第65話 諦めた者に救いの手を
加筆修正による再投稿。
四体の熊型魔獣を約一分ほどで鏖殺してのけた僕は、獣臭い血に塗れた剣を地面に放り置き、腰に差していた剣の鞘で、ザッザッと音を鳴らしながら、死骸を埋めるための穴を掘っていく。
黙々と、粛々と、ただ深くて大きい穴を掘っていく最中、魔獣の血の匂いを嗅ぎつけてきたのか、魔獣とは異なる原生物——肉食の野生動物の群れが突如として僕の前に現れ、穴掘りをしている僕を警戒しながら、地面に転がしていた魔獣の血肉を、くちゃくちゃと喰らい始めた。
餌にありつけず、よっぽど空腹だったのか、一心不乱に魔獣の肉を喰らっている野生動物たちのことを、休憩がてらに観察する。魔獣の肉なんて食べて大丈夫なのか?
前にも思ったそんなことを。特に問題なさそうに魔獣を食べている野生動物たちを見て、僕は魔族を殺してよかった、鏖殺してよかったと、無意識に心癒され、微笑を浮かべてしまった。
そんな、久しぶりの食事を楽しんでいる動物達のことを邪魔をしないように、僕は休憩をやめて穴掘りを再開した。それから小一時間ほどで四体の死骸を埋められそうな穴を掘り終える。
よし、と。
額に浮かんでいる玉の汗。それをシャツの袖で拭い、完成した穴に死骸を埋めるために穴の底から跳躍で勢いよく跳び出ると、魔獣の死骸を持って帰ろうとしている動物たちの姿を見た。
食事を終えて満足した動物達は、急に穴から飛び出してきた僕の姿に驚き、噛み引っ張っていた魔獣の死骸を離して、ババッと距離を取った。
そんな動物達の姿に僕は苦笑して、これじゃあ持って帰れないよね? と語りかける。
中型犬と同じくらいの大きさをしている肉食動物たちが、複数で引き摺って持って帰れる父に、地面に転がしていた血濡れの鏡面剣を、闇に染まった暗い眼差しで拾い上げ、過呼吸気味になりつつも、魔獣の死骸をちょうどいい大きさに分断していく。
「……はっ…………ふぅ……ば……じ、じゃあね」
僕が切り与えた肉片を咥え、この場から去ろうとしている動物たちを手を振って見送った僕は、張っていた糸が切れたみたいに腰を落とし、掻いてしまった大量の汗を下へと落とした。
しばらくの間、座った状態で浅くなっている息を、深呼吸で整える。
そうして常の状態を取り戻せば、鏡面剣に付着している血を、回転を掛けた風を剣身に纏わせることで一滴残らず振り払う。僕は置いていたリュックを背負って、北への進行を再開した。
移動を再開してから七時間。二十三時を過ぎたくらいの時間に、僕は移動を中断した。昨日と同じように開けた場所で焚き火を行い、心身の芯を凍えさせる冷気に満ちる樹海の夜を凌ぐ。
食事の必要は全く感じなかったので、今日の夜食は抜きだ。昼の内に飲みためておいたから水分補給の必要もないし、今夜はこのまま焚き火の前で膝を抱えて、朝が来るのを待つだけだ。
「…………」
パチパチという音を鳴らす焚き火の炎。それを膝を抱えながら眺める。何も考えていなさそうな僕の頭の中には、しかし、あの日の映像が匂いを感じ取れてしまいほど鮮明に流れていた。
尊い命が流れ落ちた香りが、僕の鼻腔を強く刺激して、目の奥で真っ赤な血の絨毯が床の上に広げられる。その絨毯を作り出したのは、断面から鮮血を溢れさせる、猫の尾。その猫の尾を友の肉体か分断したのだろう血に濡れた斧は、目を塞ぎたくなるほどの嫌な光を発している。
それを目をこじ開けて直視している、恐怖から逃げ続けた滑稽な人間は、その絨毯の上に汚物を吐き出して、嫌だ嫌だと頭を抱え、蹲る。そんな映像が、あの日から、全てが変わったあの日から、僕の頭の中で鮮明に流れ続けている。映像を無理やり開けられて見させられている僕は、奥歯をカチカチ鳴らしながら膝を抱え込み、洗い息を吐きながら長すぎる夜を堪え忍ぶ。 恐らくこれが、友を見捨てた愚かな僕に与えられた『罰』なのだろうと、僕は思っている。
身が震えるほどの寒い夜に一人、息を小刻みに震わせて、奥歯を鳴らしながら膝を抱える僕は、絶望したような表情で、温もりを与えてくれる太陽が起きてくるのを一睡もせずに待った。
あの日から、全てが変わったあの日から、かれこれ五日が経過している——。
一日に数分も眠れない、というか『眠る』という行為を避ける生活を続けている僕にとって、睡眠とは自ら悪夢に魘されにいく恐ろしいものであり、そんな恐怖と絶望に満ちる夢の中に僕一人で行くことなど、今もなお、恐怖から逃げ続けている僕には到底できる行為ではなかった。
こうしてまた。
僕は目を閉じて開けるを繰り返すだけの、ひたすらに闇が広がった虚無が満ちる夜を越す。
* * *
「行くか……」
日の出とともに目を開けて、怯えたように膝を抱き抱えていた僕は、地面から立ち上がる。
昨日と同じように、焚き火をするための掘っていた窪みを土で埋める。
そして、北に聳えている灰色の高山を目指し、移動を再開した。
目の下に隈ができてしまっていることに気が付かない僕は、時折現れる木漏れ日に目を窄めながら、二日ほど歩いているにも関わらず、今だに果てなく続いている樹海の中を歩んでいく。
「……」
下り坂になっている道を、間違っても滑り転げないよう足腰に力を入れながら歩み、目の前に突如として現れた高い崖は、引き抜いた剣を岸壁に突き刺していくことで強引に越えていく。
濁流と言っていいくらい、水の流れが強い大河が道を分かっていれば、川から少しだけ顔を出している岩の上を飛んで進んだ。
日が落ちて闇が満ちれば、開けたところで焚き火に当たりながら休み。
日が昇って闇が晴れれば、北を目指して歩き出す。
邪魔な雑草をかき分けて進む僕の血肉を狙ってきた魔獣どもは、陽光を反射する相棒の鏡面剣で胴体を斬断。頭蓋を拳撃で砕き割り、蹴りの一撃で首の骨を爆砕。鏖殺の限りを尽くした。
どこまでも続いていた広大すぎる樹海。それを『四日間』かけて突破した僕は、乾燥してひび割れてしまっている唇を微動だにさせない無言のまま、たった一人、何もない大草原を歩く。
今日の深夜くらいに、借りのゴール地点である灰色の葉を生い茂らせた無数の木々が山肌を覆い尽くす、ハザマの国のゴルゴン金山並みの標高を誇っている『高山』に立ち入れるだろう。
「…………」
僕は自分が息を切らしていることに気付かない。
足取りが覚束無くなっていることに気付かない。
霞んでいる視界をなんとも思わず。
ただ手で目を擦りながら、一歩、二歩と、なんとか大地を蹴る。
青白いを通り越し、真っ白を顔色をしている、黙々と土を踏んでいく僕の姿は、側から見れば『生きる屍』のようであった。
僕の体力は、とうに尽きている。
僕の心労は、すでに限界を超えている。
しかし、そんな『瑣末』なことを、僕が気付くわけもなく。
北へ北へ。前へ前へ。僕が決めた仮のゴールへと向かい、進んでいく。
何故、あの山に向かって進むのかって?
そんなこと、僕は知らない。
なぜ知らないのか?
そんな、どうでもいいこと、別にいいだろ。どうでもいいんだよ、本当に、
僕はただ、魔族を殺したかっただけだから。この辺にいる魔族が、あの村を乗っ取っていたのだろう『イカ魔族』とは関係がないにしても、所詮魔族は魔族だ。
アイツらが同じ神である『魔神』に創られた存在というのなら、どれも同じに決まっている。
だから殺す。魔族は殺す。魔族が人語を喋ろうが知ったこっちゃない。
魔族は危険だ。危険極まりない存在で間違いがない。
だから人に危害が加わる前に、僕が殺さないと。
そのはずなのに。そのはずなのに。そのはずなのに。魔族は殺さなきゃいけないのに……。
「………………」
視界が白く霞んでいるせいで、目の前が見えない。
足が覚束無いせいで、思ったように前へ進めない。
息が切れているせいで、身体が締め付けられているみたいに苦しい。
これは、限界を超えた疲労のせいなのだと、僕の頭は真っ赤な警告を繰り返している。
ような、気がする……。
そりゃそうだ。
一週間近く、しっかりと眠れていないのだから、疲れているのは当たり前なはず。
だけど。よく分からないけど、理由は分からないけど、僕は全く疲れを感じていないんだよ。
疲れるどころか『心地が良い』んだよ。とてもとても心地が良いんだ。
そのおかげかな、僕は久しぶりに笑っているような気がするよ。
誰も居ない深い深い山の片隅。そこに居るのは僕一人だけ。
とても暗くて、とても静かで、とても落ち着ける僕だけの世界。
まるで幸せで編まれた毛布に直接包み込まれているかのようだ。
僕の心は不安から切り離されている。
笑みを浮かべていた僕は幸せが満ちる心のおかげで、張り詰めて糸を切らす。
すると、僕はいつの間にか地面に横になってしまっていた。
遠くで獣の遠吠えが聞こえたような気がする。
何かの足音が近づいてきているような気がする、
けれど、そんな些細な事を今は気にする必要ない。
今はもう、このまま起き上がりたくないんだよ。
剣を振る体力なんて残っていないから、僕は自力で起き上がることができないよ。
もう僕には、どうすることもできないからさ。
もういいんだ。今はすごく眠いから、全部目を覚ましてからでいいよね。
もう全てを諦めて、このまま眠りに落ちていたい。
もう全てを諦めて、なにもかもを忘れていたい。
あぁ、心地良い。今の僕はとても幸せだから。
だから、もう。ずっとこのままで——……
「——! 君、大丈夫か!?」
「————」
それは奇跡だった。
色々な、複数の偶然が重なって生まれた、奇跡としか言い表せないことだった。
まさか。そんなまさか。僕は荒みきっている心の中で、そんな独り言を零す。
こんな場所まで、こんな辺境にまで、誰の助けが来るなんて、微塵も思っていなかったから。
僕は、僕のもとへと駆けつけてきた複数の足音と、突然の呼び声を受けて、底なしの黒に沈みかけていた己の意識を急浮上させる。そうせざるを得ず、僕は正気というのを取り戻した。
無意識に滂沱の涙を流してしまっていた僕は、ただただ目を見開き、地面に膝をついて地に臥していた僕を支え起こした『誰か』に視線を向ける。
「………………だ、れ?」
ぼやける視界に映し出されたのは、藍色の髪と目をしている、ガタイのいい好青年。彼は僕に意識があることが分かると、緊張させていた表情を柔らかくし、晴れやかな笑みを浮かべた。
「おーい! 人が倒れてる! 意識はあるぞ!!」
疲労困憊で横たわっていた僕を見て、人を呼ぶ叫び声を上げたのは、野太い声的に、中年くらいの男性だった。彼の叫びに呼応するように、複数の足音が僕達のもとに近づいてくる。
「大丈夫かい? 怪我は……なさそうだね。あぁ、僕はロン。よろしくね。吃驚したよ、僕達が住んでいる『村』の近くに人が倒れているなんてさ」
ロンと名乗った青年は僕の背を片手で支え、横たわっていた上半身を起こさせる。
意識を朦朧とさせていた僕がなんとか首を動かして辺りを見回すと、火を灯した松明を持つ、呼び声を聞いた人達が次々と僕のもとに集まってきていた。
「何やってんだぁ、こんなところでよ」
「よく魔獣に襲われなかったな、運のいいガキだ」
「ほら、これを飲んで。ほら!」
背を支えてくれているロンさんに、水筒の水を強引に飲まされた僕は、盛大に咳き込んだ。
しかし、水を飲んだおかげで僕の意識は少しだけ回復。
前が見えないくらいボヤけてしまっていた視界がハッキリと見えるようになった。
「な、何でこんなところに、人が……?」
「こんなとこって、俺達が聞きてえよ」
僕の混乱した口ぶりに、山賊ファッションに身を包んでいる中年の男性が冷静に突っ込んだ。
ここに来るまで、一度も人間とすれ違う、顔を合わせることはなかった。
魔獣と野生動物以外と『会う』ことはなかったのに。
まさか、僕が仮のゴールと決めていた場所に、その近くに、人里があったとは。
一体、どんな奇跡が起きたらそうなる。一体、どんな導きがあればこうなる。
僕は今、自分の身に起きた『奇跡』に対して混乱を催した。
「君、大丈夫かい?」
上半身を起こし、座った状態になっている僕の目前で。
腰を折り、そう話しかけてきたのは、赤色のマントを羽織っている偉丈夫だった。他に失礼かもしれないけれど、周りの人達とは違って気品のようなものを感じられる出立ちをしている。
「……あ……だ、大丈夫、です……」
疲労困憊。瀕死状の態。そんな僕の体調を心から心配してくれている、真摯な目を向けてきているマントを羽織った偉丈夫に、僕は俯きながら辛うじで返事をする。そんな僕を見た彼は何事かを考えるように一瞬だけ動きを止めた後、立ち上がって、周りにいる人達に声を発した。
「私の屋敷に運びなさい。彼を見捨てることはできない」
「へえへえ了解ですよっと。ロン! そいつは頼んだぜ」
彼の言葉を聞いた彼らには別件の用事があったのか、周りから散り散りになって去っていく。
そして動けない僕を、マントの男性の屋敷まで運ぶことになってしまったロンさんは、
「分かりました。あ、君——名前は?」
と、僕の名前を問うてきた。そんな彼に、僕は枯れたような声で名乗る。
「そ、ソラ……ソラ・ヒュウル…………です」
「そうか、ソラって言うんだね。立てるかい? ソラ。僕達の村まで行こうか」
「は、はぃ」
背が高いロンさんは、少しだけ背を曲げて肩を貸してくれた。
僕はそんな彼の肩に体重を掛けて、足をもつれさせつつも、なんとか立ち上がる。
「私達は見回りに戻る。ロン、彼は客人だ。アイネにもそう言いつけておきなさい」
「分かりました、アエル村長」
そう言って、村長と呼ばれた偉丈夫はマントをはためかせながら、火を灯した松明を片手に、魔獣がいるに違いない、山の麓の先、大平原の方へと向かっていった。
そんな彼の背中を見ていた僕は、ふと視線を切り、ロンさんに支えられながら歩いていく。
そのまま十数分ほど北へ、山を登るように歩いていくと、人々の生活光が見えてきた。
それに目を剥いた僕は、驚愕を口から漏らす。
「こ、こんな近くにあったの……?」
「ん? 気付かなかったのかい?」
「う、うん……」
「……そうか。無事でよかったよ」
不思議そうなに僕の顔を見、なぜ気付かなかったんだという顔をするロンさんは、眉尻を下げる僕の、言いづらいという心中を察したのか、何一つ僕の事情を詮索することをしなかった。
そして、山村にしては規模が大きな村に足を踏み入れると、ゆっくりと進んでいく僕達のもとに、大きな屋敷がある方向から、クリーム色をしたロングヘアーの女性が駆けつけてきた。
「ロン! その人が倒れていた人なの!?」
「そうだよ、アイネ。早く彼のために食事を用意してあげなきゃいけない」
「食事はマキネが用意している最中だから安心して!」
額に玉のような汗を掻いてしまっている、声が美しく透き通っているアイネと呼ばれた女性は、ロンが支えている右肩とは逆を肩を体を密着させるように抱き支えてくれた。
そうして、自力では動かせないくらい重くなっていた身体に、親密そうな間柄の二人の男女の力が加わったおかげで、僕は彼女が走ってきた方角にある屋敷——
村長の邸宅へと歩いて向かうことができたのだった。




