11話 予言
騎士たちが去ってから、しばらく時間が経った。
夜の冷気が忍び込む窓の外を慎重に確認したアリベルは、胸に溜まっていた重い空気を吐き出すように、ようやく息を吐いた。
「……もう大丈夫そうだな」
「だな! それじゃ、さっそく出かけるか!」
アレフは何事もなかったかのように椅子から勢いよく立ち上がった。
「出かけるって……こんな夜更けに、一体どこへ?」
「服屋だよ。お前、これから変装するんだろ?」
「あ……そうだった」
アリベルは自分の着ている服を見下ろした。
王都の牢屋から命からがら逃げてきた以上、同じ格好のままうろついていては、すぐに騎士に見つかってしまう。少しでも身元を隠して移動しやすくするため、服を買い替えることにしたのだ。
「よし、夜闇に紛れてサクッと行ってこようぜ!」
二人は静かに家を出て、村の片隅にある小さな服屋へと向かった。
*
カランカラン、と寂びたドアベルの音が静かな店内に響いた。
「いらっしゃい!」
カウンターの奥から、針仕事の手を止めて年配の店主が明るい声を上げた。
店内には染料と古い布の匂いが立ち込めており、外の緊張感を忘れさせるような独特の落ち着きがある。
アレフは勝手知ったる様子で店内を見回した。
「おじさん、動きやすくて、ちょっと地味な服ってある?」
「おう、もちろんだ。どんな用途だい?」
「こいつの分! これからちょっと旅に出るから、とにかく丈夫なやつがいいな!」
そう言って、アレフは親指で隣のアリベルを指さした。
店主の鋭い視線が、アレフからアリベルへと移る。
商売人らしい観察眼が、アリベルの金髪と顔の輪郭を捉えていた。
(気づかれた……!)
手配書を見たのだろう。アリベルは身構えたが、店主はそれ以上、表情を変えることはなかった。
「そうだな……これなんかどうだ? 生地が厚手で動きやすいし、長旅にも向いてるぞ」
店主は棚の奥から、目立たない深い色合いの旅装を取り出し、何事もなかったかのようにアリベルに差し出した。
「あ、ありがとうございます……」
アリベルは、拍子抜けするほど普通な店主の対応に戸惑いながらそれを受け取った。
アレフが別の棚でマントを品定めしている隙に、アリベルは小声で尋ねた。
「……なあ、アレフ。今のおじさん、僕の正体に気づいてたよね?」
「ん? ああ、たぶんな。おじさん、耳も目もいいからさ」
「本当にいいの……? 僕、国から手配されてるんだよ……?」
不安を隠せないアリベルの様子に、アレフは不思議そうにこちらを振り返った。
「ほら、さっきも言っただろ? 王都の権力者が何と言おうと、この辺の奴らはハナから王様なんて信じちゃいないんだよ」
「……本当に、そうなの?」
「そういうこと! お上にへつらって、わざわざ騎士に通報して小遣い稼ぎしようなんて奴は、この村にゃそう多くないと思うぜ」
アレフはあっけらかんと言い放ち、アリベルの頭にフード付きのマントをすっぽりと被せた。
アリベルは、頑なになっていた自分の肩の力が、すうっと抜けていくのを感じた。
王都では、ろくに言い分も聞いてもらえず、ただの犯罪者として牢屋に放り込まれた。
だが、この村では違う。手配書に載っているという形式だけで、目の前の自分を悪人だと決めつけるわけではないのだ。
張り詰めていた心が救われたような気がして、アリベルはふと思い出した疑問を口にしてみた。
「……あの、店主さん」
「ん? どうした、坊主」
「僕の手配書に、『悪魔の子』って書かれていたんですけど……あれは、一体どういう意味なんですか?」
服の寸法を測るように、アリベルの肩に手を置いていた店主の眉が、わずかにピクリと動いた。
「ああ、あれか」
特に驚いた様子もなく、店主は深く刻まれた眉間のシワを寄せながら頷いた。
「王都にいる、国お抱えの偉い占い師が予言したんだとよ。その金髪の小僧が、将来この世界を滅ぼす大災厄をもたらすだとか何だとか……」
「世界を、滅ぼす……?」
アリベルは思わず自分の両手を見つめ、声を裏返して聞き返した。
「ああ、そういう大層な話さ。だから『悪魔の子』なんて大層な渾名で呼ばれてるんだろうな」
「そんな……僕には、そんなつもりなんて、これっぽっちも……」
もちろん、世界を滅ぼすつもりなど毛頭ない。
そもそも、ずっと精霊の森に引きこもって暮らしていた自分には、世界を滅ぼすどころか、この世界の地理や仕組みについて知らないことの方が圧倒的に多いのだ。
「まあ、予言なんてのは、当たるも八卦、当たらぬも八卦って言うだろ?」
店主は作業着の肩を大げさにすくってみせた。
「それに、その占い師サマだって、まともな民衆からはそこまで信用されてるわけじゃねえぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。その占いが本当にそれほど万能で凄いってんなら、今のこの傾きかけた王国が今後どうなるかくらい、とっくに分かってそうなもんだろ?」
店主は吐き捨てるように、呆れた鼻を鳴らした。
「王様が好き勝手に重税を課して、国中がどんどんおかしくなってる。それなのに、その偉大な占い師様は民のために何も言わねえ。未来が見えるってんなら、まずそのひん曲がった王様の根性から予言して何とかしてほしいもんだよ」
「はは……」
アレフが苦笑しながら、店主の肩を突いた。
「おじさん、それ、あまり大きな声で言わない方がいいぜ。どこで騎士が聞き耳立ててるか分からないんだからさ」
アレフが冗談交じりに釘を刺す。
「本人がここで聞いてたら、面と向かってなおさら言ってやるさ!」
店主は胸を張り、豪快にハッハと笑った。
その屈託のない笑い声に誘われて、アリベルも思わず小さく吹きこぼれるように笑ってしまった。
どうやら、この村の人々は王都の冷徹な発表をそのまま鵜呑みにしているわけではないらしい。
それでも、胸の奥にひとつだけ、棘のような冷たい違和感が残っていた。
その占い師は、本当に自分が世界を滅ぼすと予言したのだろうか。
空間の歪みのように、なぜこの広い世界の中で、無力な「自分」だったのだろうか。
アリベルの頭の中には、まだ何ひとつとして明確な答えは浮かばなかった。
「……ありがとうございました」
新しい旅物の服をしっかりと抱え、アリベルは店主に深く頭を下げた。
「おう! 外は物騒だからな、旅先では十分に気をつけろよ!」
二人はカランとベルを鳴らし、再び夜の帳が降りた店外へと出た。
少なくとも、この村では手配書だけで自分を悪人と決めつける人ばかりではない。
孤独ではないのだと分かっただけでも、アリベルにとっては暗闇の中に光が差したような、大きな救いだった。
だが――。
世界を滅ぼす、悪魔の子。
新しく新調したフードの奥で、その不吉で重苦しい呼び名だけは、夜風に吹かれながらも、いつまでもアリベルの耳の奥から離れようとはしなかった。
占い師は予言の能力持ちです。つまり、予言に関しての信頼度は十分高いです。また、王都でその力を政治に使わなかったのは、ただ単純に王国に興味がないだけか、もう変わらないと気づいているか…そちらもこれからわかると思います。




