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蒼ノ旅人 ー蒼風のヘルモーズー  作者:
『ハザマの国』編〈3〉
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第59話 奇妙な村

やっぱり、しばらくは2話を1話にまとめようと思いました

 出会い。僕とニア君は、村の中央から先程まで一人でいた、小高い丘の上へと移動した。

 そこで魔族討伐隊——隊と言っても、人員は二人だけなのだが——を結成する。

 そして『魔族討伐隊』がする『今後の行動』についてを、二人で話し合った。

 

「一度、村長さんの所に行って僕が話をしてみるよ」

 

 まずは協力者を増やそう。そう言っている僕に、ニア君は再び暗い顔をして、俯いてしまう。


「みんな「いないいない」って言うから、誰も信じてくれないよ……」


 語られたそれは『失望』だった。頑なな大人達に対する『絶望』だった。

 誰も聞いてくれない。

 誰も動いてくれない。

 誰も信じてくれない。

 誰も、自分のことを、まともに見てくれない。

 小さな子供が持つべきじゃないそんな大人達への絶望が、一端が、彼の口から零れ落ちる。

 よほど誰からも相手にされず、信じてもらえなかったんだな。

 彼の状態を見て、そう察した僕は、内心で自分のことを褒めた。信じて正解だった。

 彼をさらに一人にすれば、病んでしまうと思えたから。だから今に救えてよかった。

 僕は俯いたままでいるニア君を励ますようにその肩を叩き、下を向いていた顔を上げさせた。


「二人でなら、もしかしたら誰か信じてくれるかもしれないよ? だから行ってみようよ」


 眉尻を下げて、不安がる子供を安心させるように柔和に笑ってみせる。

  

「…………分かった」


 渋々納得したようなニア君に、眉尻下げる。とりあえずは村長宅に向かうと決めた僕は、この村に暮らして長いだろうニア君に、どこにあるかが分からない村長宅にまで案内してもらう。

 案の定、凄まじい眼力を村人から向けられつつ、緊張した面持ちで、しかも冷や汗まで掻きながら、僕はニア君の後に続いていく。そして、村の中で一際目立つ家屋の僕達は前に立った。


「ここだよ」


 村長宅に到着。僕は大きな両開きの扉を、ゴンゴンとノックした。しかし、反応がない。

 もう一度、ゴンゴンと強くノックする。しかし、これも変わらず家内からの反応はなかった。


 あれ? 留守かな? 


 というふうにニア君の方へと振り向いた僕が問うと、僕に問いかけられたニア君は、何かを疑っているような表情で、そんなわけがないと、留守中の線を即時否定した。

 即否定されてしまった僕は、そっかと身を捩りながら呟き、それならと最初より強めに『ドンドン』と扉をノックした。しかし、返ってくるのは、シーンとした静寂のみであった。 

 ニア君は家の中に村長がいると言っている。獣人の語感は人族のそれよりも優秀だ。

 もしかしたら居留守を使われているのかも。もしくは、僕のノックが聞こえてない? 

 よく分からないが、仕方がない。

 協力を仰ぐために来たから、なるべく『強行策』は取りたくなかったんだけどな。


「すぅーー……あのーっ! 客ですよ村長さーんっ! 村長さん!!」

 

 確実に迷惑になるレベルで扉を『バンバン』強く叩きながら、僕は絶対に家内の人は聞こえるだろう声量で、家の中に立てこもっていると思われる村長を呼んだ。

 僕の決死行に目を剥くニア君は、僕の本気度にとても嬉しそうな顔をする。

 ギイィィィ——……と。

 軋む音を鳴らしながら、固く閉ざされていた扉がゆっくりと開かれる。

 薄く開かれたそこから、妙齢の、メイドと思しき女性が顔を出した。 

 やはりと言うべきか、彼女は僕に『怯えている』様子だった。まあ、大声で居留守を使っていた可能性がある家の家主を呼んだのだから、そこに勤める人が僕に恐怖心を抱くのは当然か。

 僕自身、僕みたいな人がいきなり家に来訪したら、普通に警戒すると思うし。

 だからこういうことはしたくなかったんだが、現状を見るに実際に居留守を使われていた可能性が高いわけで、このやり方は正解だったのだと思う。

 

「…………何の御用でしょうか……?」


 恐る恐る顔を出した女性は『絶望したような目』を僕に向けて、細々とした声でそう言った。 そんな彼女に対して、僕は毅然とした態度で『村長さんと合わせてください』と伝えた。

 もし本当に村長が留守だった場合、僕はこの場で土下座する。間違いなくする。絶対にする。


「…………少々お待ちください……」


 極々短的に話を終えた彼女は、扉をスッと閉めて、家の中へと戻っていった。

 村長は家にいない。留守だ。

 そう言わなかったあたり、村長が在宅なのは間違いないだろう。

 よかった。土下座にならなくて。

 村長らが居留守を使っていたのには、何かしらの事情があるのだろう。しかし、こちらとしては村近辺に魔族が出たという情報を聞いて、ああそう、なんて無視することはできないのだ。

 疑っているわけじゃないが、ニア君が言っていたことが正しかったにも関わらず、僕が無視をしてしまった結果、ニア君のみならず、他の村民にも被害が出るとの可能性は否定できない。

 そんな間違いを、僕が目標としている『彼』が犯すとはてんで思えない。

 扉をバンバン叩いて、大声で呼び出す。という、非常に乱暴なやり方を取ってしまったのは申し訳なく思うが、我々魔族討伐隊は『人命が最優先』だ。最悪の結果、人死にが出てしまう可能性と残すというのは、解決しないというのは、我々にとっては『論外』の一言なのである。

 だから多少の迷惑はかけてしまうと思うけど、そこはニア君の『愛嬌』で許してもらいたい。

 

 そんなことを考えながら時間を潰すこと約十分。

 

 二人して、流石に時間が掛かりすぎじゃないかと話し合い、何をしているんだと痺れを切らし僕が、もう一度『大迷惑呼び出しの儀』を行おうとした、まさにその時だった。

 再び軋む音を鳴らしながら、最初の時よりも大きく扉が開く。

 両扉が開かれた玄関口から、先程の女性、メイドが出てきた。


「いきなり来て申し訳ありません。欠かせない用がありまして」

 

 僕は頭を下げる。そんな僕を見た彼女が『どういう顔』をしたかは頭を下げているせいで分からないが、あまり歓迎されていないだろうことが場に醸される雰囲気で察することができた。


「…………どうぞ、中へ……」


 とうとう屋敷の中に通された。僕は不安そうに猫耳を畳んでいるニア君と手を繋ぐ。

 メイドの背中から、ピリピリとした緊張が伝わってくる。

 この反応は一体なんなんだ? 

 なんでメイドは、僕に対して緊張している?

 分からない。今は何も分からない。

 眉尻を上げながら怪訝に思いつつ、僕達は一直線に縦と横に広い廊下を進んでいった。

 玄関から見えていた、戸口ほどではないにしても大きい、居間へと続いているのだろう両開きの扉。それにメイドが手を掛ける。ゆっくりと開かれるそれに、僕がゴクっと唾を飲み込む。

 居間への扉が開いた先には、玉座のような豪奢な椅子に腰掛けている初老の男性がいた。

 その男性は、清潔感のない赤黒色の無精髭を生やしていて、髪も同じく、血のような色。

 彼の右脇には側仕えの若い男性がおり、僕達を案内してくれたメイドが彼の左脇につく。

 両脇をがっしりと従者で固めた『村長』と思われる男性は、別段『病気』という感じもなく、パッと見は健康そうだった。

 居留守を使っていたのは、この家の主人である彼の身に何かあったからではないか? 

 と若干心配していたのだが、それは要らぬ心配だったようだ。

 

「…………」 


 理由はわからないが、僕は目前の彼に、この村の村長に、心の底から『警戒』を向けている。

 なぜ警戒を向けているのか。僕は自分のことだというのに、それの理由が分からなかった。

 若干の緊張を、お互いは感じている。場に無言の時が流れていく。

 凍りついてしまったような、場の静寂。それを打ち破ったのは、僕だった。

 一歩前へと身を乗り出した僕の挙動を警戒し、村長と従者の二人が目を細める。

 そんな彼等の様子を視界に収めながら、僕は世間話などはせず、早速『本題』を切り出した。

 のだが。やはり言うべきか、彼らの反応は『ニア君』の予想通りのものであった。


「はっはっは! そんな『童話』に出てくる魔族が、この世にいるわけがない!」


 という感じで、僕達の話を全く聞き入れてもらえない。

 魔族が近くに出たんですよ。

 人に化けるかまでは分からないけど、害になるのは確かなんです。

 どうにか動いてくれませんか。どうか手伝ってはくれませんか。不安なんです、僕も彼も。

 何度そう言っても、何度こう伝えても、頑なに首を横に振る。

 意固地。頑固。強情。分からず屋。

 僕は流石にキレそうになった。

 それは、僕じゃなくて、ニア君を信じてくれない大人達への怒りだった。

 しかしグッと自分を抑え込む。

 演技じみた苦笑を浮かべながら、顔を引き攣らせ、これはダメだと思考する。

 ニア君は無言の状態で俯いてしまった。やっぱりこうなった。予想していた通りだ。

 そう言っているようで、胸が少しだけ痛かった。

 聞く耳を持たないとすら言えてしまう、彼等との会話を諦めて、僕達は早々に村長宅を出る。

 勝手に拠点認定しているあの丘の上へと向かい、僕達はそこで魔族討伐隊の会議を行った。


「ね? ダメだったでしょ……?」


「う、うん……」


 再び、暗い影を纏ってしまったニア君に、しかし僕は何も言ってあげられなかった。

 討伐隊の二人は黙り込み、ただただ無意味な時間を過ごす。

 重い空気で息が詰まる。

 ふと逃げるように空を見上げると、そこには茜色が敷き詰められていた。

 太陽の極光、暗い夜への抵抗が、目に焼き付いた。

 どうやら、時刻は夕方になってしまったみたいだ。

 僕がこの村に着いたのは正午過ぎだったけど、もうこんな遅い時間なんだな。

 時間の流れが早い。夢中になっていたのかもしてない、討伐隊の活動に。

 まあ、今のところは、情報収集しかしていないのだけども。

 知らず知らずの内に過ぎていってしまった時間に、何とも言えない感情を心に広げさせながら、僕は正面へと向き直り、無言のまま俯いているニアくんに声を掛けようとした——その時。

 

「夕食ができていますよ」


 声掛け。突然で、唐突。感情というものを一切感じさせない圧倒的に無機な声音。寒気すら催させるそれに僕はニア君ともども、気を抜いていたのもあるけど、ビクッと肩を跳ねさせた。

 飛ぶように声がした方向へと顔を向ければ、そこには今昼に会った『宿屋の娘』さんがいた。

 なんで僕達がここにいるってわかったんだ? 

 そう呆気に取られていると、彼女はもう一度、夕食の準備ができていると言った。

 不気味なくらいの無表情。恐ろしいくらい無感情。

 そんな彼女に冷や汗を流した僕は、何とか「わかりました……今から帰ります」と言う。

 すると彼女は「お早めに」と僕に言い、宿のある方へと歩いて帰っていった。


「な、何で見つかったの……?」


「わ、わかんないよ……」


 ドッと冷や汗を掻いてしまった僕は、コートの袖で汗を拭う。そしてニア君に問いかけた。

 近づいてきてたの分かってた? と。

 優れた獣人の五感さえ超えてのけた、娘さんのシャドウムーブ。

 まさか彼女は暗殺者? アサシン家族? 宿屋は副業だった?

 今だにバクバクと言っている胸を押さえながら、そんな冗談を口にしてみる。

 すれば、ニア君は「まさか」と言う。

 僕はだよねーと返事をした。

 よく分かんないけど、僕達がここに向かっているところを誰かが見ていて、その人に居場所を聞いたとかだろう。そうと結を論づけざるを得なかった僕は、地面に手を付いて立ち上がる。 座り込んでいたニア君にも手を貸して、立ち上がらせた。


「明日さ、その『イカ魔族』を見たって場所を教えてくれないかな? 行ってみたいんだ」

 

 立ち上がり、尻に付いている砂埃をはたき落とす。そうしながら、明日の予定を立ててみた。

 イカ魔族のことが怖くて、第一発見場所に行きたくないなら、僕一人で行って調べるよ。

 そう言うと、ニア君は首を横に振って、ボクが行ってソラ兄ちゃんを案内すると言った。

 責任重大である。他所の子供の命を預かるんだから。僕は人知れず心の帯を占めた。

 小高い丘から滑り降り、同じように降りてきたニア君と向かい合う。僕はまた心臓に悪すぎる『ドッキリ』を食いたくないからと、また明日と言って帰路につこうとした。すると……

 

「そ、ソラ兄ちゃん……」


「ん? どうしたの?」


「…………いや、何でもない。また明日ね!」


「? そっか……うん。また明日」

 

 お互いに別れの挨拶を済ませ、僕は宿泊する宿に、ニア君は自分の家に戻った。

 宿に戻ると、フロントにある食卓に、夕食だろうシチューが一皿置いてあった。

 もしかして皆んな食べ終わっちゃったのかな。

 周りを確認してみると、厨房だろう場所から、食器を洗うような音が聞こえてきた。なので、僕は『やってしまった。だから迎えに来たんだ』と思い、急いで部屋に戻り、コートを脱いだ。

 部屋にいると、隣の部屋から、病的なくらい大きすぎる『いびき』が聞こえてきた。 

 今日は熟睡できなそうだなぁ……僕はそう苦笑する。

 して、ピリッとする変な隠し味が目立ったシチューを一気に平らげて、皿洗いしている娘さんに謝罪を述べる。そしておじさんが放ついびき対策で毛布で顔を覆い、そのまま就寝した。


 + + +


 ベッドで深い眠りについていた僕は、自分の体に起こった異変、腹部から生じている猛烈な不快感を感じ取り、苦悶の声を漏らしながらなんとか目を覚ました。

 枕元に置かれている、帝国式巻き時計。

 それを見てみると、僕が就寝してから三時間ほどが経過していると分かった。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 今まで感じたことがないものだ。紛れもない異常だ。異常事態だ。

 凄まじい『気持ち悪さ』を感じさせる腹部を押さえながら、上半身を起こし、時計と同じ場所に置かれているピッチャーに入っている水を、行儀悪く直接飲む。

 ゴクゴクゴク。音を鳴らしながら完飲。脂汗のような寝汗を『びっしょり』と全身に掻いてしまっていた僕は、寝巻きの裾で顔を濡らしている汗を拭い、ベットから立ち上がった。

 もしかして『食中り』か? 

 寝起きのせいで上手く回ってくれない頭。それでもとある結論へとたどり着き、動く死体のような呻き声を上げながら、なんとか部屋を歩き、隅に置いていた自分のリュックを漁る。

 

「ぅぅ……っ、あった……!」 


 僕は自分のリュックから、青色の粉が入っている一つの小瓶を取り出した。

 これは僕が旅立つ時、村の薬師であり教師だったカカさんからもらった、食中りの薬である。

 ぶっちゃけ自分が使うことになるとは思っていなかった。

 生まれてこの方『食中り』という病を患ったことがなかったからだ。

 しかし、ここまで凄まじい猛威を振るう病だとは思っていなかった。

 舐めてたぜ、この野郎。普通に死にそうだ。

 僕は縋るように瓶を密閉させていたコルク栓を開ける。

 すれば『キュポン』っという気持ちい音が鳴った。

 そして小瓶に入っていた苦すぎる粉薬を、物凄い顰めっ面で口いっぱいに含み、それを水筒に入っていた古めの水で食堂から胃へと流し込んだ。


「ふぅー…………」

 

 僕は口に含んだ薬を全て飲み、ノソノソと部屋を移動する。そしてベッドに腰掛けた。

 一息が重い。呼吸すら重労働だ。自然に行われていたものが不自然に遮られる。

 気を抜けば息が止まる。呼吸ができなくなる。

 自動を手動に切り替えないとまともに生きてられない。

 信じられないくらいストレスが溜まる。 

 全身が熱で怠い。両膝に腕を乗せ、前屈みになった状態で腹部の違和感と一対一で戦う。 

 ポタポタ。顎と鼻先に溜まった大粒の汗が、床へと落ちていく。

 それはまるで雨音のように僕の耳朶を刺激してくれるものの、そんなことで今の状態が癒される訳もなく。鬱陶しい汗を乱暴に拭いながら、僕は薬で症状が良化するのをひたすら待った。

 

 症状が現れてから——約一時間が経過。 


 僕から流れ落ちる夥しい量の汗を受け止めていた床は、まるで水溜まりのようになって、窓から入ってくる月明かりを反射していた。

 汗が滴り落ちるたびに、ポチャンという音を鳴らし、地面に輝

 食中りの症状については詳しくないが、胸が強く鼓動し、呼吸が思ったようにできないこれが、ただの『食中り』の症状だとは到底思えないのだが。腹を下すわけでもないのだから尚更。

 呼吸困難に心拍異常、それに異常発汗。重的症状にも程があるだろう。

 こんなに酷い病気なのか、食中りっていうやつは……。 

 死ぬんじゃないかと思ってしまうくらい、症状がキツいんだが。 

 カカさん謹製の薬は効いてるよな。大丈夫だよな。

 っていうか、これが本当に『食中り』だったとして、僕と同じものを食べただろう女将と娘さん、それに僕をここまで送ってくれた御者のおじさんは無事なのだろうか?

 僕は生まれつき体が強かったけど、そんな僕がこうして死にかけてしまっているってことは、他の人達は冗談抜きで『命の危機』に瀕しているのではないだろうか?

 僕は暴れる心臓と浅い呼吸からなんとか意識を外し、隣の部屋の音を聞くために目を閉じて集中する。あれだけ大きな鼾を掻いていたんだ、この状況でも集中さえすれば聞き取れるはず。

 

「ふぅ……はぁ、ふぅ……ふぅぅ——……」


 駄目だ。全然駄目だ。おじさんが奏でていた大きないびきの音が全く聞こえなくなっている。

 外の廊下と隣の部屋で『何か』が動いているような、ガタガタという音は聞こえるんだけど、あの年中鼻炎のアミュアちゃんを思い出させるいびきの音が聞こえてこない。 

 まさか、僕と同じ症状に見舞われたおじさんがもがき苦しんでるとかじゃないよな。しまった、この症状に見舞われている全員が薬を飲めるように七、八割くらい残しておくべきだった。

 僕は御者のおじさんと宿の女将たちの状態を心配し、眩暈と発熱でふらりとよろけながらも、腰掛けていたベッドから立ち上がる。そして部屋を移動し、廊下へと続く扉を開けた。部屋の扉を開けた僕が見たのは、僕の部屋の扉に張り付くように立っていた、宿屋の娘さんであった。


「うわああああああああああああああああああああああああああ!?」 


 おそらく部屋を覗こうとしていたと思われる、凄まじい眼力を放つ宿屋の娘さんとバッチリ目が合い、ゾッと驚愕した僕はつい素っ頓狂な声を上げてしまう。そして盛大に尻餅をついた。


「…………体調はいかがですか?」


 僕の驚愕に染まった視線を真正面から受け止めていた、特に辛そうな様子は見られない娘さんは、掛けてきた言葉とは裏腹に、僕のことなど微塵も心配していないような無表情で喋る。

 いやいやいや。僕の部屋の扉にくっついて、一体なにをしていたんだよ。なんで部屋の中を覗こうとしていたんだよ。気になるなら扉をノックして、普通に入ってくればいいじゃないか。

 と怪訝に思いながらも、僕はゴクリと唾を飲み込んで、尻を着けていた床から立ち上がった。


「食中りになってしまったかもしれないんです。僕と同じものを食べた他の皆さんの体調が心配で、これから僕をここまで乗せてきてくれた御者さんの様子を見に行こうかと思って」 


 真剣な表情でそう言うと、彼女は『怯えと悩み』を覗かせる目を僕に向けたまま、思考しているかのように直立したままの状態で動かなくなった。

 

「あの御者さんの様子を見に行きたいので——だから、退いてくれませんか?」


 全く動かない彼女に眉を顰めた僕は、怪訝な表情を彼女に向けて言う。すると彼女は突然、


「私が様子を見に行きます。貴方は病気なのでしょう? だから休んでおけばいい」


 と、僕の体調を気遣ったような『心の籠っていない言葉』を口から吐いた。そんな彼女に疑いの目を向けてしまっていた僕は自身の体調の悪さを考え、彼女の言う通りにすることにした。


「分かりました、よろしくお願いします。あと部屋の飲み水を切らしてしまったので、追加をお願いできますか?」


「隣の部屋を確認したら持ってきます」


「夜中なのに働かせてしまって申し訳ない。頼みました」

 

 十数分後、娘さんが追加の水を持ってきた。相変わらず感情の読めない無表情をしている彼女に「御者さんの体調はどうでしたか?」と、無意識に疑いの目を向けながら尋ねた。

 ピッチャーを持ってきて、部屋にあったものと入れ替えた彼女は僕の問いに対し『体調は良かったです』と淡白気味な返答をする。そんな彼女に顔を引き攣らせてしまった僕は、


「そ、そうですか。それなら良かったです」

 

 と口から言葉を絞り出した。一時間前よりも体調が回復していた僕は、相変わら尋常ではない量の汗を掻いており、ベット横の床には僕の汗で出来た水溜まりがあった。

 そんな水溜まり——いや『汗溜まり』をじーっと見ていた娘さんは突然スカートを脱ぎ、真っ白な下着を晒しながら僕の汗でできた水溜まりを脱いだスカートで拭き始めた。


「え!? ええっ!? な、何してるんですか!?」


「拭き掃除をしています。邪魔しないで」


「…………は? はぁ?」

 

 異性の僕に見られても平気な様子で下着を晒しながら、僕の汗をさっきまで吐いていたスカートで拭き取っていく彼女に対し、僕は口を開けたまま、雷に打たれたような表情で固まった。

 そんな僕を完全に無視している彼女は床に広がっていた汗を拭き切り、濡れたスカートを手に持って何も言わずに部屋を出ていった——と、そんなことがあってから、約六時間が経った。 真夜中から僕に猛威を振るっていた謎の苦しみのせいで深夜に目を覚ましてから一睡もできていなかったのだが、日が登り切る前に何とか体調は回復し、本調子を取り戻すことができた。


「よしっ、動く!」


 深夜に感じていた息苦しさや、鈍痛を感じるほど暴れまわっていた心臓はついに落ち着きを取り戻した。熱っぽさもなければ、目眩も感じない。腹部に違和感は無。真に完全回復である。

 由自在に体が動く。汗も掻かない調子良好。

 僕は喜びを感じで、部屋の中でジャンプをした。

 そんな感じで体を動かしながら日の出を迎えた僕は、こんなことをしている場合じゃないなと思い、水で濡らしたタオルを使って、汗で汚れている体を洗浄した。

 汗が滴り落ちてくる寝巻きからいつもの私服に着替える。

 そして昨日あんなに苦しんだにも関わらず、素知らぬ感じで空腹を訴えてくる太々しい腹を認め、朝食は別のところで摂ろうかなと苦笑しつつ部屋から出た。

  

 正直に言うと、昨日のアレは宿の女将達が狙ってやったのではと、僕は疑ってしまっている。

 おじさんは本当に無事なのだろうか? 娘さんは問題無しと言っていたけど、気にはなる。

 僕は真剣な顔でおじさんが泊まっている部屋の扉を、コンコンと落ち着いてノックした。

 しかし返事は返ってこない。

 まさか……。

 そんな感情に全身を支配された僕は眉間にグッと力を入れ、ドアノブを捻って扉を開けた。

   

「————!!」


 部屋の中には誰も居らず、御者が持っていた荷物も部屋の中には何一つなかった。

 まるで前々から『誰も使っていなかった』かのようだ。

 完璧に片付いてしまっている部屋を見て、僕は愕然とした。

 忽然とおじさんが消えた。僕は何事かと焦りつつも、冷静に自分の部屋へと戻って、隅に置いていた鏡面剣を帯剣。階段を駆け足で降りて、緊張した面持ちで宿のフロントへと向かった。


 「おはようございます。朝食ができていますよ」


 そう変わらずの無表情で、料理が並べられている食卓を指す宿の娘に、僕は問い掛ける。


「御者さんの姿が見えないんですけど、どこに行ったんですか……?」


 僕の問いに対し、顔色一つ変えない彼女は言った。

 

「今朝、帰られましたよ」

 

 と。


 懐疑的な目をする僕に見つめられていた彼女は、やはり顔色を変えず、食事が冷めるのでお早めにと言った。そして厨房の方へと歩いていく。

 これ以上の話はしない。そういう風な彼女に対して思うところはあるものの、僕は昨日のアレがあったにも関わらず、妙な『隠し味』のする朝食を躊躇なく取り終えた。

 

 そして『魔族討伐隊』の件で用のある僕は宿を出て、離れにある馬小屋へと向かった。

 しかし、一頭も馬がいない。がらんどうになっている馬小屋を確認した僕は、まさか本当に帰った? と衝撃を受けつつ、ニア君と待ち合わせをしている昨日の丘の方へと向かった……

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