第十話:青き炎の覚醒
崩落する回廊。迫る反乱軍と、背後の猛火。 「損切りのタイミングです」と微笑み、手を離したマーガレット。
彼女は、サイラスを生かすために、かつての自分がそうされたように、自らを「不要な駒」として切り捨てようとした。
その瞬間、サイラスの頭の中で、これまで信じてきた「最大多数の最大幸福(功利主義)」という教義が、音を立てて砕け散った。
「冗談じゃない!」
彼女を失う? この私が? 百人を救うために一人を殺す? それが正義? ……違う。そんなものは、ただの計算式だ。
今の私にとって、彼女という「1」は、世界の「全」よりも重い。
サイラスは、走り出そうとした足を止め、猛然と振り返った。 そして、炎の中へ消えようとするマーガレットの腕を、乱暴に、痛いほど強く掴み寄せた。
「きゃっ……! 殿下!? 何を……!」
「それは、貴女の計算間違いだ!!」
サイラスは叫んだ。いつもの冷静沈着な声ではない。喉が裂けそうなほどの、感情の咆哮だった。
「功利主義? 義務論? ……そんなもの、クソ食らえだ!!」
彼は驚くマーガレットを抱きすくめると、全身の魔力を放出した。 彼の瞳のサファイアが、かつてないほどの激しい燐光を放ち始める。
「何かを得るために大事なものを捨てる? ……そんな無茶苦茶な計算が、成り立つはずがないだろう!!」
「サイラス殿下、でも、それでは貴方が……!」
「黙れ! 私は天才策士だぞ!? 今ここで貴女を見捨てて、未来永劫、死ぬまで後悔し続ける自分が想像できてしまったんだ!」
サイラスは、彼女を抱いたまま、迫りくる反乱軍と瓦礫の山を睨みつけた。
「未来の私が後悔しない最適解は一つしかない! ……貴女も、国も、私の誇りも! 何一つ捨てずに、全部持って帰る!!」
ドオォォォン!!
サイラスの身体から、濃紺の魔力が爆発的に膨れ上がった。
それは障壁となり、攻撃魔法となり、二人を包み込む巨大な槍となって、塞がれた退路を粉砕した。
論理の限界を外したサイラスは、もはや策士ではなかった。ただ、愛する女を守るために牙を剥く、一頭の獣だった。




