10話 悪魔の子
食卓には、綺麗に平らげられた空の皿がいくつも並んでいた。
「いやー、食った食った! 大満足だわ!」
アレフは椅子に深く背をもたれかけ、満足そうに自分の腹をさすった。
「ふふ、ごちそうさま。すごく美味しかったよ」
「おう! いやー、やっぱり体を動かした後の飯は最高にうまいな!」
そんな他愛もない、温かい会話を交わしていた、まさにそのときだった。
「この辺りに潜んでいるはずだ! 怪しい家は一軒ずつ徹底的に調べろ!」
外の街道から、静寂を切り裂くような高圧的な怒鳴り声が響いた。
アリベルの笑顔が凍りつき、スプーンを持つ手がピタリと止まる。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
脳裏をよぎるのは、激しい炎と、冷徹な鉄の鎧の擦れる音――。
聞き覚えがありすぎる、あの騎士の声だ。
(……っ! どうして、ここまで……!?)
あの村で自分を不当に捕らえ、罪を着せた騎士たちが、脱走した自分を執念深く捜しにきたのだ。
アリベルは思わず息を呑み、奥歯を噛み締めた。
もしこの家が奴らに見つかれば、匿ってくれたアレフまで犯罪者として巻き込んでしまうかもしれない。
それに、もし自分が「王国の罪人」だと知られたら、アレフは自分をどう思うだろうか。
本当に村を破壊した大悪党だと信じて、軽蔑してしまうだろうか。それとも、事情を聞いてくれるだろうか。
ぐるぐると頭を巡る最悪の想像に、答えなど出るはずもなかった。
「アレフ、僕……実は……」
「ん? どうしたんだ、アリベル。急に青い顔して」
「いや、なんでもない!」
アリベルは椅子を蹴るようにして慌てて立ち上がった。
外からは、一歩一歩こちらへ近づいてくる軍靴の音が聞こえる。今は落ち着いて説明している時間など一瞬もない。
「ちょっと、どこでもいいから隠れさせてくれ!」
「えっ? お、おう……? じゃあ、そこの奥の物置に――」
戸惑うアレフをよそに、アリベルは脱兎のごとく身を翻し、薄暗い物置の陰へと駆け込んで気配を殺した。
それから、ほどなくして。
ガタガタと激しく玄関の木扉が叩かれた。
「失礼する! 王都騎士団の者だ!」
「はーい、今開けるって!」
アレフがいつもと変わらない暢気な声を装いながら、扉を開ける。
「夜分にすまない。この近辺に、金髪の少年は紛れ込んでいないか?」
「金髪? うーん……さあねえ。ここ最近は見てないけど?」
「本当にか? 王都から脱走した極悪な逃亡囚を捜索しているのだ。もし見かけたら、些細なことでもすぐに騎士団へ報告してもらいたい」
「へえ、逃亡した囚人ねえ……」
アレフは、わざとらしく顎に手を当てて首を傾げてみせた。
「ちなみに、そいつはどんな奴なんだ?」
「これが手配書だ。念のため特徴を確認しておいてくれ」
鎧の擦れる不快な音とともに、騎士は一枚の分厚い紙をアレフに差し出した。
アレフはそれを受け取り、じっくりと目を落とす。
そこには、アリベルの容姿の特徴と、逃走した囚人に関する大まかな情報が並んでいた。
アレフが文字を追っている間、騎士の鋭い視線が、開いた扉の隙間から家の中を注意深く見回した。
「何か心当たりは?」
「うーん……今のところは全くないなあ。力になれなくて悪いね」
「そうか。少しでも不審な影があれば、必ず騎士団に知らせるように」
「はーい、分かった。ご苦労様でーす」
アレフが軽い調子で手を振ると、騎士はそれ以上追及することなく、次の家へと向かっていった。
遠ざかる重い足音。やがて、周囲に元の静けさが戻ってくる。
「……行った、か?」
物置の扉の隙間から、アリベルが怯えたようにそっと顔を出した。
「ああ。もう大丈夫だぞ、出てきなよ」
「よかった……」
アリベルは張り詰めていた糸が切れたように、深く長い息を吐き出して胸を撫で下ろした。
ひとまず、騎士たちの目に留まらずに済んだ。
しかし、安堵したのも束の間だった。
「なあ、アリベル」
「……何?」
アレフのトーンが、いつもより一段低くなっていた。
彼は、まだ手にした手配書の紙をじっと見つめたままだ。
「お前、王都の刑務所から逃げてきたのか?」
「……っ」
アリベルは喉が詰まったように言葉を失った。
いつまでも隠し通せるとは思っていなかった。だが、いざ一番知られたくなかった真実を突きつけられると、どう弁明すればいいのか全く分からない。
恐怖で指先が震えだす。
「僕は……僕は、本当に何も――」
「いや、待て待て。別に、今すぐ無理して説明しろって責めてるわけじゃないんだ」
アレフはアリベルを安心させるようにふっと表情を緩め、手配書に視線を戻した。
「たださ、最近の王国って、ぶっちゃけ評判がクソ悪いんだよ」
「評判が、悪い……?」
「ああ。今の王様、かなり頭が固くて愚かだって話でな。ちょっと自分の機嫌を損ねただけの奴を大罪人に仕立て上げたり、貴族たちの気に入らない相手に無実の罪を着せたり……とにかく好き勝手やってるらしい」
アリベルは目を丸くして驚いた。
「そんな理不尽なことが、国で許されているの?」
「許されてるっていうか……王様の持ってる権力が強すぎて、誰も文句を言えないんだろうな」
アレフは呆れたように小さくため息をついた。
「騎士たちがこんな風に一般の民家を捜し回るのも、今回が初めてじゃない。お前がここに転がり込んでくる前からも、この辺りで何度かあったよ」
「そうだったんだ……」
「だからさ、騎士に追われてるからって理由だけで、お前をすぐに悪人だと決めつける気はさらさらないよ」
アレフは手配書をパタパタと軽く振って、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「人には言えない事情の、一つや二つあるだろ? 話したくなったら、いつでも話してくれればいいさ」
アリベルは、しばらく何も言えずに立ち尽くしていた。
自分が追われている身だと知れば、即座に突き出されるか、軽蔑されるとばかり思っていた。
けれど、アレフは自分の目を見て、信じることを選んでくれた。
「……アレフ、本当に……ありがとう」
「おう! 気にするなって!」
アレフは白い歯を見せて笑った。
だが、次の瞬間、彼は再び手配書へと視線を戻し、微かに眉をひそめた。
「それにしても……これ、ちょっと気になるな」
「何が?」
「ここだよ。お前の名前の前に、なんか妙な二つ名が書かれてるんだ」
アレフは、その不気味な一文を太い指先で示した。
「――『悪魔の子、アリベル』」
「……悪魔の子?」
アリベルは、その言葉を呆然とオウム返しに呟いた。
ただの「脱走兵」や「反逆者」なら、まだ分かる。
だが、なぜ自分がそんなおぞましい異名で呼ばれ、国から指名手配されているのか。
アリベルの記憶の引き出しを探っても、そんな不名誉な呼ばれ方をされる心当たりは、何ひとつとして存在しなかった。
悪魔の子というのは、育ての親が悪魔とかそういうのではないです。子(今回で言うアリベル)が悪魔という意味です。




