1話 旅立ち
本編です。主人公はアリベル・ローライトという名前になりました
「やっ、やめ……」
最近、よく見る夢がある。
夢の中の僕は、いつも決まって「知らない誰か」の身体になっていた。そして目の前には、恐怖に怯えた目を向けてくる見知らぬ誰かがいる。
だが、そんな不気味な夢も、目覚めると霧が晴れるように忘れてしまうのが常だった。
……ん?
なんだか、身体が妙に…重っ
意識が浮上し、うっすらと目を開けた瞬間、視界のすべてを女の子の顔面が埋め尽くしていた。
「わっ……!?」
「あ、目覚めた〜?」
「いや、だから……勝手に部屋に入って来るなって…はぁ……」
心臓をバクバクさせながら身を起こす。いつものやり取りに呆れていると、部屋の扉の向こうから呆れたような声が響いた。
「アリベル〜? ご飯よ……って、ちょっとアクア! 何回言ったらわかるの、アリベルの部屋に勝手に入り浸らないの!」
……これも、我が家のいつもの朝の光景だ。少し心臓に悪いが…
ところで、僕には、大切な家族がいる。
いつも優しく見守ってくれる母のメリア母様。普段は冗談ばかりで場を和ませてくれる父のダート父様。そして、今もベッドの脇でケラケラと笑っている、人魚の――アクア。
本人からは「姉様」と呼ぶように言われているけれど、どうにも気恥ずかしくて少し抵抗がある。
アクア姉様は近くの湖に住んでいるらしいのだが、こうして時々、我が家へふらりと遊びにやってくる。水の中じゃなくても自在に泳げるのだと知ったのは、実はつい最近のことだ。最初に壁の向こうからするりと現れたときは、流石に腰が抜けるほどびっくりした。
「おはようございます、ダート父様」
寝癖を直して食堂へ向かうと、すでに席についていた父様へ声をかけた。
「おお、アリベルか。そこに座るといい。今日のメリアのスープは絶品だぞ」
父様はいつもと変わらない、朗らかな笑顔で迎えてくれた。
朝食の美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。メリア母様が笑顔でスープをよそってくれ、アクア姉様は宙にぷかぷかと浮きながら、こちらをじっと見つめている。
僕はスープを口に運びながら、今朝見た夢のことを頭の隅で無意識に思い出していた。
目覚めた瞬間はあんなに鮮明だった「怯えた目」も、温かいスープを飲み干す頃には、もうどんな顔だったか思い出せなくなっている。家族の温かさに触れていると、あの冷たい夢の感覚が、まるで自分とは無関係の出来事のように思えた。
「どうしたのアリベル。浮かない顔をして。スープ、お口に合わなかったかしら?」
メリア母様が心配そうに覗き込んでくる。
「あ、ううん! すごく美味しいよ。ちょっと、まだ眠気が残ってるだけだから」
僕は慌てて笑顔を作りスープを流し込んだ。
この頃には既に夢の大半を忘れていて、何で悩んでいたのか分からなくなっていた。
「ふーん……?」
アクア姉様が、スープを咥えたままジッと僕の顔を覗き込んできた。人魚特有の、深く澄んだ青い瞳。…まあ、他の人魚を見たことはないが。その瞳にすべてを見透かされているような気がして、僕は一瞬、息が詰まる。
「な、何さ、姉様」
「べっつに〜? アリベル、なんだか最近、寝相がすっごく悪いなーって思ってさ。うなされてたりもするし?」
「え……?夜中からいたの?」
ダート父様とメリア母様は夜中からいたという新情報を聞き今にも説教しだしそうな顔。アクア姉様はもういない。…逃げたな
なぜか話をそらしてしまった忘れてしまうあの夢の続き。それが意味することを僕はまだ知らない。が、外の世界を夢の中で間接的に見たことで、僕の中である願いが育っていたのだ。そして今日こそ言葉にするべきと思った
「あの……ダート父様、メリア母様。それにアクア姉様…はもういないか」
僕が真剣なトーンで切り出すと、二人の視線がすっと僕に集まった。
「僕、この森の外の世界を見てみたいんだ。いつまでもこの森の中にいるんじゃなくて、もっと広い世界を旅して、たくさんのことを見てみたい」
ずっと育ててくれた家族を裏切るような言葉かもしれない。反対されることも覚悟していた。
けれど、返ってきたのは静寂だった。
三人は驚いた風でもなく、ただお互いに顔を見合わせ、それから深く、優しい笑みを浮かべた。
「そうか。ついにその時が来たんだな」
ダート父様が、穏やかに口を開く。
「アリベル。お前が外へ行きたいと言うのなら、私たちは喜んで見送ろう。……だがその前に、お前に伝えておかなければならない真実があるんだ」
「真実……?」
「ええ。驚かないで聞いてね、アリベル」
メリア母様が僕の手をそっと握る。その手はいつも通り温かいはずなのに、なぜか、微かに透き通っていくような不思議な感覚がした。
「私たちはね、人間ではないの。アリベルはまだ分からないかもしれないけど…精霊というものなの。」
「え……?」
言葉を失う僕の前で、ダート父様の身体から柔らかな光の粒子が立ち上り、メリア母様の周囲に色鮮やかな花びらが舞う。そしていつのまにか戻ってきたアクア姉様は、いつものように壁をすり抜けるのではなく、その場で水飛沫のような美しい光を纏って宙に浮かび上がった。
「驚いた〜?森の入り口に捨てられていた人間の赤ちゃんをメリアが見つけたの。そして育てた。それがアリベルだってわけ〜」
アクア姉様が重い空気を裂くように明るい声で笑う
「本当の家族じゃなくて、がっかりした?」
「そんなわけ、ないよ……!」
僕は首を激しく横に振った。姿が違っても、血が繋がっていなくても、彼らが僕を心から愛し、大切に育ててくれた時間は本物だ。涙が視界をにじませる。
「ありがとう、アリベル。そう言ってもらえるだけで、私たちは幸せだ」
ダート父様が僕の肩をぽんと叩いた。
「人間のお前には、人間にしか歩めない未来がある。もしここを出るというのなら精いっぱいの荷物をまとめなさい。私たちの愛する息子の、新しい門出だ!」
それからの数日間は、まるでお祭りのようだった。
植物の精霊であるメリア母様は「旅の道中で食事に困らないように」と、いっぱいの木の実とフルーツ、野菜をまとめてくれた。大地の精霊であるというダート父様は護身用の頑丈な短剣を磨き上げ、アクア姉様は「プレゼント」と、不思議なオーラの美しい青い小石を僕の首にかけてくれた。
そして、旅立ちの朝。
森の境界線。ここから先は、霧の向こうに人間たちの世界が広がっている。
三人は、境界の手前で僕の手を握り、代わる代わるに抱きしめてくれた。
「元気でね、アリベル。辛くなったら、いつでもこの森の空気を思い出して」
「お前の行く道に、大地の祝福があらんことを」
「寂しくなったら、いつでも戻ってきてね」
「うん……! みんな、本当にありがとう。僕、いってきます!」
僕は涙を拭い、笑顔で大きく手を振った。
背後からの家族たちの精いっぱいの声援と、温かい日の光が僕の背中を力強く押し出してくれる。
一歩、霧を抜ける。
振り返ると、もうそこにはいつもの森の入り口は見えなくなっていた。けれど、胸の奥にある家族の温もりを武器に、僕はまだ見ぬ未知の世界へと力強く歩き出した。
読んでくれてありがとうございます。




