12.可憐な薔薇に忠誠を(1)
「……し、……もしもし」
引き戸越しに遠慮がちに呼びかけるアンティゴンの声が、夢うつつだったミーティアの意識を現実に引き戻した。
「……っ、はい! なんでしょうか!」
「よかった、ご無事でしたか。何度かお声がけさせていただいたのですがお返事がなかったもので、ご気分でも悪くされたのかと案じておりました」
「いいえ、大丈夫ですわ。あまりに気持ち良くて、知らずに寝てしまっていたみたいで……」
「ほほほ、そうでございましたか。こちらに着替えを置かせていただきましたので、お使いになってくださいませ。ああ、元々のお召物もここに置いたままで結構です。のちほど私が良いようにしておきますので」
そういうと引き戸の摺ガラスに映る影はどこかへと消えた————と思ったら、すぐに引き返してきた。
「言い忘れておりました。ご主人様が少々寂しそうにしておられます。あがられましたら、一階まで下りてきてくださいますか。……におられますので、すぐにお分かりになるかと」
「わかりました! ……ごめんなさい、場所はどことおっしゃいましたか?」
だが影は既に姿を消しており、その質問に答えが返ってくることはなかった。
(やっぱり、そうなるわよね)
なんとなくアンティゴンの人となりが掴めてきた。
次に同じような場面があったら、どうするのが良いだろう。そんなことを思いながら、湯ぶねの縁にかけた自分の手をみると、指先に細かなシワが寄っている。
寛いでいるうちに、いつのまにか結構な時間がたっていたようだ。
ミーティアは慌てて湯ぶねから立ち上がった。
◇◇
「——さて、困ったわ」
あれから急いで身なりを整えて、階段を降りてはきた。
でも当然ながら二人、とくにエリオスがどこにいるのか、さっぱり見当がつかない。
耳をすましても、恐ろしいほどの静けさが返ってくるばかりで、人の気配というものがまるで感じられないのだ。
(あの時飛び出して、アンティゴンを掴まえたほうが良かったのかも。勝手にあちこち見て回ったら失礼だろうし……一体どうしたら……)
「?」
どこからか音がした気がする。
(こちらの方からだった気が……)
恐る恐る、降りてきた階段の後ろを覗いてみると、そこには薄暗い廊下が続いていた。
何となく抜き足差し足で近づいてみれば、居並ぶ扉の一つから、ひと筋の光が廊下に差している。
(……もしかして、ここに?)
扉の隙間から恐る恐る覗いてみると——なかでは
大鍋がグツグツと煮えたぎり、その湯気の向こうにアンティゴンが忙しそうに調理をしている姿が見えた。ここは台所のようだ。
鍋の中身を小皿にとって味見したアンティゴンは、ちょっと眉間にシワを寄せて考えたあと、壁に吊り下げられていた植物の葉をブチブチとちぎって、鍋へポンポンと投げ入れていく。
そのたびに、鍋からは湯気がふわりと立ち上り、なんとも言えず食欲をかき立てる香りが扉の外まで漂ってきた。
「————やあ、いい匂いだね」
「へえっ?!」
突然後ろから声をかけられて、変な声がでた。
爽やかな声の主は、くくっと笑いながら、扉の脇にすっと片手をついて台所を一緒にのぞき込んでくる。背中に服が触れ、滑らかな白金の髪が頬の横で揺れた。
(な!? ちょっと近すぎない?!)
ミーティアは頭が真っ白になり、呼吸するのも忘れてその場に固まった。
一方、台所のアンティゴンは、二人に見られていることに気づく様子はない。鍋をかき混ぜたり、お皿を食器棚から出したりと一人奮闘している。
「あっ!」
鍋に突っ込まれていたお玉が、バランスを崩し床に落ちた。音に驚いてアンティゴンが振り返ると、はずみで台の端の方に緊張感なく置いてあった皿が次々と下に落ちていく。
ガシャガシャガシャーーン!!!
床は大惨事だ。
皿を置いた本人は額を押さえ、大きくため息をついた。
「はは、派手にやっているね。久しぶりの料理だから緊張してるのかな」
青年は心配するでも怒るでもなく、慣れっこだというように話す。
「……私、何かお手伝いした方がよろしいのでは……?」
「いや、それは不要さ。アンティゴンは何よりもおもてなしが好きなんだ。手出しは望むところではないだろう」
「そ、そうなのですね……」
「おいで。僕らはむこうで待っているとしよう」
青年は台所の斜め向かいにある、一つの扉を指さした。
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