第49話 フジノミハト
ハザマの国の南部に存在する、南部一巨大な都。その名も、フジノミハト。
ここはハザマの国切っての果実産出地であり、都を撫でる東風に乗る香りは、とても芳しい。
人口も都市と呼ばれるだけあって多く、石畳が敷かれた歩き心地のよい街路は、すいすいと縫い進むことを強要してくる。
しかしそれは大して苦ではなかった。
見える人々の充実した微笑み顔と、鼻腔を愛撫する香水の如き擂られた果実の香りが、ふんわりと心の疲労感を優しくさらっていってしまうから。
で、少し話は変わるが。
ボコボコと土地に規則性がない首都の『サクラビ』と比べて、ここ『フジノミハト』の町並みは非常に平坦なことから、足腰が悪い老齢の方々の『終の住処』として人気が高いらしい。
そんなことを、都の中を走る、交通の馬車を操る御者のおじさんから聞いた僕は、とても美しいフジノミハトの和的景色にうつつを抜かしながら、ほえー、と。上の空な返事をするのだった。
「あのー! オレンジ買いませんかー? 甘くて美味しいですよー!」
唐突にゆっくりと道を走っていた僕達が乗る馬車に、一人の少女が駆け寄ってきた。
まるい耳の特徴的に、老化の仕方が人族と違っている、長年若姿の『小人族』だろう。
拳大の非常に大きな蜜柑を見せつけて、買わないか、か。名産品の営業販売だな。
遅くとも走っている馬車に追い付いてまでしようなんて、珍しいの一言だ。ここは一つ買わせてもらおうかな。ちょうど小腹が空いてたし。甘いのはネックだけども。
「あ、じゃあ一つください」
「はぁい! ありがとうございます!」
「俺にも一つくれ」
「はぁーい!」
笑顔が可愛らしい小人族の少女から買い取った拳大の蜜柑は、一つが十五ルーレンだった。
とてもお買い得のように思える。
この国の一食は最低でも三十ルーレンは掛かるから。
輸送費が含まれていない『地産地消』だからなのだろう。手頃な価格なのは。
トウキ君も僕が買った故に食べたくなったのか、巾着から小銭を取り出して支払いを終えた。
そして、買ってすぐ皮ごといった彼に『マジか』という目を向けていた僕はいざ気を取り直して、少女から受け取った蜜柑、少女流に言えばオレンジの皮を、慣れた手つきで剥いていく。
橙色の皮はルルド君の鎧のように分厚く。
それに包まれている実は爺ちゃんの筋肉みたいに仕上がっていた。……ものの例えが非常に分かりづらいけれど、まあ『とても大きい』というわけで万事解決。
鎧が剥ぎ取られた、お日様のように輝いている蜜柑の実を、ぷすっと齧る。
加減を間違えれば指と指の圧で弾けてしまいそうなぷるっぷるのそれを、慎重に慎重に口まで運んで堪能する。
酸味は少々。甘味は多々。苦手寄りだけど、普通にイケる。フジノミハトに漂っている香りのせいで泣いていた小腹はこれで十分に満たされたみたいだ。
おそらく、今買ったこれは取れたてだな。物凄く瑞々しかったし。知らんけど。
「またどうぞーーー!」
こういう飛び入りの営業は日常茶飯事なのか。
特に何を言うこともなく馬車を停めていた御者のおじさんは、もう買い手がいないことを横目で確認した後、遊ばせていた手綱を振るった。
おそらく。元々は果物を乗せていた荷台。
しかし老朽化か、買い替えて不要になったのか、単にその用途で使われなくなった結果、今のこうした客車的な使われ方をされ始めた。
そういう事情が端々から見て取れる、まあまあ粗雑な補修がされている無幌馬車の上で、嬉しげな少女の声を聞きながら購入した蜜柑を平らげた僕は、ふわぁ、と。大きな欠伸を掻いた。
それからしばらくして。ゆっくりとフジノミハトの南区にある、この国では有名なとある旅館の前で馬車が止まった。
「ういー、終点の『水仙館』前に到着しましたよー。この馬車での移動はここまでなので、他に行くところがあるのなら、その辺に停まってる馬車に声を掛けてくだせえなー」
水仙館。それは、ハザマの国を中心に活動している『水仙商』が運営する高級旅館の名称。例えるなら、和風の『ホテル・ルーレン』だ。
しかし、べらぼうに高額だったあそこほど宿泊するための料金は高くないらしいので、頑張れば庶民でも手が届く——のかも?
まあ、稼ぎがない現状でそんな場違いなところに泊まろうなどとは夢にも思わないが。
そういうわけで、馬車の終点場所として致し方なく当高級旅館の前で下車をしたものの、僕たち一般層の乗客はそこの暖簾を潜ることはなく、各々の目的の場所を目指し、歩みを始めた。
「情報収集をするなら、酒場とかに行ってみる? バーの店主なら色々知ってそうだし」
「それも一つの手だな。だが、こんだけ街がデカけりゃ、どっかに『ギルドの支部』があるはずだ。まずはそこに行ってみようぜ」
「おお! 行こう行こう! ギルドは一目見てみたかったんだ」
「うし。んじゃ、道を知ってる馬車に乗るか。俺たちに土地勘はねえからよ」
「だね」
世界冒険者協会——ギルド。
ギルフォード・マクスという人物が立ち上げた、世界『一六ニヵ国』のうちの約九割に本部を構えている、正真正銘『世界最大の組織』である。
さすがの僕でも知っている。ギルドという組織の名は。
だから気になっていた。だけど知りに行くチャンスがなかった。最初のチャンスは『お嬢様』のお守りで潰れてしまったから。
ようやくだ。
そう思うとようやく、ギルドをこの目にする時が来たのか。うーん、楽しみだ。
「ってかさ、もう昼過ぎだし、まずはどこかで昼食にしない? お腹空いてきたんだよね」
「同じく。つーわけで、ギルド探すついでに、どっかで美味いもん食うとするか」
意見の合致。つい買い食いしてしまうあまり宜しくない共通点がある僕とトウキ君は、ギルドに赴く前にまずは、この我慢ならない——は言い過ぎだが——空腹をどうにかすると決めた。
「循環する馬車以外に乗らないといけなそうかな」
「ああ。場所指定はプラスの運賃を取られて、思ってるよりも高く付くだろうな。俺も買い食いが祟って今はカツカツだし、節約に努めることにしようぜ」
「うん。トウキ君、ちょっと目を離した隙に何か買って食べてるもんね」
「腹が空くと気が散るからな」
「分かる」
生産性のない会話が続く。
それに漫談のような面白やオチはないけれど、しかし充実していて心楽しい。
昼。午後の二時。六月初旬の梅雨の前。その白く眩く強い日差しは、これからくる『夏』という季をひしひしと感じさせる。
道中、山のような林檎を載せた馬車とすれ違った。
ガタンと揺れた荷台から溢れ、道を転がってきた一つの林檎を、まるで予め狙っていたかのようなスピードで野犬が掻っ攫っていった。
それを見て、ここじゃ飢えることはなそうだなと、僕は苦笑がてらに思った。
水仙館の近くに停まっていた馬車の御者曰く、ギルドの支部は町の北区中央にあるらしい。
現在地は南区の北側。まだ北区中央へは遠く、だから目的地へ直行は諦めて、今は徒歩で二人して飲食店を吟味中だ。
安く済ませなきゃな。でも美味しいのじゃないとな。
そう思っていたら途端に、ドスっと。
向かいから大股で歩いてきていた、いかにも手入れがされていない剣を腰に差すチンピラっぽい男性が、僕はしっかり避けたにも関わらず、わざと軌道を変えて僕の肩にぶつかってきた。
しかし。
僕を転ばせようという意思が挑発的な表情から見え見えだったチンピラ風の男性よりも、一見してひょろりとしている僕の体幹の方が圧倒的に強く。結果として、ぶつかってきた当の本人の方が「うごえっ!?」と弾かれ、大きくよろけてしまった。
咄嗟に腕を掴んであげてもよかったけれど、下手に助けを出すと返って『何様だ!』と逆ギレされかねないと思ったので、僕は剣の間合いの外にある場所で、男性が立て直すのを認めた。
——大丈夫ですか? 普通に考えればそう声を掛けるべきだけど、狙ってきた相手が相手だし、さてどうするかな。
「……っ痛ってえなあ! クソガキィ!? 俺様がどこの誰か知ってんのか!? おお!?」
いや、どこの誰だよ。知らないよ。あなたことなんてこれっぽっちも。
そんな本音を喉の奥側で反響させながら、だが飲み込み、面倒に巻き込まれちゃったなと小さい溜め息を僕は吐く。
「あなたがどこの誰かは存じませんが、わざと僕にぶつかってきたのは分かりました。どういう意図があるかは知りませんが、あまりに暴れるなら憲兵を呼びます。いいんですか?」
「ぐっ……ハンっ、次会ったらタダじゃおかねえからな!!」
唾を飛ばす勢いでガン付け威圧しても、変わらず平静を貫いていたことと。一度も抜く雰囲気は出さなかったものの、しかし武器たる鏡面剣を腰に差していたこと。
それら外型的情報にて、僕が一般人ではなく、多少の武力を有している人間だとチンピラ男性は察したらしく、やや怖気を見せながら捨て台詞を吐いて、僕達の目の前から去っていった。
あのチンピラは弱いものいじめをしたかった。そして偶然町中で見かけた僕のことを、何を言っても言い返さない『獲物』だと勘違いした。
と、いったところかな。ストーリー的に辻褄が合うし。実のところはよく分からないが、しかし想像していた『面倒ごと』は無事避けられたらしい。まあ要らぬ因縁はつけられてしまったが、必要経費だったということで、ここは納得しよう。
「弱い犬ほどなんとやら。因縁つけられちまったし、さっさと用を済ませて町を出ようぜ」
一触即発(一方的)の光景を困ったように頭を描きながら見守っていたトウキ君が、チンピラ仲間を引き連れてこられても面倒だし、さっさと要件を片してフジノミハトを出ようと言う。
それを聞いた僕は彼の方を向き、非常に申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「ごめんね、トウキ君。僕がヒョロヒョロしてたから面倒なことになっちゃった」
「いいさ。俺くらいなら気兼ねなく巻き込めよ。それに、その辺にいる子供に矛先が向かなくてよかったと思うぜ。あんな雑魚でも、あの人相で睨まれたら泣き出すだろうしな」
確かに。僕の場合はもし喧嘩になっても、さよならー、と普通に走って逃げ切れるから一切平気だけど、楽しそうに町中を駆け回っている子供に矛先が向かってしまえば、一言で最悪だ。しかし……。
「子供にも喧嘩売るかな? 大の大人がさ」
「平気で売るさ。弱いものいじめをして安っぽい優越感に浸りたい小物だって顔に書いてあったろ」
「あー、書いてあった気がする」
そういえばそうかもー。
というふざけた顔で相槌を打てば、トウキ君はケタケタと笑った。
「ククク。んじゃ、ひでえのとツラ合わせちまったが、目的の飯屋を探そうぜ」
「うん」
+ + +
「あいざしたー」
デカデカ『蕎麦』と書かれている藍色の暖簾を、ずっと大根の漬物を齧っていた店員のおばちゃんの気の抜けた声を浴びながら潜って、店を出る。出るというか、戸で外と内が仕切られていないから、ずっと外で食べていたような気がする。
しかし安価で腹拵えが終了。
土間の開放感も相まって食は捗り、ズバリ最高の一言であった。
「ふぃー、美味しかったねー! 温温のカツオ出汁が最高だったよ」
「ああ、最高だったぜ。やっぱ『力蕎麦』は美味え」
「お餅が入ってるやつだね!」
さて、空腹は解消されたことだし。ようやく本題に移れるな。僕達の目的は各々が求めている情報の収集。それを達成するために向かう場所。それは——。
「ギルドっていつ頃に着けそうかな? かなり大きいよね、ここ」
フジノミハトは広大である。ハザマの国の南部で最大級の都と言われるだけあって、物凄く。まあ、一区まるごと農地として使われているのだが。
故に、その都の中にある『目的地』に向かうのも一朝一夕では済まない。
十二時前にここに到着。
十四時まで移動を続けても、現在地は南区の北側である故、北区中央にあるというギルドに着くには、あと数時間は移動を続けなくてはならないと思われる。
南区北端から大きさ不明の中央区へ移動。
そこを越えたら、たどり着いた北区の南端を通り抜け。
北区中央にあるという『ギルド』の門戸を開く。
一区の端から端までで、約二時間。それも、ノンストップだった場合でだ。
となると、ここから北区中央までざっと三時間くらいは掛かるかな。
寄り道をしたり、変なアクシデントに見舞われなければ日中に着けそうだ。
「さっさとギルドで用を済ませて町を出よう。んじゃ、適当な馬車を探そうぜ」
「おけ」
会話はほどほどにして、店先から移動を開始する。
「そういえばさ。トウキ君って一応冒険者って括りになるのかな? ってか、何をどうしたら冒険者になるの?」
道中、実は今まで気になっていたことを尋ねる。
彼は自分の『目的』を詮索されたくないスタンスを頑なに貫いている。
だから僕もそこは突かないようにしてる。
しかし、今現在の彼の、行動を共にしている友人の『肩書き』とは如何様なものなのか。
そこを無性に知りたくなっていた故の、この質問である。これはセーフでしょ。秘匿している『何らかの目的』の追求には当てはまっていないし。そんな横目の視線を向けている僕へ、トウキ君はあっけらかんとした様子で答えた。
「俺は冒険者じゃねえな。強いて言うならただの『流離人』だ。冒険者っていう肩書きはたしか、ギルドに申請して、ギルドに認可されれば手に入れられるんじゃなかったっけな」
「え、なにか審査とかいる感じなの? 来るもの拒まずじゃないんだ?」
審査ってことは、書類選考を……いや、まさか『面接』でもするのか?
そんな品行方正を地で行く『国立学校』みたいなことする?
もしそうだったら、僕が抱いていた『ギルド』の『イメージ』と丸っ切り違ってるなぁ。
本音を言えば、もっとこう『アウトロー』なものだと思っていたんだけどな。
あの、強面のおじさん達ばっかりな冒険者を内包している『ギルド』っていう組織は。
まあ、それもそうか。
さすがに組織的に法を犯していたら、今まで存続できていないよな。でも、蜘蛛退治にも参加していた臭いが超激キツな『ブッケロさん』がギルドからの認可を経て冒険者を名乗ることができていたくらいだし、だいぶ緩めなのかもな、その審査って。
「オウ。人格とか犯罪歴とか調べられて、問題がなければイケるだったかだぜ」
「へえー、公務員みたいな感じなんだね」
犯罪歴は行政に申請すれば手に入れられるだろうけど、人格を調べるとなればやはり面接があるのかもな。
まさか普段の素行を探偵よろしく調べ上げるなんてことをするとは思えないし。
しゃんとしているルルド君やロウベリーさんは、対応した職員も幹部も満面の笑みで判子を押すだろうけど、ブッケロさんはぁ……うん、めちゃくちゃ悩まれそう。
僕なら一晩中悩むだろうし。あの獣よりも獣臭い体臭は、直接的に組織の評判を落としかねないだろぉ、って感じで。
そんな、なかなかに怒られそうなことを思いながら僕は返事をして、変わらずに会話は続く。
「役人のことはよく知らねえけど、割と規律を重んじてるみたいだぜ。来るもの拒まずってイメージと違って。ギルドを設立したのは『三英傑』の一人、ギルフォード・マクス。だから反社的な奴に泥を塗られるのを極力避けてるんだろ。ま、ある程度『清濁併せ呑んでいる』感じだが」
「ある程度は目を瞑らないと組織として成り立たないんだろうね。冒険者って命懸けだし」
「ああ、そんなとこだろうな」
「なるほどなー。その三英傑ってなに?」
「ブハハッ!」
聞くとこそこかよ。そんな噴き出しを見せたトウキ君へ、やっぱりそうだよねぇと気恥ずかしさで目を泳がせてしまった僕は、つい指で頬を掻いた。
「三英傑ってのは、神話の時代にいた『勇者ではない三人の英雄』を指した俗称だ」
古代よりもずっとずっと前。
まだ世界に『神』がいた、遥か、気が遠くなるほどに遥かな昔。
疾風怒濤。
古代よりも遥かに黒を煮詰めた暗黒の時代。
そこで生きた、歴史に己を刻んだ、三人の絶対強者。
勇者と同じく、無辜な人々を救った英雄。真の英傑。故にそれが——三英傑。
「勇者じゃない……ってことは、加護を持っていない凄い人ってこと?」
「ああ。勇者に比肩しうる実力者だったんじゃねえかな。詳しくは知らねえけど」
「有名なんだ?」
「めちゃくちゃ有名なんじゃねえか? 勉学に励んだことがない俺でも知ってるくらいだし」
「なるほどなぁ」
一般常識なのか。その三英傑とやらは。勉学に励まなかったというトウキ君でさえ知っているくらいだし、そう考えるのが妥当だろう。
ここでも僕の不可解さが出てしまった。
勇者も、加護も、英傑も。何も知らないという摩訶不思議が。
単純明快な疑問。
なぜ、母さんは何も教えてくれなかったのか。
なぜ、爺ちゃんは何も教えてくれなかったのか。
なぜ、教師を担ってくれていたカカさんは何も教えてくれなかったのか。
答えは出ない。
問い詰めることはできない。
だから、今は気になるままで飲み込むしかなく。やや遠くを見つめている僕からの相槌に、トウキ君は興味があるような視線を向けていた。
「ソラは知らなかったのか? その感じだと」
「うん。例に漏れず、勇者も三英雄も知らなかったよ」
「変わってんなぁ」
「僕もそう思う」
+ + +
巨万の富を差し出そうと。莫大な贄を捧げようと。たった一度しかない人生を費やそうと。
買うことなど、叶わない。手に入れることなど、叶わない。触れることすらも、叶わない。
神様だって、そう。たとえそれを欲しいと強く願っても、それは誰のものにもなりやしない。
唯一。即ち絶対。世にある完全の一つ。
無二の美麗。
永劫、永久、永遠、悠久。その集合体。
この上なく儚げで、それすらも美しいと思える、蒼の画用紙が一面に敷かれたそんな碧空が、誰かのことを思い出させるとても色鮮やかなオレンジ色に染まってゆく。
もしや微熱でもあるのだろうか。
もしかしたら、この果てしなく広大な天空も、さらに向こう、つまり遥か彼方、宇宙という場所のどこかにある『何か』にずっと、恋焦がれているのかもしれない。
意中。それはどこかへ去っていってしまったあの極光の主か。今から現る淑やかな光の君か。
答えなどない。そもそも必要がない。求めてすらもいない。伸ばしたその手が絶対に届かないことは、誰もが知っているから。神も人も、この星すらも。
それにしても、あの人の真似とか誰得だよ。歩きながら、やや危なげに顔を上げて、どんどん熱っぽくなっていく空を見つめていた僕は、ついそう言いそうになった。だけど黙った。茶化すことはしない。今はただ、時のゆくままに。
そんな現在時刻は、同日、六月十日の十七時半。無邪気に野外を駆け回る子供も、手を振りながらに一目散に帰路に着く、逢う魔が時。
誰そ彼。
親しいあの子の顔も見えなくなってしまう黄昏の時とも。ひとえに暮れ方だ。
して、現在地はフジノミハトの北区中央である——。
「あ! 赤い時計塔だよ。ってことは、もうすぐそこだね」
「あむあむ、むにむに……ゴクッ。オウ、御者のオッチャンの情報が確かなら、あそこに見えてる時計塔の近くに目的の『ギルド』があるはずだ」
私営の馬車に乗り、とても立派な役所があった中央区を越え、北区の南端で時間に余裕があるから節約をと下車した僕達は、御者のおじさんに聞いたギルドの所在地へと足を運んでいた。
ギルドは、赤い時計塔の近く。狙ったように建ってる酒場の真向かいにあるべ。
屋台に意識を引っ張られながら、振り払うように、その言葉を何度も脳内でバウンドさせていた僕は、ついに見えた赤い時計塔を指差した。ようやくギルドを見れるぞとやや興奮気味に。
そんな僕とは対照的に、トウキ君は至極落ち着き払っていて、だがやはり凄まじい買い食い癖、すぐそこの露店で袋いっぱいに購入した『イチゴ大福』なる超甘物を何個も口にしている。
「ソラも食うか? ちと買い過ぎた」
「いや、僕は甘いの苦手だからいいや」
「そうか。んじゃ全部食うからちょっと待ってくれ」
「え? 一気に食べたら喉に詰まらせるよ? それ見た感じお餅でしょ? 危ないよ」
「平気平気」
「ええー……」
多分な咀嚼を必要とする弾と粘。それを一気食いなんて正気じゃない。
しかし平然と行われるえげつない大食い。
僕は顔を顰めながら、友の化け物っぷりをまじまじと見つめるのだった。
「ぷはー。美味かった。さてはあのおばちゃん、達人だな」
「この道何十年って貫禄があったもんね」
「オウ。顔の皺は歴史の証ってわけだ」
「それ、ノンデリ。ロウベリーさんが殺しに来ちゃうよ」
「ブハハ! さすがに聞こえねえように言うさ。アイツとは違って」
なんだかんだで周辺の探索を開始。
わかりやすい目印だという『赤い時計塔』の元へと赴き、満遍なく赤色に塗られている時計塔の木の壁に僕は手を当てた。そこから辺りを見回し始める。
酒場、酒場、酒場……うん。
沢山あるな、酒場。んで、どこだよ、ギルド前の酒場ってのは。
そりゃそうか。ロウベリーさんが言ってたもんな、冒険者は暇があれば飲んだくれてるって。だから活動の中枢であるギルドの近くに酒場が乱立するのは自明の理か。
まあ、暇さえあれば飲んでるってのは、冒険者嫌いを隠そうともしていないロウベリーさんの発言であるから、冒険者に対する印象を悪くするように話を盛っている可能性もなくはない。
しかし、周辺は飲み街としか言えない様相を呈している。
故に『酒好き』というのは紛れもない事実なのだろう。
命を懸けて得た金で酒を呷り、疲弊した心身を慰める。ちょっとマッチポンプ味があるけど、それも一つの形なのかもしれないな。
「どの酒場の前かな? ここだぞー、って看板があればいいのにね」
「ハハッ、別に商いをしてるわけじゃねえから、わざわざ『ここだ』って看板は立てないんじゃねえかな。でもギルドは金を持ってるし、だから『でけえ門』を構えてるはずだぜ」
「もう薄暗いし、人に聞いちゃう?」
「そうだな。人に聞いちまった方が早そうだ」
ギルドって一体どこぞ。
僕達は一向に見当たらない目的地に痺れを切らし、その所在地を聞くために適当な酒場に入った。そうして夜間営業の準備で忙しそうな店員の女性に声を掛ける。
「お邪魔して申し訳ないです。あの、ギルドってどこにありますか? この辺にあるって聞いていたんですが、ちょっと暗くて見つからなくて」
「あはは、この辺は高い建物ばかりで分かりづらいですもんね! ええっと、ギルドは——」
もうすぐ暗くなるのにとても活き活きしていた、申し訳なさそうに話を聞いていた僕にも多分に元気を分けてくれた店員の女性の話に従って、僕達はギルドがあるという方へ進んでいく。
「あっ! あの煌々としてる場所じゃない?」
「オウ。魔道照明を門に掛けてるし、あそこがギルドで間違いないだろう」
魔道照明。
魔道国・ルフで製造された魔道具の一つ。
発光魔法の発動に必要な魔法式、つまり『魔法印』が内部に刻まれていて、内包している『魔結晶』のエネルギーを消費することで、まるで太陽のように辺りを照らす。リップさんから頂いた『火の魔道具』とはまた別の、似て非なるもの。
「やっとついたー。ほぼ丸一日移動してたね」
「だな。さっさと情報収集を終えて、この辺りで一泊することにしようぜ」
「だね」
到着した目的地、その名も『ギルド・フジノミハト支部』
僕はその真正面に立っては、無言ながらに思った。
その門構えは狼貪虎視な冒険者を束ねているだけあって、至極威圧的——ではなくて。
その雰囲気は勧善懲悪を頭に掲げているだけあって、過的な重圧さを——発してはいなくて。
なんというか、そう。
至って普通の『役所』って感じで、めちゃくちゃ拍子抜けだった……。しかし、武装した幾人かが中に入っていくため、ここが例の『ギルド』で間違いなさそうで。
「ソラ。突っ立ってないでさっさと行こうぜ」
「あ、うん」
僕は既に玄関口を開けているトウキ君に呼ばれて、突っ立っていた正面玄関前から移動する。
して、扉を開けて待ってくれていた彼に礼を言いながら、人生初のギルドに足を踏み入れた。
「おお〜」
門構えは畏まっていた。しんと静まり返っていた。
厳つい野郎達が待ち構えているもんだと、無法者流の『歓迎』を早々にしてくるものだと、何も知らないままに勝手に思っていた。伝説の戦士の像とかがあって、ある意味で『荘厳しい』のではとも想像していた……。
が、しかし非常に礼節弁えている現実を前にして、これまた勝手に落ち込んだ。
なんとも言えない感情。
やや『虚無り』ながらギルドへと足を踏み入れたそんな僕は、三階建ての建物からは見られなかったいかにも冒険者の活動拠点的な内装に、つい『解釈一致』という感嘆の声を漏らした。
草臥れた冒険者が腰掛けているのは、椅子ではなく酒樽。頭を掻きむしりながら『くそったれ……』などという独り言を呟いているそんな彼が前にしている小卓は、適当に拵えられたように角がササクレ立っていて、まさに低予算低クオリティ。
おそらく、喧嘩かなんかで元々あったちゃんとした設備が破壊され、結果的に壊れても問題ないこれに変わった。という想像。
ギルドの内装を一言で言えば、酒場。大衆酒場というには目立った席がなくて、役所というには規則が感じられない、という感じ。
外観的におそらく三階建てだが、突き抜けた天井は二階の扉だけを目に入れさせてくれる。 三階は役員室でもあるのだろう。
とすれば、二階のあの部屋は冒険者も使えるのかも? なんであれ、三メートルを超した人物でも腰を曲げることなく寛げる高さ。とても開放的だ。真正面、端から端まであるカウンター奥では、何やら書類作業をしている職員らしき人達が。
空気感はなんとも言えない。本当に適した言葉が見つからないのだ。互いに対し絶妙な距離があるというか、何があろうと我関せずみたいな、そんな感じの空気。
やることあるなら勝手にしてろ。そういう言葉が聞こえた気がした。だから僕は、じっと内装を観察していた目を、隣にいたはずのトウキ君を探すために使った。
「いたいた」
トウキ君がいたのは入り口から左手に行ったところにある、非常に大きな掲示板の前だった。
そして、僕は掲示板に貼られている情報紙をじっと見ている彼の元へトコトコと歩み寄った。
「その巨大掲示板が今回の情報収集の要?」
「オウ。個人やら商会が出してるクエスト、魔族の発見報告、尋ね人の情報等々、ギルドが機密事項にせず、大々的に公開している直近の情報がここに貼ってあるんだ」
「へえー」
トウキ君が見て調べているのは、昨今のハザマの国をざわめかせている『神隠し』について。
対する僕はというと、消息不明になっている母さんのことを調べる必要があった。
しかし僕達が前にしているのは『近況』を知らせてくれる掲示板だ。とどのつまり、昨日の今日で消息を断ち、捜索依頼を出したわけでない母さんについてなど、ここにあるはずもなく。
そもそも行方不明の届け出すらしていないからな。爺ちゃんもカカさんも、してない……。
だから、こういう特徴を持った女性についてを人伝に聞いていくしか手がない。
にしても、行方不明届か。
ギルドを介して、世界中で『尋ね人』を探してもらうわけだよな。懸賞とか用意する必要があるけど、うん、この際だし依頼を出そう。その方が確率が上がる。
「トウキ君、僕はギルドの職員に行方不明届を出してくるよ」
「オウ。俺はここにいるから、済んだら来てくれ」
「おけ」
了解を得て、僕は掲示板の前から離れた。そして、社屋が広くてやや遠くにある、ギルド職員たちが職務中の事務所の方へ歩いていく。
「すみません」
「はい、少々お待ちください。っと、はい。ご用件の方をお伺いいたします」
「あの——」
慣れないことに汗を掻きつつも、僕は母さんの、行方不明者の捜索依頼をギルドに提出した。
すると職員のお姉さんは、少なくない手数料と『多額の懸賞前金』が必要だと僕に言った。
世界各国に存在するギルドに情報を共有し、その他諸々に掛かる経費が手数料という形で。
懸賞の前金というのは、依頼者が依頼達成時に『蒸発』した場合の保険。つまり担保。
スムーズな報酬の支払いを行うためという建前を聞かされつつ、僕は気になる点を質問した。
「もし依頼を途中で取り下げたら、担保にしているものが全て返ってくるんですよね?」
「はい、その通りです。我々ギルドは依頼者様の財産を不当に回収しないことを明記します」
「なるほど」
どうやら、途中で依頼を取り下げた場合、担保にしている資産の全額が僕の元に返ってくるらしい。
何十年と見つからず、諦めが付いた時にこの制度を利用できるわけだ。
いや、待てよ。
「前金の保管期限とかあります?」
「その際は契約書を用いての契約を行いますので、ギルドが存続する限りは、依頼者様の財産を不当に破棄することはございません。ご安心ください」
ちゃんとしてるなぁ。さすが世界組織だよ。
「分かりました。それで……懸賞前金って、いくらくらいなんですかね?」
「懸賞金の度合はギルド側で決められてはおらず、すべてが依頼者様次第でございます。ですが、懸賞を少額にしてしまいますと、捜索を行う冒険者方の気持ちが乗らず、一向に捜索が進展しないということもございますので、相場でいうと、一万〜五万ルーレンほどでしょうか」
高え。けど、それくらいは掛かるのか、普通に。
確かにな、善意で動くにも『限度』はある。魔獣討伐に『十万ルーレン』とかいう破格の世界だし、人探しも、それくらいが妥当なのか。
正直に言ってかーなーりキツい。
ってか、そもそもそんなに手持ちがねえ。六千しかねえよ。値切るとか論外だし、これはどうにかして飲み込むしかなさそうだ。しかし、どうするかな。
「………………あ、それって積み立てみたいなことできますか?」
「可能でございます」
「あ! じゃ、じゃあ……えっと、今日は三、いや五千ルーレンで依頼を出させてください」
「その……手数料の方も頂くことになるのですが、大丈夫、でしょうか……?」
ホ、ホゲー。そうだった……。
「ああ……手数料……手数料っていくらくらい、なんですかね?」
「一律で三千ルーレンとなっております」
「…………二千ルーレン、積み立てで」
「か、かしこまりました」




