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蒼ノ旅人 ー蒼風のヘルモーズー  作者:
『オルカストラ』編〈1〉
80/139

第72話 VSアエル 

加筆修正して再投稿

 僕がアイリ村に来てから、五日目の昼。遠くに大きな暗雲が視認できる、しかし晴天の中で、僕は一昨日の晩に約束していた、アエルさんの『剣術指南』を受けていた。


「はあッ!」


「まだまだ!」


 腕をしならせる、独特の剣術。剛を地で行っていたトウキ君とは真逆の速剣。

 それを模擬戦形式で叩き込まれている。

 僕は模擬戦を始めてから三時間が経過してもなお、手加減をしてくれているアエルさんに一撃も与えられず、額に玉のような汗を滲ませていた。

 僕が繰り出す渾身の上段斬りを、直撃する『スレスレ』の所で、身体を斜めにして回避したアエルさんは、僕のガラ空きの手首に木刀を打ち付ける。


「〜〜〜〜ッ! ガアアッ!」


「なんと!」


 痛烈な一撃を歯を食いしばって根性で耐え切った僕は、まさか今のに耐えるとは、なんて顔をしているアエルさんに、全身全霊、横薙ぎの斬撃を放つ。

 空気を切り裂きながら右脇腹に向けて猛進する、魔獣すら悲鳴を上げてしまうほどの威力が込められている薙ぎ払いを、アエルさんは冷静に剣を盾に構え、真正面から受け止めた。 


「ぬうっ!?」

 

 横薙ぎの攻撃。それを長年の研鑽で熟達している防御で受け止めたアエルさんは、県に込められていた絶大な威力を殺し切ることができず、致命的なまでに身体を宙に浮かせてしまう。

 それをカッと見開いた目で認めた僕は、薙ぎ払いの余韻を使って肘を引き、剣突を繰り出すために背後に力を溜め込む。まるで弓を引くような格好を取った後、瞬きする間に力の用意を済ませて、大型魔獣の頭蓋すら容易に貫く一撃を解放した。


「フゥッ!」


 唸りを上げる高速の剣突が、地に足つかないアエルさんの胸部に向けて爆進する。しかし。


「——甘いッ!」


 僕の全身全霊を持って撃ち放たれた剣突が、まるで『上り坂』のように斜に構えられた剣の側面に到達した——その時。

 視界で映った『信じられない光景』を目の当たりにした僕は、愕然と目を見開いてしまった。


「————」


 まるで示し合わせていたみたいに、至極滑らかに。

 僕が撃ち放った剣突が、アエルさんが作り出した『剣の道』を駆け上がっていく。

 宙に浮いた状態だったため、地を蹴っての回避行動はできなかった。

 故に、否応なく『防御』の選択を取らざるを得ない。

 力は僕が勝っている。速さも頑強さも。僕の方が上だった。

 それなのに。

 研鑽に研鑽を重ねた戦闘技術。宝を守るためだけに積み重ねられた、卓越した戦闘経験。 

 今この時、確かにそれが、僕の目を焼いたのだ。


「はああッッッ!」


「ズゥ——ッ!?」


 あまりの絶技。それに魅入られ、時を止めててしまった僕は、前方から迫り来る一撃に防御を間に合わせることができす、アエルさんが放った上段斬りを、右肩に直撃させてしまう。

 腕をしならせて急加速する、独特な剣術。

 速度が乗って殊更に重くなっている剣撃。

 それを防御無しで食らってしまった。

 僕は肩から全身に走り抜けていった衝撃と痛覚によって、右手に持っていた安全のために刃が潰されている鉄剣を地面に落としてしまう。

 ここで勝負あり。

 僕とアエルさんは、お互いに大粒の汗を散らしながら顔を見合わせた。 

 肩を左手で押さえながら膝をついていた僕は、二足で立つアエルさんを見上げるように持ち上げていた首を折り、自身の負けを宣言する。


「参りました……」


「剣術素人にしては、なかなかでありましたな」


 勝利の笑みを浮かべているアエルさんに敗北を認めた僕は、荒れてしまわないように力尽くで整えていた呼吸を盛大に崩し、息を切らしながら勢いよく地面に座り込んだ。 

 かれこれ三時間以上、僕は攻勢に回っていた。

 その全てが、先ほどのような『技』でいなされ、カウンターで仕留められて終わる。

 今まで、その繰り返しだった。

 座り込んだまま休憩に入った僕は、冷えた麦茶を用意してくれたマキネさんに礼を伝えて受け取り、それを「ゴクゴク」と喉を鳴らしながら一気に飲み干す。

 僕の前に腰を下ろしたアエルさんも受け取り、汗として出ていった水分を補っていた。

 息を整えている最中に申し訳ないのだけれど、僕はウズウズとした好奇心に促されるまま、彼が使っていた腕を撓らせる『独特の剣術』の話をする。


「アエルさんが使っていた、ボールを投げる時みたいな感じの、急加速する剣——あれは何なんですか?」


「ああ、それは——」 


 僕が投げかけた率直な疑問。

 それを、コップ一杯の麦茶を飲み切ってから耳に入れたアエルさんは、その話を聞かれて嬉しそうな笑みを浮かべながら、問い掛けに快く答えてくれた。

 曰く、朝から続けていた、模擬戦形式の稽古中。彼が使用していた、腕の『しなり』を利用する独特な剣術の名は『ウォルスルス柔剣術』というらしい。

 その剣術は『世界的』にも有名な流派なのだそうだ。

 案の定、世界的にとか言われているにも関わらず、僕にとっては初耳も初耳。

 今日初めて知ったんですが。そんな他人に見せたくない『無知』を晒してしまっていた僕に、アエルさんは子供に物を教えるような感じで、懇切丁寧に『柔剣術』の詳細を教えてくれた。


 何でも、柔剣術の開祖である『ウォルスルスさん』は獣人。

 スピード勝負の狩猟をのため、華奢な肉体をしている人がほとんどな獣人は、多種多様な人種の中で『比較的非力』な方に入ってしまっているそうだ。

 故に、魔獣退治などの『狩りではない戦闘面』でかなり苦労していたらしい。

 それで、自身に足りていない膂力を補うために、この剣術を開発したという。

 この剣術は膂力を必要としておらず、身体の柔軟性を利用した剣速を重視しているため、比較的容易に習得できるという点で優れており、この流派の門戸を叩く人間は数多いのだそうだ。


「なるほどー。僕も使えるようになれますかね?」


 その話を聞き終えた僕が、話し終えたアエルさんに聞くと、彼はあまりいい顔はせず、正直な結論を僕に述べた。


「今まで打ち合ってみて分かりましたが、ソラさんは型に嵌らない方が力を発揮できる『天才型』だと思いました。貴方の『我流剣術』は、私なんかの技を与える必要もないほど様になっていた。ですから、それを崩してまで、わざわざ柔剣術を扱う必要はないでしょうな」


 嬉しそうな笑顔のまま、模擬戦を繰り返して行き着いた結論を語るアエルさんに、お世辞にも『天才型』と言われてしまった僕は照れ隠しの苦笑を浮かべて頬を掻いた。


「まあ、貴方が柔剣を使えるようになる必要はないと思いますが、対策という点では、この打ち合いにも意味はあるでしょう。休憩が終わったらもう一戦、どうですかな?」


「はい! お願いします!」


 アエルさんとマキネさんの三人しか居ない屋敷の庭で、気合の入った張りのある声を上げる。

 それから数分ほどして休憩を終えた僕達は、お互いに剣を構えて、後退してなるものかという意志を共にし、足腰に全力の力を込めた仁王立ちを取る。

 稽古というにはあまりにも力の入りすぎている、手加減なし——本気の『戦闘』を開始する。


「行きます!」


「いつでも来なさい」

 

 それが合図となって、僕は暴発しそうなくらい右足に溜め込まれていた力を一気に解放する。

 薄力が一面に敷き詰められている美しい芝生は、人外の脚力を全開にした僕の大踏み込みに耐え切ることができず、小規模なひび割れを作ってしまっていた。

 そして、僕が思いっきり地を蹴ったのと同時に、小さい爆砕音が辺りに鳴り渡り、蹴り飛ばされた土塊が後方に勢いよく飛び散る。

 常軌を逸した凄まじい加速。

 それを以て前方に飛んだ僕に対し、応戦の意を確固としていたアエルさんはカッと目を見開き、右手に持った剣を肩を回して背後に溜めた。

 物を投擲をするかのように振りかぶった姿勢を取った彼は、左足を軸にして、一直線に突進してくる僕に狙いを定め、高速の上段斬りを繰り出した——!!


「ヌウゥンッッ!!」

 

 前傾姿勢を取る僕の視界に迫る、柔軟すぎる肩を余すことなく使った、しならせた腕から放たれる急加速する斬撃。

 対し、僕は彼が一瞬で振り下ろすだろう『剣の刃』を狙った、渾身の剣突を放つ。


「はああああッ!!」 


 お互いに背に溜められた一撃を衝突させる。

 一秒でも長く力を溜め込まれたアエルさんの一撃の方が、この勝負では有利かに思われた中。

 心から尊敬している友の『鬼拳』を真似して編み出された僕の剣突が、長年の研鑽を積んできた彼の一撃を上回る。模擬戦が行われてから初めてとなる『先制』をもぎ取った。


「——なんと!?」


 一撃の勝負に押し負けたアエルさんは、身を襲う甚だしい威力を殺すために後方に向かって足を進ませる。僕はそれを彼の絶対防御を崩すための隙だと即断し、畳み掛けるように肉薄。 縦横斜突。

 瞬く間に複数の斬撃を繰り出し、目の前にいる強者に一撃を与えようと力を尽くした。

 しかしアエルは、その程度の些細な隙を、素人同然の相手に突かせるような弱者ではない。

 アエルは悲鳴を上げる全身の力を『ビキビキ』という不快音と共に強引に引き出して、怒涛の勢いで自身に向かって迫り来る、慄いてしまうほどの強速斬撃を防御し続けた。


「——ッ!」


 アエルさんの防御が硬すぎる! 

 こんなに攻め立てているのに一撃を与える隙が見当たらない! 

 柔剣術以前に彼が積みかさねてきた難攻不落の防御技術が、守るためだけに磨き抜かれてきた彼の軌跡が、戦闘素人の若輩である僕なんかとは隔絶してしまっている! 

 どうすれば、これが超えられる!? どうやれば、僕は彼を超えて——


 一歩先に行けるんだ!? 


「甘いッッ!」


「——ッ!?」


 縦横無尽に攻め立てていた僕の隙を、正確無比に突いてきたアエルさんは、迫り来る攻撃の隙間を軽いステップで縫い避けて、僕の十八番である『剣突』を、僕自身に到達させてしまう。

 それを全身の力を使い、額に筋を浮かべながら回避に成功した僕は、今度は打って変わって守勢に回らされてしまった。

 腕を鞭のように使い放たれる斬撃を、刃を食いしばりながら必死に防御していく。

 攻勢に転じるための苦肉の策。

 それを怒涛の攻撃のせいで、動きを鈍らせてしまっている頭に考えさせるものの、結局この状況を打開するための手立ては浮かんでこず、僕は思考を切り上げて目の前のことに集中した。


 何とかして隙を作らないと、このままだと見るも無惨に切り刻まれてしまう。

 どうすれば、この強者から隙を作り出せる? 

 どうすれば、鉄壁を誇る相手に一撃を与えられる? 

 この勝負に風なんて卑怯な手は使えない。魔法なんか使えた試しはないし論外だ。

 ただ全力で剣を振るうのみ。戦

 闘技術で完敗してしまっている僕に残されている勝利条件は——


 彼を上回る身体能力を全開にすること?  


 いいや、違う。一撃だけでも。

 たった一撃だけでも、彼の防御技術を僕が上回ることだけが、この勝負の勝利条件。

 やれるのか、ど素人の僕に。できるのか、弱すぎる僕に。

 いいや、僕にはやるしかない。やらなければ、失望される。

 弱いままは嫌だ。

 だって、弱ければ僕はこの憎悪を晴らすことができないじゃないか。

 あの魔族どもを血祭りに上げること。それが僕の目的。僕自身の夢。願い、願望。

 だから、やるしかない。やるしかねえんだよ。

 やれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれやれ——やれっ!!


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」


 僕は剣を持った右腕を『メキメキ』と嫌な音を鳴らしながら筋張らせ、攻勢に回っていたいたアエルさんの剣身に、全身全霊の『渾身の一撃』を与える。

 

「——なっ!?」


 エリオラさんに、トウキ君とカラス。人間離れした、正真正銘の強者達の死闘を目の当たりにしてきた、今の僕に出来ること! 

 甚だしい弱者である、今の僕なんかがやれること!

 それは、ただひたすらに旅の中で積み重ねてきた、友との日々の記憶を体の奥底から引き出して、雷のような強さ秘めた、強すぎる彼を全身で真似することだけ!


 彼の強さを持ってすれば。 

 目の前にいるアエルさんなんかに負けるわけがない——ッッッ!!


 攻勢を崩されたアエルさんは目を見開きつつも、眉間に力を入れて、崩れた体勢を立て直す。

 しかし、先程以上の迫力を周囲に発しながら、怒涛の攻勢に転じた僕に対し、彼はどんどん背後に押されて行ってしまう。

 無尽蔵に繰り出される連撃の『一つ一つの威力』が尋常ではない。

 彼は目玉を飛び出さんばかりに瞼を開き、僕の袖を捲られて露出している筋張った右腕を見て、かなりの肉体負荷をかけて無茶をしていることに気づく。


 耐久戦にさえ持ち込めば勝てる。

 そう確信したアエルは、ソラの目を見て、その意思を一変させる。

 泥臭さを覚えるほどに勝利だけを求めている少年の、勇姿。

 それを目の当たりにした一人の武人は、ニッと盛大な笑みを作り出し、強者の領域に足を踏み入れんとする少年の意志に応えてしまう。


 それが決定的な『隙』となって——二人の勝負は決した。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


「ヌウゥゥッ!?」


 豪速で突き出された剣先が、アエルさんの構えられた剣の側面に到達。

 その絶大な威力を流し切れなかった彼の鉄剣が耐久限界を迎えて盛大に砕け散る。

 武器の上半身を失ったアエルさんは、あまりの衝撃で姿勢を崩してしまい、それを追うように僕が地を蹴った。

 自身の間合いまで肉薄した僕は、右肩を回して剣を背後に溜める。 

 そして放たれる、腕のしなりを利用した高速斬撃の名は——

 

 ウォルスルス柔剣術


「はあああああああああああッッッ!!」


「グウゥッ!?」


 僕が放った急加速する一撃は、アエルさんが行使した防御を優に置き去りにし、彼のガラ空きの左肩に到達する。

 寸でのところで出来る限り威力は殺したものの、刃の無い鉄塊を打たれた左肩からドグッという重低音が鳴り響き、そこから走る激痛から彼は尻餅をついてしまった。

 

「はははははははは! こんなに早く、私を超えてしまうとは思わなんだ! いやぁ、参りましたぞ!」


 肩を押さえながら立ち上がったアエルさんは、口を大きく開けて笑い声を上げる。 

 それを息を切らしながら聞いていた僕は、顔を勝利の喜びに染めて、歓喜の砲声を上げた。


「よっしゃあああああああああああああああああああああああ!!」


 強者への勝利の実感は、瞬く間に僕の全身を駆け巡り、身体の奥底から源泉のように全能感を湧き上がらせてくる。

 一時だけ、全能感と勝利に酔いしれてしまっていた僕は、柔和な笑みを浮かべている二人の人目も憚らず、弾けんばかりの笑顔で掻いていた汗を散らした——


 + + +

 

 地上を照らしていた太陽が彼方の空に落ちていったせいで、辺りの空気は徐々に冷えていく。

 遠くの空が朱色に染まっている。しかし、こちらの空は雷雲が立ち込める暗い色だ。

 アエルさんへの初勝利後、ほぼ互角の戦いを繰り広げることができていた僕は、実感できる成長を手に入れて、満足げな顔のまま、昼過ぎまで続いた模擬戦稽古を終える。

 僕と同じくらい満足げな表情をしていたアエルさんの、今日は祝いですな、という一言を聞いたマキネさんが、丹生込めて、豪勢な料理を用意してくれた。

  牛のステーキと、バターとチーズがたっぷりと使われたサンドイッチ。それによく分からない緑色のフルーツゼリーと、カラメルが大量にかけられたプリン。

 それらを満腹になるまで食し、ことさらに満足げな表情に磨きをかけた状態で湯に浸かり、休息のために部屋に戻った。


「ふぅ〜〜〜」

  

 換気のために窓を全開にしてからベットに腰掛ける。模擬戦式稽古で、山のように積み上げられた疲労感を取るために、そのまま両腕を広げて寝転がった。

 目の前に広がっている木目調の天井にある、人の顔のような不気味な染みを、無意味に目で追って数えていた僕は、パチパチと瞬きを繰り返した後、そっと目を閉じた。

 今日は朝から昼過ぎまで模擬戦稽古を続けていたんだけど、稽古を見るために朝から屋敷を訪ねてきたロンが、村の花壇に植えられた花の世話をしに行くと言っていたアイネさんについて行ったっきり、帰ってきていない。

 

 もしかしてだけど、二人で駆け落ちとか——

 

 昨日の話を聞いていた自分としては、有り得なくないと思うんだよなぁ。

 何かあったのかって考えると心配になっちゃうし。

 駆け落ちしたって言うなら追いかけることはできないし。

 アエルさんとマキネさんは心配している様子ではなかったから、大丈夫なんだと思うんだけどさ。


 でも、二人ともどこ行ったんだろ?


「…………ん?」


 ふと、窓から部屋の中に入ってきた、生暖かい不気味な風に意識を引っ張られてしまった僕は『なんだ?』と怪訝に思いながら慎重に窓の方に歩み寄った。

 まるで何かを伝えているような『妙な風』に惹かれるまま、僕は開け広げられた窓からそっと顔を出した。


「……雨か」


 窓の外の景色を頻りに首を動かして眺めていると、ポツポツと水滴が空から降ってき出した。

 さっきのは雨前の湿気を孕んだ風だったのかな? 

 と思いつつ、雨水が部屋の中に入ってこないように窓を閉めようとした——その時。

 遠くから屋敷に近づいてくる、二つの人影を、僕は視認した。

 やっと、ロンとアイネさんが帰ってきたのか。

 僕に気づいていなさそうな二人に、おーい、と声をかけようとして。

 風に乗ってくる二人の『暗い雰囲気』を敏感に感じ取った僕は寸でのところで口を塞ぎ、誰にも見つからないように身を隠した。

 その状態でしばらく待っていると、屋敷の庭先から二人の話し声が聞こえてくる。

 僕は悪いとは思いつつ、耳に神経を集中させて、聞き耳を立てた—— 


「ロン、一緒に逃げましょう? 今なら誰も追っては来られないわ。

 お父様はソラさんとの稽古で疲れ果てて眠ってしまっているはず。

 マキネなら私達が故郷を捨てて逃げても理解してくれるはずよ……」


「…………」


 こ、これは間違いなく『駆け落ち』の話だな。

 言葉の節々に覚悟を感じられる。アイネさんの声音的に、彼女は家族を置いて行ってでも、ロンと二人で村を出て行くという覚悟は固まっている様子。

 しかし、迷っているような雰囲気を醸し出しているロンの方は、家族を故郷に置いて行くことを躊躇っている様子で、一歩、村の外に踏み出せずに足踏みをしてしまっている感じだ。

 昨日の夜、彼とした話的に、彼は、アイネさんが切り出した『駆け落ち』を断ったことを後悔している様子だったし、もしかしたら、今ここで二人は——


「…………できない。僕は弱い。君を守り切れるかわからないんだ。皆んなを、アエルさん達を心配させてしまう……」


 決断を躊躇ったロンが言い放った、断りの言葉。

 それを正面から聞かされたアイネさんは、彼の発言から数瞬の間を開けて「グスッ」という嗚咽を漏らしてしまった。

 まるで、ここだけ時が止まってしまったかのような、芯まで冷えつく静寂が、恋仲止まりの男女の間に流れていく。

 そんな煮え切らない二人を天が引き裂きにきたかのように、極光を放つ稲光が暗い雷雲の中を走って、夜の暗闇が満ちかけている辺りを煌々と照らし、ゴロゴロという雷鳴が轟渡った。


「そ、っか……。ごめんね、ロン。いきなりこんなこと言って。……また明日、おやすみなさいっ!」


 気付かれないように、そっと窓辺から顔を覗き出した僕が見たのは、大粒の涙を散らしながら、走って屋敷の中に入っていくアイネさんの姿と、土砂降りの雷雨になってしまった外で佇む、俯いた状態で動かないロンの姿だった。


 彼はしばらくの間、呆然と豪雨に打たれた後、俯いたまま何処かへと歩いて行ってしまった。 去っていく友の背中を見つめていた僕は、何とも言えない気持ちになりながら、雨が入ってくる窓を閉めた。

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