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幾星霜の月の人  作者: 青門 利空


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還る

水神の淵に着いた。


昼間も怪しげな雰囲気のある場所だったが

夜に訪れると暗闇が増しているせいか、どこか不穏な雰囲気に満ちている気がする。


聞こえる音は滝が流れる音だけだ。


教授は、背負っていたリュックから懐中電灯をいくつもだし


スイッチを点けるとまるで灯篭のように並べていく。


それを見た朔が


「手伝います」


と懐中電灯を受け取り並べる。


その間に、海翔は朔丸の遺体をそっと、地面におろした。


教授はキャンプ用品と思われる

小さい折りたたみテーブルを広げ

上に白い布をかけた。


そこに榊と酒と塩を置くと

おもむろに祝詞をあげ始める。


「かしこみ、かしこみ申し上ぐ。

古よりこの地に結ばれし契りは、

村人の安寧を願い、

水の恵みを乞い奉るものなり。

されど、その契りは人の手により乱され、

神託の日にあらずして婚儀は執り行われ、

契りはいまだ成らず。

されど、生贄の身は神へ捧げられ、

その魂の一部はなお神のもとに留まり、

その身は永き年月、ご神体として祀られたり。

されど今、

深瀬の里はすでになく、

人の営みもまた水底に眠る。

契りの始まりし地は失われ、

守るべき村もまた失われたり。

ここに、ご神体たる朔丸の身を

御前へ返し奉る。

願わくは、

この未だ成らざる契りをここに解き、

人と神との縁を終え給え。

その魂を人の世へ返し、

その身を水へ還し、

互いの時を再び歩ましめ給え。

これにて契りは終わる。

かしこみ、かしこみ申し上ぐ」


そして淵に向かって一礼をする。


祝詞を上げた場所が崖の上だったため、

教授は海翔に伝え、

朔丸の遺体を崖の下へ運ばせた。

そして水際から、そっと朔丸の遺体を川の上に浮かべる。

挿絵(By みてみん)

淵に沈んでいく朔丸の顔を見ながら

「……朔丸」

そう教授がつぶやく。


それは朔の耳に届き、朔は教授の顔を見た。

すると教授は切なそうな表情を浮かべ、

目には涙を浮かべていた。

朔は目をそらし、ある確信を胸に抱いていた。


教授は淵を静かに見つめ続けた。

滝の音だけが響いている。

やがて、小さく息を吐く。

「……これで、すべてが終わった」


そして、朔と海翔の方をみて

「では、諸君、帰ろうか」

そう穏やかな表情で促し、祝詞の道具をリュックにしまって

ふもとへの道を下って行った。





「ホテルまでどう向かおうか?」


海翔が朔に相談すると、教授が


「佐々木さんが迎えに来てくれている。

 一緒に乗っていくといい」


そう言うと、スマホを取り出し電話をかけ始めた。


それから3分もしないうちに佐々木が車で現れた。


「いやぁ、すまないね」


教授がお礼をいうと、佐々木は人の好さそうな笑顔を浮かべ


「いえいえ、全然。

 いつもお世話になっているのはこっちなんで。

 海翔君も朔君もお疲れ様。

 さぁ、乗って乗って」


そういうと、さっさと教授の荷物や朔、海翔の荷物も後ろのトランクに詰め込み

3人を車に乗せると出発する。


車にはエアコンが効いており、朔や海翔はほっと一息ついた。


「やぁ、お疲れ様。朔君も海翔君も疲れてるね~。

 一日、歩き回って疲れたでしょ?

 どうだった?何か収穫あったかい?」


悪意のない佐々木の質問に、朔は笑顔で答える。


「えぇ、すごく収穫ありました」


「へぇ、どんな?」


「長年の課題が片付いたというか……」

そういい、朔は海翔と目を合わせる。


海翔は、


「そうだな。こんな体験二度とないです」


そういって朔に微笑みかけた。


そんな朔と海翔の様子を教授は、助手席からバックミラー越しにみて

静かな笑みを浮かべ、ふと外をみる。


車窓からは遠ざかっていく景色が見えた。

空に浮かぶ見えない月が全体を優しく包んでいるようだ。

教授は胸の中でそう感じていた。


そして、教授は自身がかつて慈円として生きていた日々を

回想していた。


朔丸が腐らぬ遺体となりご神体として祀られてから、

慈円は毎日、朔丸のもとへ通った。

雨の日も風の日も、欠かすことはなかった。


朔丸のもとへ行くのは決まって一日の勤めを終えた後だった。

慈円は、眠っているかのような朔丸を前に、

話しかけるのが日課となっていた。


「今年は稲が豊作だったよ」

「今日は、境内を流れる川に蛍が出ていた」

そう日常の何気ない出来事をぽつりぽつりと話し続ける。


朔丸はもちろん何も言わない。

ただし、慈円の耳にはまるで朔丸が


「そうですか、よかったですね」


と答える声が聞こえているようだった。


朔丸が無くなってから5年たち、10年たった。


「弥吉は、僧侶になったよ。将来は私の後を継いでくれるだろう」


「千代若は還俗して結婚した。この間、子も生まれたそうだ。

 今度お前に、子供の顔を見せに来るそうだ」


朔丸のかつての友人たちの近況も伝える。

そうしながら、毎日朔丸の顔を見る。


朔丸だけは年をとらず、時があの時のまま止まっていた。


「私は間違っていたんだろうな。あの時、もう少し村人たちを止めていれば

お前はこのように留まり続けることはなかったものを」


時折悔恨をにじませつつ、慈円は朔丸に話しかけ続けた。


そして、朔丸が生贄になって30年がたち、慈円75歳の時、

慈円は、朔丸の遺体の前でその生涯を閉じた。


遺言は

「朔丸がその姿が衰えぬままご神体になっていることは、外部の人間に決して漏れることがないようお触れをだしなさい。いたずらに、その身をつかわれることがないように。

さもないと、村に災いがおきると言い伝えよ」

だった。そして、

「朔丸、すまなかった」

そう言い残すとこと切れたのだった。

「――ようやく終わらせられた」

教授はそういうと目を閉じる。


それを聞いた朔丸は教授の方を見た。

教授は一瞬目を閉じ、そして窓の外をみている。

その表情は安らかだった。

そしてそれをみた朔もまた、ほっとした気持ちに包まれていた。


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