11.心と体、引っかかるもの(2)
体の前面に白い稲妻のように走る傷は、幼少の頃、父親の仕事についていった先で巻き込まれた事故によるものだ。
年々その跡は薄くなってきてはいるものの、見るものが一様に目を背けるほどにはまだ生々しさを残している。
—— 一番最初に婚約破棄を言い渡されたとき、頭に真っ先に浮かんだのは、この傷のことだった。
(『……ラインハルト様は、私との婚約を破棄したいだけなのかも。だって私は——』)
「傷物だから」
あの場面を思い返し、思わず口をついてでた言葉に自分で悲しくなる。
でも、婚約破棄以前に、婚約していたこと自体がそもそもおかしかったのだ。
もともと、ミーティアの生まれたモディスゲート家は、お手伝いさえまともに雇えるお金がなく、身の回りのことを全て自分たちでせざるを得ないほどの《超》零細男爵家だった。
とても王太子の婚約者やら妃やらを輩出できるような家系ではない。
それなのに、ある日突然、城からきた早馬が「ミーティア嬢をラインハルト殿下の婚約者にし、ゆくゆくは正式な妃に迎えたい」と告げてきたのだ。
城で開かれた舞踏会で見初めたというが——家系の問題もあるし、さらにこんな大きな傷が身体にあるのだから、どうせすぐに撤回されるだろうと、はじめは真剣に取り合わなかった。
ところが不思議なことに、それらが問題視されることは一切なかったのだ。
それどころか、ミーティアの父の爵位はもっともらしい理由をつけられて伯爵まで引き上げられ、婚約者として恥ずかしくない出自が王家主導でつくられていった。
何か行き違いが生じているのでは、と案じて城に赴いた父に、ラインハルトは晴れやかに言い切ったらしい。
「傷? ああ、知っていますよ。でも、それに何の問題が? 私は彼女に一目ぼれしてしまったのですよ」
こう言われてしまうと、もうどうすることもできない。
早馬がきてから一週間後、早くもミーティアは城に居住を移すことになった。そして、それは数年間にわたる妃教育の始まりでもあったのだ。
…………でも、やっと婚姻する日が決まったと喜んだ矢先——ラインハルトは、驚くほど残酷な形で婚約破棄をしてきた。
(惚れっぽい人は、そのぶん移り気だと聞くわ。……それに、やはりこのような身体をもつ者はお嫌だったのかも……)
心配そうにしていた父の顔や、城で過ごした決して楽ではなかった日々が思い出され、鼻の奥がツンとする。
「いやだわ……もう終わったことなのに」
暗い気持ちを振り払うように体、そして髪をやや乱暴に洗い上げ、頭からざぶんとお湯をかぶった。
贅沢にお湯を溢れさせながら、風呂に身を沈める。
湯ぶねに背を預け、長ーーーーく息を吐いた。
(いいえ……本当は初めからわかっていたわ。だってラインハルト様は……一度も私と目を合わせてくれはしなかったもの。……でも、私も似たようなものだわ。あの方と心を通わせたいと思ったことは……ただの一度もなかったんだもの)
ほろりと一滴、涙が湯ぶねに零れ落ちる。
(そうよ……。私、婚約破棄されたのが悲しいわけじゃない。あんなことされても、少しも悲しくないのが悲しいんだわ)
月光が映り込んだ青磁色のお湯は、さながら月を呑んだ海のようだ。
「綺麗ね……嘘みたいに……」
ミーティアは複雑な感情に蓋をし、絶え間なく注がれるお湯にいっとき身を委ねたのだった。
ブックマークや、感想、レビューをありがとうございます。いつも励みにしています!
次話からは、また“魔術師の青年”が出てきます。




