18話 新聞の片隅
その夜。
アリベルは、宿のベッドに横になっていた。いつもなら、隣にはアレフがいる。くだらない話をしたり、明日の予定を話したり。時にはアレフの騒がしさに呆れることもあった。けれど、今夜は違う。部屋の中は静まり返り、聞こえるのは窓の外から届く街の音だけだった。
「……」
目を閉じても、なかなか眠れない。アレフは今頃、どうしているだろう。もうフォラリスに着いただろうか。反乱軍との戦いに巻き込まれていないだろうか。考えれば考えるほど、不安が膨らんでいく。
「……大丈夫だよね」
自分に言い聞かせるように呟いた。アレフは明るくて、どんなときでも前向きだ。きっと、今回だってうまくやってくれる。そう信じたい。それでも、頭の中からアレフのことが離れなかった。結局、アリベルはほとんど眠れないまま、朝を迎えた。
*
翌日。アリベルはいつものように店へ向かった。けれど、仕事をしていても、どうしても集中できなかった。そんなとき、店を訪れた客たちの会話が耳に入ってきた。
「フォラリスの反乱、ますますひどくなってるらしいぞ」
「日に日に勢力が増してるんだってな。ガルガドスから派遣された騎士たちも、かなり危ない状況らしい」
「このままじゃ、どうなるか分からんな……」
その言葉を聞いた瞬間、アリベルの手が止まった。ガルガドスの騎士たちも危ない。ということは、フォラリスへ向かったアレフだって, 安全とは限らない。
「……アレフ」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるようだった。昨夜からずっと、心配していた。それなのに、自分はここでいつもどおり仕事をしている。もちろん、アレフが自分で決めたことだ。自分がついていかなかったのも、二人で話し合って決めたことだった。けれど。もし、アレフに何かあったら? そう考えた途端、じっとしていられなくなった。
「すみません! 今日は早退させてください!」
アリベルは店の人に頭を下げた。突然の申し出に驚かれたものの、事情を説明する余裕もない。必要最低限の荷物をまとめると、アリベルは店を飛び出した。向かう先は、馬車の停留所。フォラリスへ戻るために。
*
「お願いします! フォラリスの方まで行けませんか!?」
停留所に着いたアリベルは、出発しようとしていた馬車の御者に必死に頼み込んだ。
「お、おいおい、そんなに慌ててどうしたんだ?」
御者が驚いたように振り返る。その顔を見て、アリベルは目を見開いた。
「あっ……!」
見覚えのある顔だった。
「ん? お前さん……どこかで会ったか?」
「前に、ガルガドスまで乗せてもらったんです!」
「ああ! あの金髪の坊主か!」
御者は、ぽんと手を打った。透き通るような、太陽を思わせる金色の髪。その輝きは、以前に乗せた少年のものと間違えようがなかった。
「また会うとはなあ! で、今度はフォラリスに戻るって?」
「はい! どうしても行かなきゃいけないんです!」
アリベルは真剣な表情で答えた。御者はその顔を見て、少しだけ表情を引き締めた。
「……事情は聞かねえが、今のフォラリスは危ないぞ」
「分かってます。でも、行かないと……!」
「そうかい。なら、行けるところまで乗せてってやる」
御者はそれ以上、理由を尋ねなかった。
「ただし、街の中までは無理だ。今はフォラリスへ入るのも難しくなってるからな」
「それでも大丈夫です! お願いします!」
アリベルは礼を言い、急いで馬車に乗り込んだ。
*
馬車が走り出してから、御者はいつもの調子で話しかけてきた。
「しかし、わざわざ戻るたあ、よっぽど大事な用事があるんだな」
「……友達が、フォラリスにいるんです」
「なるほどな」
御者はそれ以上、深く聞かなかった。代わりに、道中で聞いた噂を教えてくれた。反乱軍は勢力を増し、王国側の抵抗も厳しくなっていること。鎮圧に向かった騎士たちの中にも、行方が分からなくなった者がいること。そして、フォラリスへ通じる道の一部は封鎖され、街へ入ること自体が難しくなっていること。話を聞くたび、アリベルの不安は募っていった。やがて馬車は、フォラリスへ入る手前の街に到着した。
「ここまでだ。ここから先は通れねえ」
御者が告げた。
「……そう、ですか」
アリベルは馬車を降り、フォラリスへ続く道を見つめた。すぐそこにあるはずなのに、今は近づくことすらできない。アレフがどこにいるのかも分からない。何かあったのかどうかさえ、確かめられない。
「くそ……」
焦りと、もどかしさが胸の中で渦巻いた。
「おい、坊主」
御者が声をかけた。
「無茶だけはするなよ。今のあそこは、本当に何が起こるか分からねえ」
「……はい。ありがとうございます」
アリベルは頭を下げた。御者の馬車が遠ざかっていくのを見送ると、すぐに街の中へ向かった。今、自分にできることは情報を集めることだ。アレフの居場所を知る手がかりが、どこかにあるかもしれない。
*
街の中は、フォラリスの異変を受けて落ち着かない様子だった。店先では人々が噂を交わし、街角では何人もの人が掲示板の前に集まっている。アリベルも、その人だかりへと近づいた。掲示板には、反乱についての記事や、王国からの通達、行方不明者に関する情報などが貼り出されていた。その中に、一枚の新聞があった。アリベルは、何気なく目を向けた。そして、
「……ん?」
思わず足を止めた。新聞の中の一ページ。さらに、その隅に小さく掲載された写真。そこには、戦場で戦う多数の騎士たちが写っていた。剣を構える者。盾を掲げる者。その向こうには、混乱する戦場の様子が見える。しかし、アリベルの目を引いたのは、騎士たちではなかった。写真の隅。騎士たちに囲まれるようにして立つ、一人の人間。その手には――ベルのようなものが握られていた。
「……これ、何だろう?」
アリベルは新聞に顔を近づけた。写真は小さく、細部まではよく分からない。それでも、その人物が手にしているものは、戦場で使う武器には見えなかった。ふと、アレフとの会話が頭をよぎる。――魔具。特別な能力を持った道具。便利なものもあれば、危険なものもある。だからこそ、問題を起こした魔具は刑務所に保管されているのだと、アレフは説明していた。アリベルは、もう一度写真を見つめた。
「……これが、魔具……?」
これが魔具なのか、ただの道具なのか、写真だけでは判断できない。けれど、なぜそんなものを持った人物が、騎士たちと戦っているのだろう。そして、この人物は何者なのだろうか。新聞には、写真についての詳しい説明は見当たらなかった。アリベルは記事を最初から読み直そうとした。フォラリスで起きている反乱。急速に広がる勢力。寝返る騎士たち。そして、戦場に現れた謎の道具を持つ人物。それぞれがどうつながっているのか、今のアリベルには分からない。それでも、アレフの無事を確かめるためには、もっと情報を集める必要がある。アリベルは新聞の内容を頭に刻み込むように、何度も写真を見つめた。この小さな写真が、フォラリスで起きている異変を解き明かす手がかりになるのか。それは、まだ誰にも分からなかった。




