第63話 『』
何で何で何で何で。なんで、なんの罪もない友が死ななければならなかったのか。
意味不明。訳がわからない。なぜ僕じゃないのか理解できない。
僕なら大丈夫だった。
たとえ敵に囲まれていても、死に物狂いで逃げ切ることができた。
なぜ、故郷を捨てられない、家族を置いていけない、ただの善良な市民だった友人が被害に遭わなくちゃいけなかったんだ。なんでそんな試練を世界は与えたんだ。
驕っていた。
僕は人を助けられる側の人間なんだって。
思い違っていた。
僕は人よりも強いって。
間違った考えを持っていた。
僕は人より感覚が鋭くて、ありとあらゆる危機を事前に察知できるって。
だけど違った。全部、僕の力じゃなかった。
僕は全て他力本願だった。
誰かに助けられて、生きていた。自分の力なんて、何もなかった。
「ニ……ァ……く……」
気が付いた僕の、うっすらと開かれた、涙でボヤけている視界には、いつかの日に見た、見覚えのある天井が映し出されていた。
僕は今、ベッドに寝かされているのか。
フカフカとした、包み込まれるような感触を背で感じる。
僕の身体の前面には、顔に掛からない程度、鎖骨の辺りまで軽い羽毛布団が掛けられていた。
今の状況を読み取ることができない僕は、なんとか真っ白い靄に埋め尽くされた頭で、現在の状況を確認しようとし、ベッドで横になっていた上半身をゆっくりと起こした——その瞬間。
まるで雷が落ちたような一瞬で、小さき友の死、という夢にも思っていなかった『非情な現実』が、床に置かれた真っ赤な肉の断面を晒している黒毛の猫の尾が、それを切断したのだろう血に濡れた斧が、その匂いすら感じ取れるほど鮮明に、僕の脳内でフラッシュバックされた。
「——ぅぶっゥッ!?」
顔色を急激に変化させた僕は、胃から逆流してきた食道を焼く胃液を口いっぱいに含む。
それが漏れてしまわないよう手で口を塞ぎながら勢いよくベットから転げ落ちて、堪らず床に全てを吐き出した。
「オエッ——ゲエェッ……はっ……うぇっ……っ!?」
床に両手をついて、蹲るように胃の中のものを吐瀉した僕の視界には、床を汚す胃液と、それに混ざる食べた覚えのない果物をすり潰したようなものが映し出されていた。
しかし、そんな些細なことなど冷静に考えてはいられない僕は、現実逃避をするように『あの時』の映像が執拗に流れ続けている頭を乱暴に掻きむしって
「うわあアアアアアアアアアっッッ!?」
と言葉にならない狂声を喉の奥から響かせる。
「嘘だっ! 嘘だアアアアアァァァァッッッ!?」
心身を押し潰そうとしてくる、今まで背負ったことがないほどに、途方もなく重たい『罪悪感』から何とか逃げ出そうとする僕は、割れた額から鮮血を散らしながら、粉々になってしまった床に何度も頭を叩きつける。
僕の狂声と床板の破砕音を耳に入れ、勢いよく部屋の扉を開けて入ったきたこの家の家主は、ソラの自傷行為を見るなり、急いで額と床の間に手を挟み、ソラの動きを強制的に止めさせた。
「ソラ、落ち着いて……」
部屋に入ってきて、自暴自棄なっていた僕の自傷行為を止めたのは、三ヶ月以上前に『ソルフーレン』で別れた、僕の命の恩人である魔法使いの『ルナ』さんだった。彼女は、頭に流れる映像を止めるための痛みを失って、再び胃液を嘔吐し始めてしまった僕の背中を優しく摩る。
「うっぇ……ぐぅっ……ニアくんがぁぁ……」
「ソラ、落ち着いて。ゆっくり深呼吸して……」
彼女の慈愛に満ちた声音を聞いた僕は、ポタポタと大粒の涙を流し、怖いものに怯える子供のように、割れた額を壊れた床に擦り付けて、両手で頭を抱える。
「ソラ、痛いでしょ? 治してあげるから、こっちに顔を向けて?」
僕は彼女の「治してあげる」という言葉を聞いて、勢いよく顔を上げた。まるで唯一の希望を見つけた咎人のように目に光を宿し、期待に満ちた声音で彼女に言う。
「ルナさん……ニア君を、僕の友人を治してください……っ! 僕の友人を助けてあげてください……っ!」
僕に縋るような目を向けられ、風が吹けば掻き消えてしまいそうな弱々しい声を聞かされたルナは苦しそうに眉尻を下げた後、一度瞑目してから、僕の目に宿っていた一縷の希望の光を、現実という非情な暗闇の中に消し去ってしまう。
「死んだ人は生き返らせられない……。ソラの友人を、私が助けることはできないよ……」
ルナの真っ直ぐな瞳で放たれる、その言葉を聞いた僕は、諦念に歪ませた顔から大粒の涙を流し、声にならない声を出しながら蹲った。
頭を抱えて啜り泣く僕の頭を持ち上げ、顔を上げさせたルナは、僕の頭に両腕を回し、顔を胸で受け止めて、ギュッと優しく抱きしめる。
「うっ……ぅぅっ……うわあああああぁぁぁ……」
ドク、ドク、という小さな彼女の胸の中から、規律正しい心臓の鼓動を——命が奏でる美しい音色を聞き、顔で感じた僕は、溢れさせる涙と鼻水で彼女の胸を濡らした。
「うぅぅぅ……。僕の、僕のせいでニアくんが……っ!」
「ソラのせいじゃないよ」
「違う、違う、違うんだよっ! 僕が、僕がぁっ! あの、あの時に……ニアくんを、連れて行ってあげられたら……っ! 僕が手を引っ張って、一歩先へ連れて行ってあげられたら……。あの時、もっと話をしておけばって! 僕が、僕が逃げたせいでぇぇ……っ」
「違う。ソラのせいじゃない。ソラは逃げてないよ」
「何で、何がわかるんだよっ!! 貴方は居なかったじゃないか!!」
「見たの『ソラの記憶』を。あなたに許可を取らずに勝手にやったから、ごめんなさい。でも、だから分かる。ソラは悪くないって」
「うっ、ぐぅっぅ……うぁあああああああああああああああああ!」
彼女に両腕を回し、その胸を滂沱の涙で濡らす僕を、ルナは優しく抱きしめ返す。
ソラは一晩中、止まない雨のように涙を流した続けた。
そんな僕を優しく包み込むルナは、僕が泣き終わるまで「大丈夫。大丈夫だよ」と泣く子をあやす母親のように、僕の悲しみを、その胸で受け止めていた——
* * *
「……もう行くの?」
「……はい」
あの日から——友の死から四日が経過した日の朝。
僕は旅立ちの準備を終えて、ルナさんの家から外に出た。
心にポッカリと開いた穴から、止まない雨が振り続けた時から、後悔と悪夢に魘される日々が続いていた。
まだ心には分厚い雲が残っていて晴れてはいないし、心には大きな穴が空いたままではあるのだけど、ルナさんの親身な献身のおかげで、僕は旅を再開する決心をつけることができた。
もし、これ以上ここに留まってしまったら、僕は母親のような彼女に甘えに甘えて、外の世界を巡る長旅を続けられなくなってしまうような気がした
。正直、それでもいいかなと思った。
けれど、はまだ母さんに「ありがとう」を伝えられていないから立ち止まる訳にはいかない。
それに、僕には旅の目的が『一つ増えた』から、余計に旅を止める訳にはいかないんだ。
「今まで、ありがとうございました、ルナさん」
「ううん。気にしないで」
僕は深く頭を下げて、ルナさんに心からの感謝を伝えた。それを正面から受け取ったルナさんは、柔和な笑みを浮かべて「全然、大丈夫だよ」と首を横に振った。
「歌の国に続く関所まで送って行ってあげるから、私の手に掴まって?」
そう言って、左手で杖を持つルナさんは空いた右手を僕に差し出してきた。それを見た僕は、まさか手を繋ぎながら二人でハザマの国を横断する気なのか? と首を傾げつつも、僕が彼女の右手を握ると、視界に広がっていた風の国の山林の景色が、突然『グニャリ』と歪む。それを視界に収めた僕が「なに!?」と顔を勢いよく上げた次の瞬間、僕は顔を驚愕に染めた。
「…………え?」
「クスッ。これは転移魔法。ここはもうハザマの国とオルカストラを仕切る関所の近くだよ」
僕達を囲うように現れた歪みは、たった一秒で解消したものの、その一瞬の間に、僕が見上げていた空に浮かんでいる太陽の位置が少しズレ、先程までいたルナさん家がある故国の山中の景色が、激動の日々で見慣れてしまったハザマの国の山中の光景に一変してしまっていた。
何が起きたのか分からず混乱している僕に、ルナさんは答えを教えてくれたのだが「転移魔法だよ」というあっさりとしすぎた答えで、魔法の魔の字も理解できていない僕が「そうなんですね」と言って分かるはずもなく、目を回しそうになってしまった僕は、考えるのを止めた。
「国境を越えるまで、見送っていい? ……いや?」
杖を両手で持って下目遣いをする彼女の言葉を聞き、僕は「いえいえ、全く嫌じゃないですよ。ありがとうございます、ルナさん」と返事する。
すると、僕の返事を聞いた彼女は「よかった」と安心したような柔和な笑みを顔に浮かべた。 そして二人横並びになって、北に見えていた関所の方へと歩いていく。
「武器の持ち込みは、腰の剣だけですね?」
「はい」
徒歩数分ほどで関所に到着した僕は、人用の小さな門の前で入国の手続きを行う。
手荷物の検査と、身分証の提示。それに入国料——武器の持ち込みで増額——の支払い。
それらを全て済ませ終えた僕は、歌の国の大地が見える、開かれた門の前で彼女が佇む後ろを振り返り、ここまで送ってくれたルナさんに別れの挨拶と、今までの礼を伝える。
「ルナさん。僕は貴方のおかげで、また歩いていけるんだと心から思っています。今まで、本当にお世話になりました。本当にありがとうございました」
「……行ってらっしゃい、ソラ」
「——行ってきます!」
僕は笑顔で手を振るルナさんに笑みを返し、踵を返して、歌の国『オルカストラ』へと続く門を歩いて通る。
震えるほどに『何も変わらない世界』を視界に収めた僕は、浅く息を吸って吐き、確かな足取りで前へ前へと進んでいく。
遠くで爆発の音がした。それは夏の終わりを告げる花火だった。
心優しいルナさんには見せないように、感じ取らせないようにしていた、心の奥底にひた隠していた『瞋恚に燃える殺意』を、彼女を背にした僕はその目に宿して——
歌の国の土を踏む。
ハザマの国編【完】




