第70話 乙女は不安を抱え込む
魔獣狩りを終え、夜の二〇時すぎにアイリ村に帰還した僕達は、家族であるロンとロウさん屋敷に泊めさせてもらっている僕のアエルさんの二手に分かれて、それぞれの帰路に着いた。
馬を手で引きながら屋敷へと向かう僕達に、村の警備をしている自警団の男性たちが、お疲れさんと、労いの言葉を掛けてきてくれて、そんな彼らに僕も「お疲れ様です」と言葉を返す。
それから十数分ほど歩き、屋敷に到着。僕達は庭にある作りのいい馬小屋で苦労をかけた馬たちを休ませる。そして庭に出てきていた、寝巻きのワンピースの上にカーディガンを羽織っているマキネさんに出迎えられなファラ、狩りの疲れを癒すべく、屋敷の中へと入っていった。
「ソラさんは、やはり私の見込んだ通りの方でしたな」
「あはは……」
大人数人が入れるくらい大浴室。そこで、引き締まった筋肉質な肉体を晒しているアエルさんに、しっかりと筋肉がついた背中を流されながら、見込んだ通りの方だなんて褒められている僕は、慣れない賞賛を浴びて、どう言うべきかが分からず、ただ空笑いばかりを返していた。
親ぐらい年齢が離れていて、しかも『オルカストラの貴族』だろう彼に背中を流されているというマジで意味不明な状況に、僕の脳を動かしている歯車は『ガタガタ』と動きの精細を欠いてしまっており、まともな思考が取れないまま、今度は僕がアエルさんの背中を流し始める。
「見たところ、ソラさんは私以上の『身体能力』をお持ちの様子。
しかし、その能力を『扱い切れていない』と私は思いました。して、どうでしょう? 明日は用があるので無理なのですが、明後日に私が剣術を教えるというのは」
「け、剣術ですか……?」
彼からの唐突な提案を聞き、僕は糸瓜のボディタオルを使って身体を擦っていた手を止める。
「ええ。光る物を持っているソラさんには『技術』が足らないと私は感じています。
それは貴方が戦いを始めてから間もないせいなのでしょう。
貴方は時間さえ掛ければ『三英傑』のような御仁になるやも知れません。しかし、この荒波の時代の中を『旅』していくのであれば、貴方は足らないものが目立ち過ぎている。
悪意ある実力者が一眼見れば、そこをついてくるのは火を見るよりも明らかです。これは私の老婆心の様なものですので、断っていただいても構いませんが——どうされますかな?」
僕は、頭を洗っているアエルさんが言う『正論』に時を止め、ガタついていた歯車を動かして思考を回し始める。
アエルさんの言っていることは——気になる点はあるものの——全面的に正しいとも思う。
僕はつい最近まで武器なんてものを握ったことがない、一般常識だと万人が言うくらい超有名な『勇者や加護』についても知らない、本当にどうしようもない世間知らずの田舎者だった。
何もかもを知らない、分かっていない無知のまま、十数年間も農作業や家事しかしてこなかった僕なんかが、戦闘の技術なんて大層なものを習得し
そんな素人と変わりない僕が行ってきた今までの戦闘は全て、僕の他を抜きん出た身体能力を乱暴に振り回していただけの『子供のゴッコ遊び』の様なものであったに違いなく。
それを武芸を積んだ者が一目見れば、幼稚と形容されるに決まっている。そこで思考を終えた僕は、目にグッと力を入れて、石鹸で泡立っている頭を湯で流しているアエルさんに言った。
「是非、お願いします——!」
石鹸の泡を流し切り、前髪を勢いよく掻き上げたアエルさんは、僕の気勢のある返事を聞き、口を弓形にした。
+ + +
大きな浴槽の湯に浸かって、魔獣狩りの疲れを取り終えた僕とアエルさんは、湯が冷めないように外で日の管理をしていたマキネさんが戻ってくるのを食堂の方で待ち、しばらくして厨房に現れた彼女が用意する、これまた美味な夕食で舌鼓を打った。
食堂のいつもの席に座り、寝る前のホットミルクを飲んでいるアイネさんと、僕達が夜食を食べ終わるのを上座の後ろで直立して待っているマキネさんの二人に、アエルさんは僕の今日の戦果を嬉々として聞かせ始めてしまい、僕は小恥ずかしさで頰を掻いた。
まるで自分のことかのように、笑みを浮かべながらその話を語っている彼に対し、マキネさんは微笑し、アイネさんは何か思うところがあるのか、考え込むように視線を下に向けていた。
「ご馳走様でした」
食事を終えて、マキネさんがする食器の後片付けを最後まで手伝った僕は、休息前に歯を丁寧に磨き、就寝するわけではないけれど、休息を取るためだけに部屋に戻った。
部屋の中。
壁に立て掛けておいた鏡面剣を手に取り、ベットに腰掛けて、布を使って手入れを始める。
斬断した時に付着した魔獣の血は、風の加護で綺麗に落としている。
だから『ぱっと見』だと汚れていないように見えるんだけど、鏡面が少しだけぼやけてしまっているから、今から艶出しのための乾拭きをしようというわけだ。
僕は剣身の側面に熱い息を掛けて曇らせ、そこを丁寧に乾布で拭いていく。表面に所々傷の入っている鏡面剣を見て、僕が行ってきた酷使の程をしみじみと感じる。少しだけ刃が欠けてしまっている箇所を認め、愛剣の寿命が短いことを何となく察した僕は、哀愁で眉尻を下げた。
「……よし」
乾拭きを終え、鏡のように、天井に吊るされているランタンの光を反射する、僕の相棒。
煌めく光沢を取り戻した鏡面剣に笑みを向けた僕は、それを鞘にしまい、壁に立て掛けた。
時間にして十数分の作業。
部屋に時計はない。体内時計的に、現在時刻は二十三時を回っているか。
もう夜が遅いし、そろそろベットで横になって休もうかと思う、僕は椅子の背もたれに放っていたコートの両袖にハンガーを通し、壁に埋め込まれているフックにそれを掛けた。
「後は——」
僕は、机の側面に備え付けられていた専用の棒を使って、部屋の中を煌々と照らす、天井に吊り下げられている火が灯されたランタンを手に取った。
そして、火を消すために机に置いた——その時。
部屋の扉の向こう側から『コンコン』という弱々しい打音が鳴った。こんな夜遅くに部屋の扉をノックされてしまった僕は、誰だ? 何の用だ? と思いながら、扉の方に足先を向けた。
「ソラさん、少しだけ、よろしいでしょうか?」
一体誰なんだろうと訝しげに扉のほうへ歩いていく僕に耳に届いたのは、透き通った女性の美声だった。この澄んだ声は間違いなく、アイネさんのもの。
こんな遅い時間に、一体どうしたんだろうか?
僕は早足で待たせているだろうアイネさんの方へと向かい、ドアノブを下げて扉を開けた。
「……?」
鍵なんてない扉を開けた先、月明かりだけが闇をを照らしている廊下にポツンと立ちながら、僕が応答するのを待っていたアイネさんは、マキネさんが着ていたものと同じ、寝巻きであろう白色のワンピースを着用しており、その格好から、彼女は就寝前にここに来たこと分かった。
暗い夜闇を身体に纏わせている彼女は、呼び出された僕が扉を開けて顔を出したというのに、無反応のまま、暗い顔をしながら黙りこくってしまっていた。
何事だ? そう目を点にしていた僕は眉尻を困った様に下げて、訝しげながら口を開いた。
「あの、どうしました? 部屋に虫でも出ましたか?」
僕の困惑を耳に入れ、ゆっくりと暗い顔が上がる。彼女は僕になにか言いづらいことを言おうとしているのか、ぱくぱくと口の開閉を繰り返し、数分ほどかけて、なんとか言葉を発した。
「……あの、今日の父、おかしくありませんでしたか?」
「は? え、えっと。それは分からないですけど、んー、今日はなんか優しいなって、思ったりしたかもですね」
「そうですか……」
無理やり搾り出したような返答を聞いたアイネさんは、何かに怯えるような顔で俯き、両手を胸の辺りで組んだ。怯えた顔。それを見た僕は、失った『友人』の顔を思い出す。
もしかしてアエルさんが——そう思った瞬間、僕は無意識に彼女の肩を掴んだ。アイネさんは急に力強く肩を掴んできた僕に驚き、別の意味で怯えた顔をしながら後ろに下がろうとする。
しかし、僕の後悔と恐怖の『目』を正面から見せ付けられて、その動きを止めて息を呑んだ。
「アエルさんの様子がおかしかったんですか? どんなところが? 何でおかしいと思ったんですか? どれだけ些細のところでもいい、おかしかったところがあるなら僕に言ってください。一人で抱え込んだら駄目だ……っ!」
「ソ、ソラさん、違うんです! 私が言っているのはそういう意味ではなくて。ソラさんに対して、父が優しすぎたところが気になって、その話をしに来ただけなんです!」
只事ではない必死な形相と震える声音。後悔と憎悪、そして瞋恚の炎。
全く平常心ではない僕に真っ向から言い寄られてしまったアイネさんは、たじろぎながらも僕を説得するように物を言い、肩を掴んで離さなかった僕の腕を掴み返し、強引に振り解いた。
そこで『ハッ』とした僕は、自分が我を忘れて暴走していたことに気づき、愕然と意気消沈しながら、怖がらせてしまったアイネさんに謝罪の言葉を絞り出す。
「す、すいません……アイネさん……僕……」
「い、いいんです。ソラさんには何か事情があることは汲んでいますので、気にしないでください。先のことで気に障ってしまったのなら、本当にごめんなさい。私のこれは何でもないんです。こんな夜更けにお邪魔してしまって、申し訳ありませんでした。おやすみなさい」
そう言って、アイネさんは僕の部屋の灯が差さない、廊下を満たしている暗闇の中へと入っていた。
僕は頭の中で再び流れ出した絶望に対し、恐怖に怯えるように自分の身体を強く抱き締める。
そして、息を震わせながら何とか部屋の扉を閉め、ランタンの火を消した。
光源を失って夜闇に一瞬で埋め尽くされた部屋の中。
置かれたベットに入って身体を丸めた僕は、お化けに怯える子供のように。
ただギュッと目を瞑りながら、執拗に襲い掛かってくる絶望を耐え続けた——




