19話 王都に響く音
アリベルは、新聞を見つめたまま考え込んでいた。写真に写っていた、あの戦場にはあまりにも不釣り合いなベルのような道具。アレフの話では、魔具とは特別な能力を持った未知の道具のことらしい。ならば、写真の人物が掲げているあの道具も魔具なのだろうか。もしそうなら、そんな危険なものを手にした人物は、一体なぜ王国の騎士たちと戦っているのだろう。どれだけ深く考えても、今の情報だけでは答えは出なかった。
「……やっぱり、直接確かめるしかない」
アリベルは意を決して顔を上げた。今はここで、あれこれと悩んでいる場合ではない。まずはアレフが無事なのか、それをこの目で確かめなければならない。そのためには、何としてでも封鎖されたフォラリスの王都へ入る方法を探さなければならなかった。
*
アリベルは宿場町を歩き回り、必死に街の人々に話を聞いて回った。しかし、返ってくるのは絶望的な情報ばかりだった。フォラリスへ続く主要な街道はすべて頑強に封鎖され、王都へ向かう者は許可がないと、正規の騎士ですら厳しく制限されているらしい。正面から堂々と入るのは不可能な状況だった。
ならば、ほかに抜け道はないだろうか。アリベルは商人から街の簡易的な地図を見せてもらったり、裏道に詳しそうな老人たちに周辺の旧道について尋ねたりしたが、激しい監視の目を潜り抜けて確実に王都へ入れるような方法は一つも見つからなかった。
無情にも時間だけが過ぎていく。焦りばかりが胸の中で募り、アリベルはもどかしさに耐えかねて、何度もフォラリスの方角がある空を振り返った。そのときだった。
――ゴンッ!!
突然、大気を震わせ、地面の底を激しく揺らすような凄まじい轟音が響き渡った。
「な、何だ!?」
「どこだ!? 今の音は!」
街の人々が一斉に怯えた声を上げる。アリベルも背筋に冷たいものが走り、反射的に凄まじい音のした方を振り向いた。フォラリスの方角。そこには、目を疑うような信じられない光景が広がっていた。はるか先で王都を阻んでいたはずの、堅牢な封鎖壁の一部から、黒い煙とともに真っ赤な炎が激しく上がっている。
「……え?」
あまりの事態に、一瞬だけ何が起きたのか理解できなかった。しかし直後、別の場所からも立て続けに鼓膜を破らんばかりの轟音が響いた。
――ゴンッ!!
さらに遠くの空から、地響きを伴ってもう一度。
――ゴォンッ!!
壁のあちこちで断続的に大爆発が起きているのだ。黒煙が天を覆い、逃げ惑う人々の悲鳴と怒号が街中に響き渡った。
「反乱軍だ! 反乱軍が力尽くで壁を破ってるぞ!」
「逃げろ! この街まで巻き込まれるぞ! こっちに来るな!」
パニックに陥った人々が一斉に蜘蛛の子を散らすように走り出した。封鎖されていた巨大な壁が、反乱軍の圧倒的な武力によって今まさに突き破られようとしている。
アリベルは、その破壊の光景を呆然と見つめていた。そして、はっと我に返る。
「……まさか」
凄まじい爆発の光景を前にして、アリベルの脳裏に浮かんだのは、ただ一人の男の姿だった。アレフ。今、あの炎の向こうのフォラリスでは一体何が起きているのだろう。アレフは無事なのだろうか。無鉄砲な彼が、あの凄惨な爆発に巻き込まれてはいないだろうか。
「アレフ……!」
気づけば、アリベルの身体は勝手に走り出していた。恐怖で我先にと逃げ惑う人々の波を激しく押し分け、その流れとは完全に真逆の方向へ。フォラリスの王都へと真っ直ぐ続く崩壊しかけた道を、アリベルは必死に駆けていった。
*
王都へ続く道には、目を覆いたくなるような混乱が広がっていた。壁の一部が完全に破壊されたことで、王国側も封鎖を維持することが完全に難しくなっているらしい。生き残った騎士たちが大声で指示を飛ばし、傷ついた人々は我先にと安全な場所へ逃げていく。その凄まじい混沌の中を、アリベルはさらに奥へと逆方向へ突き進んだ。
「すみません! 通してください!」
押し寄せる人の流れを必死に避け、突き飛ばされそうになりながらも、決して歩みを止めることなく前へ前へと進む。怖くないわけではなかった。耳を劈く爆発音が近くで響くたびに、心臓が跳ね上がり、身体がびくりと恐怖で震える。それでも、今さら引き返すつもりなど微塵もなかった。アレフがあの不穏な王都の中にいる。ただそれだけの理由が、アリベルの足を動かし続けていた。
やがて、アリベルは激しく燃え盛る巨大な壁の近くまでたどり着いた。大きく破損した瓦礫の山には多くの騎士たちが集まり、抜かれた剣を手に混乱の中で人々を誘導している。やはり正面から突破するのは難しそうだった。
アリベルは身を隠しながら、必死に周囲を見回した。すると、騎士たちの視線から少し離れた死角に、壁の一部が自重で崩れてできた小さな隙間があることに気づいた。そこからは激しい炎も上がっておらず、煙に遮られて人の姿もほとんどなかった。
「……あそこなら!」
アリベルは迷わず走った。崩れた頑丈な壁の隙間に身体を滑り込ませ、必死に潜り抜ける。その瞬間、目の前の視界が一気に開けた。
フォラリスの王都。かつて自分が捕らえられ、あの冷酷なアズライト刑務所へ送られる原因となった、因縁の場所。そして今、激しい反乱の渦中で大きく崩壊しようとしている場所。
アリベルは激しく乱れた息を何とか整えながら、鋭い視線で周囲の様子を見渡した。街の至る向こうから、地鳴りのような怒号や、建物の崩落する爆発音が絶え間なく聞こえてくる。けれど、どれだけ目を凝らしても、探しているアレフの姿はどこにも見当たらなかった。
「アレフ、どこにいるんだ……?」
そのときだった。
――ブチッ。
不意に、何かの重々しいスイッチが入ったような奇妙な音が、広大な王都の空間全体に不気味に響き渡った。アリベルは背筋に冷気が走り、ぴたりと動きを止めた。何だ、今の不自然な音は。街のどの方向から聞こえたのかさえも分からない。それはまるで、王都全域に誰かの声を届けるための、巨大な街頭放送装置が起動したかのような不穏な雑音だった。
そして、次の瞬間。
――チリン。
驚くほど澄んだ、美しいベルのような音が街全体に鳴り響いた。アリベルは息を呑み、思わず天を仰ぐように顔を上げた。そのあまりにも場違いなほど綺麗な音色は、凄惨な爆音に包まれた騒然とする王都の空気を冷酷に切り裂くようにして、静かに、そして隅々まで広がっていった。




