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紅里の風  作者: 泉 五月
第二章
45/55

1-2


 その声が、自分に向けられていることはわかっていたが、朱夏はあえて無視をした。


「おいおい、返事くらいできねえのかよ。こっちはお前を心配してやってんのによ」


 声の主は断りもなく隣に腰を下ろすと、朱夏の手から干し肉の残りを奪い取って、自分の口に放り込んだ。


「お前ぇみてえなちびがこんなとこに来て、体壊したり誰かにいじめられでもしたら大変だから、こうして様子見に来てやってんだろ? なあ?」


 隣に座った男は、でかい声で周りの男たちを見渡す。取り巻き連中はにやにやしているが、それ以外は、成り行きに興味を示す者、朱夏に同情の目を向ける者、無視する者、様々だった。それまで焚き火を囲んで笑っていた男たちの中にも、気付いて気の毒そうな視線を向けてくる者がいた。

 ただでさえ少ない配給食を取られ空になった指先を、朱夏はため息とともに擦った。


 朱夏のぞんざいな対応で、ほとんどの男たちはちょっかいをかけてこなくなったが、耶治矛やちむ以外にも、しつこく声をかけてくる者はいた。その中でも最低の部類が、こいつらだ。何せ、弟や妹と重ねて朱夏のことを多少は心配しているとも言える耶治矛とは違い、こいつらは明らかに、朱夏のことを自分たちより弱い者として、つまりからかいや憂さ晴らしの対象として認識していたからだ。


 テジという、がたいのいい男を中心にした五人組で、朱夏たちとは別の場所から芭胃ばいにやって来た集団だった。今は跳ね橋に使う材木を運ぶのが主な仕事らしいが、朱夏がいる堀の横を通るたび、配給場所で見かけるたび、飽きもせずくだらない野次を投げて寄越してくる。

 大概のことは朱夏も無視してやり過ごしていたが、よっぽど暇なのか他に自分たちより弱い者を見つけられないのか、朱夏へのからかいは止む気配がない。戦場ならばその手柄や戦いぶりからおのずと力の序列がわかるが、未だ力を発揮する場所ではない砦の中では、見た目が明らかに自分たちと違う朱夏くらいしか、安心してからかえる相手がいないのだろう。と言っても、剣を交えればこんなやつらに負けるつもりはなかったが。


 ちょっかいを出されるたびに腹は立っていたが、反応すれば相手が喜ぶことは最初の数回でわかっていた。だからそれからはずっと言い返していなかったし、最近は視線さえ向けないようになっていたのだが、それはそれでまた、テジたちに新たな遊びを与えてしまったようだ。つまり、どの程度まで朱夏が無視していられるかを試す遊びである。


 にしてもなあ、とテジが今度は肩を組んできた。その手を思い切り払いのけてやりたかったが、それでも朱夏は黙って座ったままでいた。


「何でお前みたいなのがわざわざ兵士になったんだか。周りの大人は、誰も止めてくれなかったのか?」

「…………」

「お前みたいな小っこいのが戦場に行ったって、きっとすぐ殺されちまう。やめるなら今のうちだぞ?」


 組んだ肩を叩くテジに、「幸いここは、抜けるやつに寛大だからなぁ」と、取り巻きも言葉を重ねる。自分たちは大した力もないのに、テジに引っついてでかい顔をしているやつらだ。


「食いつなぐだけなら、他にも方法はあるぞぉ」

「そうだそうだ。いざ戦場でびびっても、助けてやれねえぞ」

「まあまあお前ら、そういじめてやるな」


 何を気取っているのか、取り巻きをなだめたテジが組んでいる肩に体重をかけてくる。


「お前だってそれなりの覚悟があって兵士になったんだろ? 簡単にはやめられねえよなぁ」


 一体やめさせたいのかそうじゃないのか、どっちなのかと言いたくなる。ただただ絡んで朱夏を不快にさせることが目的なら大成功だが、それが目的というのなら、本当に何てくだらない連中なのだろう。


「まあ、ここにいる間は仲間だ。仲良くやってこうぜ」


 テジは必要以上の力をこめて朱夏の背中を叩くと立ち上がった。

 取り巻きを引き連れて去っていくテジたちの声が完全に聞こえなくなってから、朱夏はようやく顔を上げた。言い返さずに口の中にためていた空気を、ゆっくりと吐き出す。


「あいつらも、暇だな」


 顔を向けると、朱夏よりも焚き火の近くで暖を取っていた耶治矛やちむが、こちらに近付いてきた。耶治矛には以前から、やつらがからんできても、口出しは無用だと言ってあった。だから今日も、事が済んでからこうして近付いてきたのだろう。だが今は、その声に答えることさえ面倒だった。 


 朱夏の我慢へのねぎらいのつもりか、耶治矛やちむがわずかに残っていた自分の水を差し出してくる。しかし朱夏は、それを首を横に振って断った。

 胸中のさざ波を落ち着かせようとゆっくりと呼吸をするがしかし、苛立ちはすぐには消えなかった。少し離れた焚き火の近くでは、テジたちもいなくなったことで、賑々しい会話が再開されている。暖かなその輪に、朱夏が近付くことはない。


 朱夏はここで、目立つことを避けてきた。若い女という時点で不利ではあるのだが、周りとの関係を希薄にし、問題は起こさず、目を付けられるほど怠けることも、逆に褒められるほどの働きもしないことで、なるべく周囲から浮かないよう、大多数の一人として認識されるよう努めてきた。兵士になったからといって、宋重のために何かしてやるつもりは毛頭ないし、下手に目立って覚えられて、いなくなった時に怪しまれるのはごめんだった。それなのに、どうしようもない馬鹿のせいで、必要以上の注目を集めてしまう。

 とっとと前線に送られてしまえと念じているが、向こうが従事している跳ね橋の作業もまだ終わってはいない。だから最近は、少しでも苛立ちを紛らわせるために、あいつらに声をかけられた後は、土の壁にあいつらの顔を思い浮かべて、そこに鍬を振り下ろすことで何とか溜飲を下げている。が、一日の作業が終わった今は、それもできない。


「あいつらは、お前のことが好きで好きでたまらないんだよ」


 朱夏が断った水を飲み干した耶治矛やちむの言葉に、顔をしかめる。


「気持ち悪いこと言わないで」

「そう思ったら多少は、あいつらのことも可愛く思えるだろ」

「そう思う必要がどこにあるの」

「お前の精神衛生上、そのほうがいいんじゃねえかってこと。まあ、好きな子をいじめるってのは、餓鬼のやることだけどな」


 その内容はどうであれ、一応は朱夏を気遣っている耶治矛やちむに当たるのも筋違いだろう。そう思って言い返さずにいると、耶治矛が関係のあるようなないような話題を振ってくる。


「お前は好きなやつの一人や二人、いねえのかよ」


 朱夏の気を紛らわせようとしているのかもしれないが、にしても、もっと他の話題は思いつかなかったのかと呆れてしまう。


「その質問、答える必要がある?」

「だってお前、今十五だろ。身分が高けりゃ結婚しててもおかしくない」

「あたしが貴族に見える?」

「顔洗ってそれなりに身綺麗にすれば、可愛くなりそうなのにな」


 朱夏はため息をついて、耶治矛を軽く睨んだ。


「可愛いことが、ここで何かの役に立つの?」

「おー、怖」


 わざとらしく肩をすくめた後、「そういえば妹の初恋はなあ」と、また聞いてもいないのに耶治矛が喋りだしたため、そこから先は適当に聞き流すことにした。

 ここは宋重だ。ましてや、男だらけの軍隊だ。

 嫌な人間の一人や二人――いや、むしろ嫌な人間しかいないと思って覚悟して来たのだから、テジみたいなやつらにからまれることは想定内だ。

 ここは、我慢しなければ。何かしら得るものがなければ、ここに来た意味がない。やつらにやり返して問題になって、軍を追い出されるなんてことになれば、ただただ無償で宋重のために堀を掘っただけという、屈辱的な時間を過ごしたことになる。今、その場の感情で動くわけにはいかない。耐えるしかないのだ。


 食事を終え、体が温まった後は、その熱が冷めないうちに自分たちが掘った堀の中で眠りにつく。朱夏たち下っ端の兵士に、屋根のある寝床などない。しかし、冬であれば話は別だが、夏に向かうこの時期、風の遮られる堀の中は、肌寒くはあれ、身を寄せ合えば凍えるほどではなかった。

 暗闇の中、居心地のいい姿勢を探した後、朱夏は目の前で丸くなった背中にそっと声をかけた。


「ねえ、耶治矛やちむ

「……んあ?」


 早くも舟をこいでいたらしい。兵士生活が長いからか、耶治矛は寝つきがいい。以前、特技はどこでも寝られることだと言っていた。


「前線に行く部隊って、どうやって選ばれるの?」

「あぁ……?」


 半分夢の世界に行っていた耶治矛の意識が戻ってくるのを、朱夏は黙って待った。そう時間をおくこともなく、耶治矛は質問の答えを返してくる。


「……ああ……何だ。ついにお前も穴掘りが嫌になったか」


 笑いを含んだ声に、「そういうわけじゃないけど」と言葉を濁し、それらしい理由を思いついた。


「あのむかつくやつらが、さっさと前線に行けばいいのにと思ってるだけ」


 それは、質問の本来の意図ではないが、普段から思っていることだ。

 耶治矛は「ああ、あいつらなぁ」と呟きながら、首筋を掻いた。


「でもまあ、俺らはまだ、誰かの部隊に組み込まれてるわけじゃないからなぁ……」


 語尾がそのまま、あくびに変わった。

 朱夏たちは兵士になった時から五人組を組まされているが、そのすべてが今はまだ来た場所から便宜上「矢原やばる組」などと呼ばれているだけで、特定の誰かの指揮下にあるわけではない。登用試験で兵士になった者たちは、その時々の戦の有無や各地の砦の人員数、あるいは領主側の希望などを鑑みて適宜振り分けられる。そのため、大抵はその砦の主や領主に属する部隊ということになるのだが、宋重のものになったばかりの芭胃ばいの砦は、王の直轄ということで、まだ明確な主がいなかった。もちろん実務を取り仕切っている人間はいるが、あくまで仮であって、実際の戦となると話は変わってくる。そのため、試験後すぐ芭胃ばいに送られ砦の修繕にあてられた朱夏たちは、今所属が宙ぶらりんの状態というわけだ。今後新たに砦の主に命じられる者の配下に入るのか、それとも前線に送られて、そこで指揮を執っている誰かの部隊に入るのか、未だはっきりしていない。


 朱夏としては正直、芭胃ばいに留まっていたかった。ここならば最前線からも、兵糧が送られてくる各地からの情報も耳に入る。だが最前線に送られれば、情報収集どころではなくなるだろう。命の危険はぐんと高まるし、そもそも朱夏に、タイゴの戦士と戦う気はない。むしろ気持ち的にはタイゴ側になって、宋重の兵士に剣を向けたいくらいなのだから。


「さっき、前線が苦戦してるって話してたじゃん。ってことは、近いうちに応援が送られるはずでしょ?」

「そりゃそうだろうが、指示は上が出すことだ。俺たちにゃわかんねえよ」

「どこかを攻める時って、一番近い砦から応援が出るんじゃないの?」

「そういう時もあるし、そうじゃない時もあるだろ」

「そうじゃない時って、たとえば?」


 朱夏の質問に、耶治矛やちむが肩越しにちらりと振り返る。その目がいつにも増してだるそうなのは、眠気を帯びているからだろう。振り返った頭を元に戻した耶治矛は、朱夏に後頭部を向けたまま、いつもよりゆっくりとした口調で答える。


「遠くても手柄が欲しいやつが立候補することもあるだろうし、少し留守にしても大丈夫そうな領地から人手を割くこともあるだろ。状況が厳しいなら、今回みたいに力のあるやつを充てる場合もある。……ま、その時々だ」


 耶治矛が挙げた三つ目の状況に、朱夏はついさっき、火を囲っていた男たちが口にしていた名前を思い出す。


「ねえ。〈不死身の汪路おうろ〉って、有名なの?」


 男たちが話していた、二度も瀕死の重傷を負って、死ななかったという男。


「〈不死身の汪路〉ね。まあ……それなりには有名なんじゃねえの」

「強いの?」

「不死身って言われてるからには、弱くはないだろ」

耶治矛やちむは見たことある?」

「ねえよ……。なるべく危険の少ない戦場で、どれだけ目立たず効率よく生き残るかが俺のやり方だぞ? 最前線で槍を振り回す化けもんには会わねえよ」

「……そっか」

「何だよ。まさかお前、汪路の部隊に入りたいのか?」

「違うよ。そうじゃないけど……」


 宋重で英雄視されている人物なら、列佳にとっては、要注意人物だ。

 それに、男たちの会話を聞いていて、少し引っかかったことがあった。


「何か……不思議に思ったんだけど」

「何が?」

「さっきはみんな、英雄みたいな感じでその人のことを話してたけど。二度も瀕死の重症を負ったってことは、弱いってことじゃないの?」


 強いならそもそも、そんな大怪我を負わないと思うのだが。それとも、強いからこそ、危険な場所を任されて、怪我する確率も増えるということだろうか。


「まあ、そういう考え方もあるのかもなあ……」

「耶治矛はどう思う?」

「男の傷はある意味、勲章だからなぁ」


 意味がわからないことを言い、耶治矛やちむの背中が膨らんだ。どうやらまたあくびをしたらしい。

 自分の体を抱くように組んだ腕をぎゅっとすぼめ、改めて土の壁に頭を預けた耶治矛は、朱夏が声をかけずにいると、すぐに寝息をたて始めた。

 その背中から、頭上に広がる夜空へと視線を移す。濃紺の夜空には、薄雲がかかっていた。地上よりも風が強いのか、薄雲は千切れるように引き伸ばされ、視界の端から端へと流れていく。


(遠くても手柄が欲しい人間が立候補することもあるし、少し留守にしても大丈夫そうな領地から人手を割くこともある。状況が厳しいなら、力のある人間を充てる場合もある――)


 耶治矛の言葉を、頭の中で繰り返す。

 五年前列佳れっかを攻めた時は、一体どうだったのだろう。今宋重の兵士として目の前にいる耶治矛は、五年前、紅里こうりの丘から朱夏が目にしたあの隊列に、加わっていたのだろうか。

 無意識のうちに、右手が帯を触っていた。今はそこに、飾り紐はない。なくしたわけでも、捨てたわけでもない。どれだけ薄汚れていようと、捨てる気にはならなかった。あれは元々、朋朱ほうしゅが身に着けていたものだ。それを、朱夏がまだ幼い時に譲り受けたのである。つまり唯一と言ってもいい、朋朱の形見だった。

 小さい頃からずっと身に着けていたため、だいぶ擦り切れや色褪せはあったが、それでも男だらけのこの場所で飾り紐の細工や色は目を引いた。出会ったばかりの耶治矛に言われてそれに気付いた朱夏は、以来飾り紐をはずし、人目につかないように懐に入れている。

 何かを考える時、それが紅里のことであればなおのこと、朱夏の手が飾り紐に触れることは多かった。すでに帯の上からはずしている今でも、手が無意識にそこにあった紐に触れようとする。

 帯に触れて、求めるものがすでにそこにないと思い出した朱夏は、胴衣の上から、懐にある紐の入った袋を握った。しばらく見てはいないが、その色や編み目は、はっきりと思い出せる。そして、それをくれた朋朱ほうしゅの顔も、横で微笑んでいた公衛こうえの顔も。

 にじんだ空から視線を外すと、朱夏は前で眠る耶治矛と同じ姿勢をとった。緩やかに上下する耶治矛の背中をしばらく見つめた後、そっと、瞼を閉じた。




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