国の鑑定士を連れてきたところで、この二つの違いを見つけることは極めて困難だろう。アレフは左右の手にある二つのベルを見比べた。

 

「うん。我ながら上出来だ」

 

片方の本物を軽く揺らす。

 

チリン。

 

もう片方の、血から生み出した偽物も同じように揺らす。

 

チリン。

 

部屋の中に、寸分違わぬまったく同じ美しい音色が響き渡った。アレフは、自らの血から作り出した偽物の魔鈴を右手のひらに乗せ、本物の魔鈴をもう片方の手の中にしっかりと隠し持った。そして、誰も動かなくなった周囲の光景を、確認のため一度だけ鋭い視線で見回す。

 

誰も見ていない。少なくとも、この無残に全滅した地上には。

 

アレフは右手に偽物を無造作に持ったまま、何事もなかったかのような普段の軽い足取りで歩き始めた。その歩行の途中で、彼は左手の本物の魔鈴を、そっと衣服の胸元へと深くしまい込んだ。衣服の内側の暗がりに隠された本物のベルは、もう外からは絶対に見えない。残されたのは、アレフの血から作られた、もう一つの魔鈴だけだった。アレフはそれ以上何も語らず、静かにその場を去っていった。

 

     *

 

しかし、その誰も見ていないはずの騙し合いの様子を、はるか上空から凝視している者がいた。

 

放送局の建物の高い屋根の上。雲に隠れた冷たい夜空を背にして、禍々しい黒い翼を持つ不気味な人物が、闇に溶け込むように身を潜めていた。その鋭い視線は、地上でアレフが行った一挙手一投足を、瞬きすら惜しむように完璧に追っていた。

 

アリベルの肉体から魔鈴を受け取ったこと。普段とは違う低い声で、道具相手に何かを不気味に語りかけていたこと。そして何より、自らの血を媒介にして、もう一つの完璧な魔鈴を錬成してみせたこと。そのすべてを、屋根の上の人物は克明に目撃していた。

 

黒い翼の人物は、細い目をさらに鋭く細めた。アレフが誰にも見られぬように胸元へと大切にしまい込んだもの。あれこそが、本物の魔鈴だ。そう判断するには、今しがた繰り広げられた光景はあまりにも十分すぎる決定的な証拠だった。

 

やがて、偽物をぶら下げたアレフの小さな後ろ姿が、夜霧の向こうへと遠ざかっていく。黒い翼の人物は、気配を完全に消したまま、バサリと音もなく巨大な翼を広げた。冷たい夜風が、不吉な黒い羽根を大きく揺らす。その人物は、しばらくの間、アレフが去っていった暗い方向をじっと見つめ続けていた。

 

そして。

 

誰の耳にも届かないほどに小さく微かな、掠れた声で、静かに呟いた。

 

「……なるほど」

魔鈴の見た目は小さなハンドベルです

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