22.僕のお願い
加筆修正中です。
「朝食にいたしましょう〜」
アンティゴンの麗かな声が、階下から呼びかけてくる。
(あと少しだけ……)
「ミーティア様ー!」
「はーい!」
大きく返事をしながら、紙に最後の一文字を書き込んだ。我ながら、今回はなかなか上手く書けた気がする。
全体にざっと目を通して誤りがないことを確認すると、丸まらないように伸ばして四隅におもしを乗せた。
(これで乾けば、完成っと!)
早くきてほしいというアンティゴンの気魄が、その姿は見えていないというのにピリリと伝わってくる。
「今、いきまーす!」
無言の圧力を押し戻す様に一声言って、急いでミーティアは下へと向かった。
◇
ここでの朝食は、朝に弱いエリオスに合わせ、ゆっくりめに始まる。お日様がほぼ真上にくる時間に、ボリュームのある食事をまったりと食べるのが日課だ。
朝のメニューには幾つか定番の品があって、その組み合わせが毎日変わる。アンティゴンが作ってくれる料理は、どれも最高に美味しいけれど、今日のは特にミーティアの好きなものが揃っていた。
深みがある陶器製の容器に入っているのは《山鳥マルクィーネ》の卵を泡立てて、キノコから取ったスープとあわせてゆっくりと蒸しあげたもの。散らされた香草の緑が卵の黄金色に映え、目にも鮮やかな一品だ。
これをスプーンですくって、フーフーと息を吹きかけながら食べる。上の方はふわふわとしていて、口に入れると淡雪のように一瞬で溶けていく。舌にはスープの旨味だけが残り、この儚い後味を追い求めるように、一口、もう一口と手が止まらなくなる。
夢中になって食べ進めると、下の方はペースト状になっていて、こちらは卵の旨味がぎゅっと圧縮されたような濃厚な味わい。ちょっとお行儀はよくないものの、このペーストをパンに塗って食べる。
暖炉で、アンティゴンが一切れずつ炙って渡してくれるパンにつけると、もう何枚でも食べれてしまう魅惑の味わいなのだ。
向かい合わせに座るエリオスは、まだ眠気が抜けきっていないようで、うつらうつらとしている。ただ食欲はあるとみえて、《アカジシ》の塩漬け肉を蒸したものを、パンの上に乗っけてもぞもぞと食べていた。
この肉は、例のウル火山の祭壇に猟師が捧げられたものをアンティゴンが持ち帰り、塩漬けに加工したもの。
一度、勝手に持ってきて良いのかと聞いてみたところ「ほほほ。だって、これは私宛ですから」と、さらりと返された。
確かに、あの火山がアンティゴンの悲鳴によって生まれたというのが本当なら、捧げられた対象が自分だという主張も、あながち間違いとはいえない。
「さあ、どうぞ」
食事がひと段落したのを見計らって、アンティゴンがガラスの小皿に盛られた《朝露苺》を、二人の前にそれぞれ置いてくれた。
瑞々しい朱色の実に手を伸ばしながら、エリオスはおもむろに話しかけてくる。
「――しかし、早いものだね。君がこの屋敷にきてくれてから、もう《1ヶ月》か」
「まあ! もうそんなに……?」
改めて言われてみると、それは本当にあっという間だった。
「感謝してもしきれないよ。あの時、君が申し出てくれなかったら、今ごろどうなっていたか。君は知識豊富で、教え上手だし、それに……」
語りかける瞳が、春の湖面のように揺れ光る。
「君と話すのは、楽しい」
「……! あ、ありがとう、ございます!」
そう、あの日、落ち込んでいたエリオスにミーティアが申し出たのは【自分が家庭教師になる】ということだった。
長々と受けてきた妃教育のおかげで、建国以来の歴史や、国内の地理や産業など、主要なことは大体頭に入っている。
エリオスのために、これを活かせないかと思ったのだ。
ただ実際教えようとして明らかになったのは、エリオスが読み書きをほとんど出来ないということだった。
上品な立ち振る舞いや知的な物言いから、てっきり貴族か何かの出なのかと思ったが、どうもそういうわけではないらしい。
別に読み書きができなくても生きていけるが、出来たほうが何かと都合が良いのは間違いない。
そこでエリオスと相談のうえ、朝食後に【読み書きの練習】、お茶の時間をはさんで【講義】という形でミーティアの家庭教師業は行われることになった。
講義と言っても、エリオスの興味があることに口頭で答える、極めてくだけた形のものだ。
場所も時間も明確な決まりを設けず、エリオスが部屋で謎の制作物をつくるのを手伝いながら、あるいは屋敷の外に広がる庭の手入れを一緒にしながら――と、かなり自由にしている。
(果たして、これは講義と言えるのかしら……?)
こうして振り返ってみると、もはや楽しく話しているだけのような気がしてきた。
それでも、エリオスはこれをひどく喜んでくれて、毎日ことあるごとに感謝の言葉を口にしてくるのだ。
「――おかげで、少しずつだけど文も読めるようになってきたものね。だから、少しばかり『本』を持ちたいと思うんだ。どこか、手に入れられる場所の心当たりはないかな?」
「本……ですか……」
たしかに手元に本がある方が、読みの上達のためにも良いはずだ。
(城下には立派な本屋があったけど、今は行かない方がいいわよね。ほかにも本がありそうな場所は、いくつかあるけど……ただ……)
と、ここまで考えて一応確認する。
「あの……念のためお聞きしますが、エリオス様がお読みになりたいのは『雛菊本』とかではないですよね?」
エリオスが、はてと首を傾げる。
「……ヒナギクボン? 何だい、それ?」
「あ、いえ、ならいいのです」
慌てて打ち消したが、捨て置かれるはずはなかった。
「そんな言い方されると、逆に気になってしまうよ。きっと、皆が知ってる常識なのだろうね……。ああ、僕はなんて無知で恥ずかしい人間なんだ……! ミーティア、この哀れな男に教えてくれないか。ヒナギクボンとは何かを」
わざとらしい仕草で大いに嘆きながら“哀れな男”は、顔を手で覆う。
(これは……とてつもなく余計なことを言ってしまった気がするわ)
ほっそりとした指の隙間から、灰青色の瞳がこちらをじっと見ている。それはもう、じーーーーーーっと、見て、いる。
(うっ、視線の圧が強い!)
「…………もう! そういう言い方はずるいです。——『雛菊本』というのは、男女の恋愛を扱った簡単な物語本のことですわ。恋の行く末を雛菊の花びらをちぎって占うのにかけて、そういう名前で呼ばれているんです。一冊一冊が普通の本より安めで、とても人気があるんですよ」
「へえ。で、君のおすすめは?」
「そうですね。私が一番好きなのは『アイティム公爵の恋の軌跡』というシリーズで、出るたびに必ず……………あっ!」
あわてて口元を押さえたが、もう遅い。エリオスの声には即座に悪戯っぽい色が混ざりだした。
「はは、なるほどね。……不思議なもので、君が読んでいると知ったら俄然興味がわいてきたよ。——ひとつ読んでみるとするか。簡単な言葉で書かれているなら、むしろこの僕にうってつけだからね」
「な……!」
エリオスが読むのを止める権利なんて、自分には無い。まったく無いが……えらそうに教師を申し出たくせに、密かにそういうのを読んでドキドキしたり、赤面していたとなれば威厳ゼロである。
しかも、うっかり愛読書まで言ってしまった。
ミーティアにはわかる。
エリオスは、絶対にもう本の名前は記憶しているし、ともすれば手に入れて『へえ、君はこういうのが好きなのか』とか言ってくるタイプだ。
(いやあぁぁぁ)
あれこれ考えてオタオタとしているうちに、エリオスが言葉を継いでくる。
「――はは。それで、僕が読みたいものが雛菊本でないとしたら、どうなんだい? まあ、もう読みたくなっちゃったけどね。
でも、一番読んでみたいのは歴史、魔術、あと技術的なことが書かれた本かな。とくに歴史については、一つちゃんとした本を持っておきたいんだ。君の教えてくれることと合わせて読めば、より今への理解も深められるだろう?」
「え、ええ。とても良いお考えだと思います。でも、雛菊本のようなものなら、この近くの小さな村でも手にはいりそうですが……より学問的な本を手に入れたいとなると、場所が限られてくるかも知れません」
「なるほど。では、どこなら手に入りそうかな?」
「おそらく……『ペリガン』なら可能かと」
「ペリガン……ペリガン……。はて、どこかで聞いたような…」
エリオスは人差し指で顎を撫で、斜め上を見上げた。
ただ直ぐには思い出すことはできなかったようで、断念したように首を振る。
「ともかく、そこには本があるのかい?」
「はい。私自身はまだ行ったことはありませんが、専門別に大小100件以上の本屋があると聞いています。あっ! それにペリガンには大きな図書館があったはずです」
「トショカン?」
「ええ。沢山の本が置いてあって、自由に読むことができる場所です。気に入った本があれば、無料で一定期間、借りることもできるんですよ。それこそ、個人で手に入れることが難しいような本も」
「なんと! それはいいね」
期待で、エリオスの瞳がキラキラと輝く。それを見て「あ、しまった」と思った。大事な事を言い忘れてしまっていた。
「ただ、ここからはかなり遠いはずです。行くのは現実的ではないかと」
「はは。どこだろうと関係ないさ。それで、どうだろう?」
「……どう、だろう?」
意味がわからなくて、思わずおうむがえしをしてしまう。
「つまり、そのペリガンとやらに、僕と一緒に行くことがさ」
さりげない口ぶりで言ったエリオスは、パクリと一つ、朝露苺を頬張った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
不定期な投稿で恐縮ですが、引き続きお楽しみいただけると幸いです。




