第66話 必ず恩は返します
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ロンさんとアイネさんの二人に肩を持ち上げられる。地に足付かない宙吊り状態となった僕は、この村——今のところ名称不明——の村長の、立派な三階建ての邸宅へと運ばれていった。
吃驚するほど息が合っている、年頃の男女。
それに『せっせせっせ』と運ばれる僕は、屋敷の三階、広い空き部屋のベッドに寝かされた。
ベッドで横になった途端、極限の疲労からくる、蛇に全身を締め付けられているような、偏にこの世のものとは思えない耐え難い苦痛に襲われる。僕は腹の奥底から苦悶の声を漏らした。
そんな痛苦の喘ぎを聞いたアイネさんは、
「大変、大変!」
と騒ぎながら部屋から飛んで出ていってしまった。そうして僕が発する痛苦で震えている部屋に取り残されてしまったロンさんは、部屋に置いてあった椅子に腰掛け、突然僕の手を握り、耐えるんだ! という励ましの言葉を連呼しだす。
何なんだよ、この状況は——!!
混沌としてきた場のせいで頭の中がグチャグチャになってしまっている僕のもとに、アイネさんが透き通った黄色の液体が並々と注がれているガラスジョッキを持って部屋に入ってきた。
はあ、はあ、と、
額に大粒の汗を浮かべて、息を切らしながら部屋に入ってきた彼女は、まるで産痛に耐えている僕をロンさんが励ましているような、超が付くほど意味不明な光景を目の当たりにする。
それを『なんて深刻な状況なの!?』という風な目で見つめていた彼女は突然、
「ロン、私に任せて!」
と透き通った声で叫び、手に持っていたガラスジョッキに入っている黄色い謎の液体を、ベットの上で苦しんでいた僕の顔に浴びせた。強引すぎる飲ませ方をされ、ベットで溺れかける。
僕はなんとか口の中に入ってきた『激甘な液体』を全て飲み込み、窒息による死を回避した。
「ゴホッ! ゲヘェッ! ブッ」
鼻奥まで侵入してきた謎の激甘な液体。鼻を擤んで、勢いよく鼻中から追い出す。
そして、謎の液体を強引に飲ませた(?)結果、ゴボゴボゴボと陸上で溺れ掛けてしまった僕が、一件の首班であるアイネさんの方を『マジかこの人』って目で見上げると、彼女は悪意を一切感じさせない、晴れた日の花のような、非常にニコニコとしている笑みを浮かべていた。
「こ、これは……何ですか?」
反省の色なし。ヤバい人と認定されてもおかしくはないアイネさんは、やや天然っぽい雰囲気を醸しており、そんな彼女に顔を引き攣らせてしまっている僕は恐る恐る、今飲まされた謎の激甘液の正体を問いかけた。顔中を粘度のある液体でテカテカにした、悲惨と言える僕の状態を見ても、全く悪びれた様子を見せない彼女は、透き通った美しい声音で僕の質問に答えた。
「これは、蜂蜜と砂糖と搾った果汁をたっぷり使った『今さっき作ったジュース』です。疲れている時には甘いものを摂ると良いと言うので、急いで用意しました」
なるほど。急いで劇物……ゴホゴホ。じゃなくて、栄養満点ジュースを作ってきたから、アイネさんは額に汗を浮かべていたのか。
っていうか、無理やり飲まされたこれって、僕の苦手の塊だったのかよ。超激甘、糖分過多なこれを嘔吐きもせずに飲めたってことは、それだけ体に栄養が足りていなかったってことだ。
そのことに一泊置いて気が付いた僕は、自分が初対面である彼と彼女に多大なる迷惑をかけてしまったと思い、死にたくなるような申し訳なさで目を伏せた。
「迷惑を掛けて、本当にすいませんでした。アイネさん、ロンさん。倒れていた僕を見つけてくれて、助けてくれて——本当にありがとうございました」
襲い掛かる激痛で顔と声を歪ませながら、なんとか上半身をベットから起こす。
謝罪の言葉を述べて、突然の謝罪に目を見開いている二人の方を向き、深々と頭を下げた。
「そんなこと気にしないでくれよ、ソラ。初めましての僕が言うのも何だけどさ、君が無事に生きてくれていたことが、僕は嬉しいよ」
「ロンの言う通りです。ソラさんが無事で私も安心しました。こんなに『大変な時代』なんですから、人々が助け合うというのは当たり前のことですよ」
心からの謝罪。対し、二人は目を見合わせた後、クスッという柔和な笑みを浮かべ、答えた。
二人の柔らかな表情を見て、優しい声を聞いて。人の優しさというものに触れて。
僕は目をうっすらと涙で潤ませてしまう。
それを他人に見せるのは、見られるのは恥だと思って、本音を言えば恥ずかしくて。
涙が外に漏れ出させないよう、僕は服の袖で乱暴に目元を拭った。
後、僕はもう一度、アイネさんが悪意なく丹生込めて作ってきてくれた、激甘々なジュース。
僕にとっては超劇物であるそれを、めちゃくちゃ躊躇いつつも、グイッと一気に呷って完飲。
この屋敷で働いているメイドの『マキネ』さんが作ってくれた、絶品の麦料理を平らげる。
アイネさん「男の子だし」という一言で、高級そうな牛のステーキまで食べさせてもらった。 僕は皆が出ていった部屋の中で汗に汚れた体を拭き、ベットに横たわる。
「…………」
人の暖かい優しさで用意された、沢山の料理たち。それを鱈腹食べると、全身をぎちぎちと締め上げて僕のことを殺そうとしていた大蛇が、完全に姿を消す。
なんとか落ち着きというのを取り戻した僕にあるのは、仰向けになっている身体にずっしりとのしかかっている疲労感と、無意識に瞼を閉じそうになるほどの、凄まじい眠気だけだった。
眠りたくなんてないのに。あの絶望の悪夢に魘されたくないのに。僕以上の力を持ったこの眠気に抗える気が全くしない。ああ、これは駄目だな。耐えられない——……
意識はここで暗転。暗くて暗くて、何もない。黒一色の海の中に、全身を沈めていく。
どうしようもないほど強力な睡魔に手を引かれ、僕は海底へと連れて行かれてしまった。
この睡魔が疲弊して、僕の全身に力が戻ったのは、ロンさんたちと出会ってから二日後。
日付にすれば、九月六日の時だった。
+ + +
「や! 元気になったみたいだね、ソラ。安心したよ」
「ええ。丸一日眠っていましたし、もしこのまま……何て考えてしまって、私は気が気じゃありませんでした」
上半身を起こした僕にそう言うのは、山中で倒れ込んでいた僕を見つけてくれたロンさんと、昏睡状態だった僕が目を覚ますまで、親身に介抱してくれていたというアイネさんだ。
何でも、アイネさんは寝ている僕の開いていた口に、あの劇物を朝昼晩、欠かさずに流し込んでいたらしい。
僕は無意識のうちに『溺死』しそうになっていたのかと、背筋をゾッとさせる。
口の中に残っていた蜂蜜のネバネバと砂糖の甘味を、メイドのマキネさんに急いで用意してもらった水をガブ飲みして腹の底に流し去った。
現在は、山で倒れていた僕がロンさん達に保護され、村に来てから『二日目』の昼前。
時刻は午前十時過ぎくらいだ。
一日を丸々消費して、ようやく目を覚ますことができた僕が、ベットの横に置かれている椅子に座って、コクコクと首を揺らしながらうたた寝をしていたアイネさんに、
「おはようございます」
と呼び掛けて、今に至るというわけだ。
「それじゃあ、ソラさん。準備が出来たら下に来てくださいね。しっかりとした食事を摂らないといけませんから」
「分かりました」
二人の恩人との軽い会話は終わった。二人が出ていった部屋の中で、いつの間にか洗ってくれていた、石鹸の香りがするきれいな服に着替えを済ませる。
そして、久方ぶりに重みが取れた身体を柔軟体操で解し、準備万端な状態で部屋を出た。
僕が扉を開けて屋敷の廊下に出ると、扉の正面、窓辺のところに一人のメイドが立っていた。
縁が細い眼鏡を掛けている彼女は部屋から出て来た僕と視線を合わせると、メイド服特有のゆとりのあるロングスカートの両端を摘み上げて、膝を少し曲げる美麗な一礼を行った。
その畏まったような礼に合わせて、僕は軽く会釈をする。
「おはようございます、マキネさん」
「おはようございます、ソラ様。ご無事で何よりですわ。さ、当主の『アエル様』がお待ちですので、こちらへ」
僕は白と黒と灰色が混ざった普通のメイド服を、まるでドレスのように美しく着こなしてしまっているメイドのマキネさんの後についていき、何段か階段を降り、屋敷の一階に移動した。
一階には、僕に屋根や食事を恵んでくれた村長の『アエル』さんが待っているという。
広い食堂へと入室する。
その食堂に置かれている、長すぎる食卓を使うために備え付けられた豪奢な椅子には、何故か少しだけ暗い顔をしているアイネさんと、赤いマントを羽織った偉丈夫——流石に室内でマントは羽織っていない——この屋敷の主人である村長のアエルさんの二人だけが腰掛けていた。
ロンさんも食堂内に居るのだけど、食卓の上には彼の分の食事は用意されていないようで、扉横の壁際に一人で突っ立っていた。
そんな状況を不思議に思いつつ、僕は椅子から笑顔で立ち上がり、嬉しそうにこちらを見てくるアエルさんに向かって深々と腰を折り、今までの恩を感謝の言葉として真っ直ぐに伝える。
「あんな山の中で倒れ込んでいた僕を助けていただいて、見ず知らずの僕に寝床や温かな食事まで用意してくれて、本当にありがとうございます。いつか必ず、この御恩はお返しします」
僕は深く頭を下げて、心からの感謝を言葉にする。それを真正面から受け取ったアエルさんは、目尻に皺を作り、口角を薄く上げて、顔に柔らかい笑みを浮かべた。
そして笑みのまま、椅子から立ち上がっていた彼は僕のもとまで歩いてきて『ポン』と肩に手を置き、落ち着き払った、大人という感じの低い声音を発した。
「お気になさらないで頂きたい。こんな時代なのですから人助けは当然の事でしょう。それに、ここは私の村なのですから、近くで人死には——ね?」
「あはは……お騒がせしてしまって、申し訳ないです」
冗談っぽく笑い掛けてきたアエルさんに、空笑いするしかなかった僕が顔を上げると、何故か至近距離にアエルさんの顔があった。
「うわっ!?」と驚愕で背中を反った僕は、何故か目の奥を覗き込んでくるアエルさんに、な、何だ? と汗を掻きつつ。しばらくの間、目を逸らさずにじーっと視線を合わせた。
すると、彼は再び『ニコッ』とした笑みを作り、マキネさんがいつの間にか用意していたマントを手に取って、服の肩部分にあるボタンにパチンと取り付け、食堂から出て行こうとする。
「ソラ君。ここを君の実家だと思って、ゆっくりしていってください。では、私は用事を済ませてこなければいけないので。アイネ、留守番をしておきなさい」
「はい……」
アエルさんは暗い顔をしているアイネさんに、冷え切った声音で留守番を言い渡した。彼は態とらしくロンさんと目を合わさず、赤いマントをはためかせながら家から出て行ってしまう。
アエルさんが出て行った食堂には『しーん』という静寂が流れる。
なにか複雑な事情がありそうだな——と、僕は冷や汗を流した。
居た堪れない空気を鼻から吸って吐く僕が、用意してくれている食事を摂っていいものかと悩んでいると、マキネさんは僕の悩みを察してくれたのか、ささっと前に出てきて「食事をどうぞ」と、湯気を立ち昇らせている温かな食事が用意されている食卓の方を手で指してくれた。
そうして豪奢な椅子に少し遠慮がちに腰掛けた僕は、目の前にある焼き立てのパンと、ブロッコリーとジャガイモのスープを空っぽの胃の中に流し込むように一気に食した。
「ソラ」
「——? どうしました? ロンさん」
食事を摂り終えた僕に話しかけてきたのは、今まで彫像のように黙りこくっていたロンさんだ。彼は僕の調子が戻ったことを顔色で確認し、次の言葉を発した。
「元気になったなら、少しだけ『散歩』でもどうだい? よかったら、僕が村を案内するよ」
「ロンの言う通りね。ソラさんは一日中寝ていた訳だから、少しでも身体を動かした方がいいと思います」
彼の申し出を僕が断る理由はない。
なんせ、食事を摂り終えたら外に出ようと思っていたし。
この村の住人であるロンさんが案内してくれるなら、僕にとっては願ったり叶ったりだ。
「じゃあ、ロンさん。案内の方をよろしくお願いします」
「ああ、任せてくれ」
僕は自分の食器の片付けを申し出て、困ったように断るマキネさんを無理やり手伝った。
彼女は僕の強引な手伝いに苦笑していたが、器用に食器を洗っていく僕を見て「お上手ですね」と褒めてくれた。
素直な賞賛を贈られてしまった僕は嬉し恥ずかしで頬を染め、照れ隠しの笑いを浮かべる。
その照れ隠しを見て「くすくす」と笑っていたマキネさんの手伝いを終えた僕は、食堂で待っていてくれたロンさんと合流。
何故か悲しげな表情を浮かべているアイネさんに見送られながら、屋敷を出た。
「いってらっしゃい、ロン、ソラさん」




