第116話 仲直り
僕はシスター・エミアサが言ったことが理解できず、しばしの間を置いて『は?』と言った。
シスターはそんな僕に苦笑しながら、彼女と仲良くなるなら『デート』しかないと宣う。
本当に意味が分からなかった。
不仲なのにデートだと? マジで馬鹿じゃねえのって感じだ。
おっと、内なるルメルが顔を出してしまった。
反省反省。じゃなくて。
何をどうすれば『デート』が可能なのか、僕は顔を引き攣らせながら問いかける。
僕達は正真正銘の『不仲』だ。そんな僕のアプローチを向こうが受けてくれるはずがない。
そう何度も言っているのに、シスターは頑なに『デート』しかないと言う。
僕は呆れたようにスゥーっと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
落ち着いて、再び問う。
どうすればそんなことが可能なのか。そんな奇跡が起きても叶わなそうなことをどうやって。
僕は何度も必死にそう問いかける。
しかし、それはソラさんの熱意次第ですと彼女は言った。
まさかの他人任せ。僕は相談したということを棚に上げて、そんなの無茶だと首を振る。
それが昨晩のことだった。ただ『頑張って!』と黙示しているシスターに恨めしい目を送りながら、こんな夜遅く、女性の部屋に長居は厳禁ですと言われた僕は、彼女の部屋を後にした。
貸し与えられている客室。
ランタンを置いた机に肘をつきながら、窓を開け、夜風に当たる。
「デート、デート、デート……」
何度も『意地悪な顔』をしていたシスターが与えてくれた『答え』を反芻する。
不可能だ。無理難題だ。別の案を考えた方がいいレベルだ。
そんな逃げの思考を何度も浮かべて、でもシスターが言っていたしと針で突いて破裂させる。
パチンと泡が弾ければ、デートかぁ、と息をつく。
別に恥ずかしいわけじゃない。誘うのを躊躇ってるわけでもない。
ただ、絶対に受け入れられないだろうなぁと億劫になっているのだ。
絶対に拒否される、必ず拒絶されると分かっているのに、それでも誘うなんて下心でもあるように思われかねない。実際、仲良くなりたいっていう下心はあるのだが。
「どうすっかなぁ」
僕のその独り言は夜空に吸い込まれていった。空で星々がチカチカと瞬いている。僕は月の表面に描かれている解析不明の絵を見つめながら、何度目ともしれない溜め息を吐くのだった。
「ねえ、ルメル」
避けに避けられかれこれ三日。現在時刻は三月五日の午前十時過ぎ。僕はあれ以来盗みを働くことなく、三日という時を無事に過ごしていた、畑の雑草を毟っているルメルに声をかけた。
さらさらな黒色の長髪を微風で泳がせている彼女は、声を掛けてきた僕へきつい一瞥を送る。
「どっか行けよ、クソ野郎」
ギロリ。そんな目を見せる彼女に、僕は困ったように頬を掻いた。本当にこんな奴をデートに誘えるのだろうか。そんな思いで溜め息を吐きそうになるも、なんとか我慢して話を続ける。
「ちょっと買い物に付き合ってくれない?」
「失せろっつってるだろ、気色悪い。一人で買い物もできねーのか」
キツすぎる。マジでこれを攻略するのは無理だろ。精神がゴリゴリと削られていっている僕は、シスターを恨めしく思うが、しかし恨み言を吐くことはなく、もう一度チャレンジをした。
「この辺の地理に詳しいだろ? だから付き合ってくれないかなぁ、って思ってるんだ」
「俺を誘うな。適当な奴を選べばいいだろ」
顔すら向けることなく、彼女は僕に『正論パンチ』を食らわせる。僕はそれに『グエッ』と踏み潰されたカエルのような声を漏らしかけた。が、なんとか喉奥で耐え、内心で頭を抱えた。
「ルメル」
「! え、エミアサ姉さん…………」
攻略不可。相手の拒絶レベルが高すぎる。そう考え、流石に諦めようかと思ってしまっていた僕と、無視はせずとも拒絶はしていたルメルのもとに、洗濯を終えたシスターがやって来る。
僕如きじゃあこれは無理ですよと、僕は彼女に目で語る。それを見て、シスターは苦笑した。
「ルメル、私からもお願い。ソラさんに少しだけ付き合ってあげて? 一時間でも、三十分でもいい。少しだけでも、ソラさんの貴女と仲良くなりたいって思いを尊重してあげて。ね?」
「…………」
シスターを『姉さん』と呼んで慕っているルメルは、シスターからの語り掛けに苦渋の表情を浮かべた。嫌だけど。本当に嫌だけど。この人が言うことに背くのは辛い。そんな顔だった。
「…………チッ。三十分だけだぞ」
盛大な舌打ち。本当に渋々。それを周知させる態度をしつつも、ルメルはシスターに折れてくれた。
僕は『助け舟』を出してくれたシスターに、元はと言えば貴女のせいだよなと思いつつ、感謝の念を送るのだった。
「うん。それで十分だよ」
三十分でいい。一時間の半分。表面上は短いけれど、それは僕にとって大きな時間だった。
僕は小恥ずかしそうに『デート』を受け入れてくれたルメルに、微笑を送りながら頷いた。
「ありがとう、ルメル」
「…………フンッ」
腰を折ったシスターからの感謝に、ルメルは素っ気ない態度で鼻を鳴らした。
「それじゃあ早速、付き合ってよ、ルメル」
「チッ、わあったよ」
+ + +
せっかくの『デート』なんだから、それに応じた格好をしなくちゃいけません。
ドレスコードってやつですよ。
微笑みながらそう言っていたシスターによって、不慣れな『お洒落』をさせられてしまった僕達は、教会の子供たちに『ワーワー』と囃されながら外に出る。
ルメルは特徴的な自身の『羽』を覆い隠すためのゆとりがある上着に、足の線がくっきりと浮かび上がっているスキニーパンツを着用している。
格好はここ、アインアインで出会った時とまったく同じ。
しかし、シスターからもらったという、藍の花の簪を髪に差していた。
お団子ヘアーと言うんだったか。
詳しくは知らないけれど、バッチリと可愛く決まっている。
それが少し恥ずかしそうで。その様子を見た僕は、柔らかく微笑んだ。
そして思いっきり蹴られた……。
僕は、ユウデル神父からもらった高級なネクタイに、いつものワイシャツ、そして茶色のズボンを着ている。アクセントはネクタイだけだが、これによって『妙な堅苦しさ』を得ていた。
『テメエ、コートは?』
もらったネクタイを着けているだけで、あれだけ固執していたコートを着ていないのは何故。
そう伝えてきたルメルへと、僕はただ『いいんだ』と答えた。話はそれで終わり。
僕はただ明るい表情で『行こう』と言って、ルメルと共に市中へと向かっていく。
怪訝な目を彼女は向けてきていたが、僕はそれをわざと無視した。教える必要はないとして。
「んで、どこ行くんだよ」
「んー……どこ行こう?」
「決めてねーのかよ!!」
流石のツッコミ。そして再び直撃する蹴り。尻をバシンと打たれた僕は、別に効いたようなリアクションを取ることなく、平然とした様子でどこに行くかを考えた。
「なんかいい場所ない?」
「俺に聞くかよ、普通?」
デートに誘われた相手が決めることじゃねえよ。そんな正論パンチから目を逸らし、僕は恥ずかしげもなくルメルに問うた。
いい場所ない? と。すればルメルは呆れたように口を開く。
「…………この辺りなら、花園とかだな。二時間くらい歩くことになるが」
「花園! いいね、行こう行こう」
「……チッ」
花園。ルメルは花が好きだとシスターから聞いていた。故の一案だろう。僕はもしかしなくともそこに行きたいんだなと察し、花園へ向かうと決めた。
そしてキョロキョロと馬車を探す。
「あ? 馬車で行く気かよ」
僕の様子を見て、ルメルが問いかける。この物価高騰の中、馬車を利用するのは財布的に良くはない。そう伝えてきている彼女に、僕は理由を語る。
「二時間も歩くのは疲れるでしょ? 往復で四時間じゃん」
「そうだが、高えぞ。俺は一ルーレンも出さないからな」
往復で四時間。今は十一時だから、花園に一時間は滞在するとして、教会に帰り着くのは四時頃になる。そうなるなら、馬車でさっさと移動してしまった方が『タイパ』がいいと思った。
ルメル的にネックなのが予算。しかし、それは大して問題ではなかった。コートを売った時の釣りがあるのだ。今の手持ちは『二万ルーレンと少し』もあるのだから、問題は何一つない。
「大丈夫大丈夫。予算は潤沢にあるから」
「……ふーん」
胡乱げ。金持ってるのかって風だ。まあいい。別に言わなくちゃいけないことでもないしな。
僕は路肩に停まっていた馬車に近づき、近くにあるという花園へ連れて行ってほしいと言う。馬車に乗るときルメルに手を貸したが、それは払われて終わり。僕は苦笑しながら着席した。
「それじゃあ出発するよい」
パシンと手綱が鳴る。そしてガラガラと動き出した馬車。
僕は車窓から見えるアインアインの景色を眺めた。
そうせず、ルメルとコミュニケーションをとった方がいいのだとは思いつつ。
僕は一瞥だけを、太々しく腕を組み、ただ無言で瞑目している彼女にくれた。
+ + +
「あい、着いた着いたよー!」
馬車に揺られること、かれこれ数十分。僕達はついに花園に到着した。四百ルーレンというまあまあな運賃を支払い、下車する。もう一度手を貸してみたが、やはり手払って拒否された。 僕はしかし気にした素振りなく、花の甘い香りがする風を感じ、スゥーっと息を吸い込んだ。
「やーっと着いたね」
「ふん」
話しかけてみると、ルメルは鼻を鳴らすだけで返事をしてくれなかった。
僕は苦笑しながら「それじゃ行こうか」と言って歩き出す。
「ルメルはさ、花が好きなの?」
イーレンの花園。僕達がやってきた『個人運営』の花園は、そんな名前をしていた。
イーレンという人物がたった一人で管理運営しているとは思えぬほど、その面積は広大だ。
咲く花々はまさに多種多様。故郷のソルフーレンの固有種も、多数が花開かせていた。
ミツバチが飛んでいる。
僕が身に纏っている『風』に引き寄せられているのか、数匹が身体に止まってきた。
それを認めたルメルは、お前平気なのかよと引いていた。
虫くらい、別にどうってことないよ。指先に止まったミツバチと戯れる僕がそう言うと、俺には無理だわ、と。思っていたより軽い返事が来て。僕はつい「あはは」と笑ってしまった。
そのまま、花園を歩く。僕とルメルの距離は物理的に二メートル離れていた。付かず離れず。
心地良い距離感でもなければ、不快的な距離感でもない。言ってしまえば『普通』であった。
「あ、ハチミツだ」
世界中の花々を眺めながら進んでいると、小高い丘の上に『蜂蜜』の無人販売所があった。
「イーレンさんは養蜂もしてるからな」
一瓶は一五〇ルーレン。そんなに高くなく、かと言って安くもない値段設定。
僕はシスターたちへの『お土産』にしようと思い、それを二つほど購入した。
「結構な常連な感じ? ルメルは」
蜂蜜を抱えた僕は、ふと問いかけた。
「…………ま、まあまあだな」
今、妙な間があったな。ルメルはよほど花が好きらしい。隠したがってるけど、丸わかりだ。
「ふーん。毎日来てそうな感じがするけどね」
「うるせえ」
頬を赤く染めながら、ルメルはそっぽを向く。その反応が面白くて、僕は笑みを噛み殺した。
「ルメルはさ、なんで花が好きなの?」
「…………母さんが好きだったからだよ」
僕からの質問を受け、ルメルはしばしの間を置いて答える。
母親が好きだったから。その答えを聞いて、僕はなるほどねと頷いた。
「お母さんと最後に会ったのはいつ?」
踏み込んだ質問だ。故に別に答えなくてもいい。そんなつもりで僕は言葉を発した。
「…………俺が五つの時にいなくなったから、もう十年以上も前だ」
十年か。人生五〇年というどこかの偉人の格言からすれば、なんと五分の一の長き時。
生まれたての幼子も少年に。成長した少年は大人になる年月だ。実に遠い。実に長い。
「そっか。僕はもうそろそろで五年になるよ」
寂しげに、僕は言った。自分の身の上を。
「あ? 何がだよ」
ルメルは何言ってんだ? そんな顔をしている。しかし僕は構わず、答えを語った。
「母さんと最後に会ったのが」
「……故郷に置いてきたってことか?」
故郷に置いてきた、か。もし母さんがいなくならずに、まだ故郷で暮らしていたら。
僕はどうしていただろうか。
無意味な自問自答。至極無駄な思考。必ず、僕はまだ故郷に留まっていただろう。
まだ、あの普遍的な幸せの中に閉じこもっていただろう。
居なくなったから、こうした『色々な人達との出会いと別れ』を数多く経験している。
爺ちゃんに背中を押されて、きっかけとなった母さんを探している。それが『今』だ。
「ううん。居なくなったのがだよ」
僕は首を横に振った。
「……お前のとこも、居なくなったのか?」
正直な疑問だった。答えづらいと分かっているから、答えなくてもいいという含みがある。
「うん。突然、何も言わずに帰ってこなくなったんだ」
「……へえ」
僕達は似ている。身の上も、環境も。性別以外が。友を殺した魔族を恨んでいる僕。そして、兄が居なくなった原因を作った人間を恨んでいるルメル。似て非なるようで、とても似ている。
「ルメルってさ、お父さんいる?」
なんてことのない様子で、そんな質問をした。
「当たり前だろ。まあ、母さんと一緒に消えちまったけどな」
「僕は居ないんだ。父親」
「……もしかして会ったことないのか?」
疑問視している彼女へ、僕は頷いてみせる。
「うん。会ったこともないし、その存在が匂わされたこともないよ。本当に『無』だった」
僕に父親はいない。記憶にもない。どれだけほじくろうとも、そんなものは出てこない。
その『違和感』を如実に感じはじめたのは、この旅を始めてからだった。
市中には親子連れが多い。見ないことのほうが稀だ。父親。母親。と、その子供。
その何一つおかしくない組み合わせを見るたびに、思う。僕に父親なんているのかな、と。
故郷にいたころの僕は、家族と言えば『爺ちゃん』と『母さん』だった。
そこに居るべきはずの、正分子。居て当たり前な『父親』のことを思うことは終ぞなかった。
「……会いたいのか?」
僕は首を横に振る。
「ううん。別に父親を探す気はないよ。多分、最初からいなかったんだと思ってるから」
最初から、父親なんていなかった。故に不自然さはなく、ただ居ないという自然を得ていた。
「……お前が生まれてるってことは、父親はいるはずだろ」
「でもいいんだ。僕の家族は母さんと爺ちゃんの二人だけ。それだけで十分なんだ」
僕が生まれているということは、この世のどこかに実の『父』がいるということである。
正論。それを受け取った僕は、手の中にあるそれをじっと見つめた後、そっと手放した。
「ルメルはさ」
「……なんだよ」
声に耳を傾けてくれる。やっぱり優しいんだな、ルメルは。
「ルメルは会いたい? 家族に」
「…………会えるなら、会いてえよ」
後ろを歩いているルメルが、暗い顔で俯いてしまったのが分かった。僕はしかし前を向いたまま、振り返ることも、視線を落とすこともせずに、遥かなる蒼穹を目に映しながら、言った。
「じゃあ、探すよ」
と。
「……え?」
ルメルは立ち止まった。僕の口から出たその言葉を聞いて、歩くのをやめる。
「僕、旅をしてるんだ。母さんを探すって旅を。だから、そのついでにはなっちゃうんだけど、ルメルの家族も一緒に探すよ」
「……はっ、意味分かんねえよ」
母さんを探す、その旅のついでに、ルメルの家族を探す。
そう言った僕に、そう宣った僕に、ルメルは少しだけ嬉しそうに微笑した。
「ルメルは、家族を置いていきたくないんでしょ?」
「置いていかれたって言っただろ。兄ちゃんも、母さんも、父さんもみんな」
父も母も兄も、教会で暮らしているルメルの元から去っていった。それはもう、分かってる。
「教会にいるじゃない。家族が。あんなにもたくさん」
「……!」
ユウデル神父。シスター・エミアサ。アキタ君にポワイちゃん。それにたくさんの子供たち。
みんな家族だ。ルメルの大切な人達だ。それを言っている僕に、ルメルは気づきの顔をした。
「置いていきたくないんでしょ。自分がされて嫌なことを、君はしたがらないだろうし」
ルメルは口調や行動は粗暴だけど、根が悪い人間じゃない。
「……そんなんじゃねえよ」
否定しても無駄だ。どれだけ演技しても無駄。
もう知っているのだから、どうしようもない。
「どう違うの?」
「…………俺は、別に……借金があるから、責任があるから、居るだけで」
「借金はもう無いよ」
「……は?」
借金を例に出して、いつぞやの僕のように足踏みをしようしていた彼女へ、僕は借金をすでに返済してしまったと、真にあっけらかんと言った。それに、ルメルは愕然とした表情をした。
「コートを売ったんだ。そのお金で借金は返済したよ」
振り返って、儚げな眼差しを見せる。吹けば消えるような幻想的な雰囲気。風そのもの。
ルメルは心底理解した。目の前にいる者こそが『自由』を象徴する、風の化身であると。
「なっ……何してんだよお前!?」
ハッと気を取り直して、ルメルは僕に詰め寄った。
「別にいいじゃん。そうしたかったんだから」
コートは僕の私物だ。なら、売るなり焼くなり好きにしていいはずである。
「だからって、お前……あれ、宝物じゃなかったのかよ」
「宝物だよ。あれは、爺ちゃんからもらった唯一無二の宝物だった。だけど爺ちゃんなら、僕が愛している爺ちゃんなら、売ってお金に変えて、他人の借金を返済するってなっても、笑って送り出してくれると思った。やっちゃえ! って言うと思ったんだ。だからそうしたんだ」
宝物だ。あのコートは誕生日にもらった大切なものだ。しかし、だからなんだと言うのか。
「…………意味……意味分かんねえよ」
ルメルは泣きそうな顔をしていた。それは嬉しさからじゃない。おそらくは僕に身を切らせたことへの罪悪感、自分でどうにもできなかった後悔からくるものだった。
「だからさ」
だから、僕は語りかける。こうして、君と話をする。
「……?」
「ルメル。君はどうするの?」
「俺……?」
「うん。借金はもうないよ。だから、君はどうしたいの?」
君を縛っていた鎖はとうにない。僕が引き千切ったのだから、君はもう、空を飛べるはずだ。
「俺は……別に……」
ルメルは僕と目を合わせることなく、衝撃が抜けきらないみたいに拳を握っていた。
自由を手に入れた鳥は、自分で施錠していた箱庭から飛び出せるのだろうか。
僕は彼女がどう動こうとも尊重する。故に、その答えを知る権利があった。
「探しに行く? それとも、家族と暮らす? なんでもいい。君を強制するものは何もない」
それとも、一緒に来る? 僕はそう言った。
「え……?」
僕と一緒に家族を探す? 僕はそう言った。
「…………嫌だ」
じゃあどうするの? 僕はそう問いかけた。
「探す」
どうやって?
「……この羽で飛び回って、出ていった兄ちゃんを蹴る。父さんと母さんに正座させる」
まさかの夢だ。まさかの目標だ。まさに面を食らった僕は、ただ「あはは!」と笑う。
「な、なんだよ……」
いいね。超カッコいい。僕は目に涙を浮かべながら、包み隠さない本心を言葉にした。すれば、彼女は顔を赤くする。
「べ、別に何もカッコよくないだろ」
「ううん。カッコいい。カッコいいよ」
僕にはできなかったことだ。自分の足で自ずと前へと突き進むことは、僕にはできなかった。
爺ちゃんに背中を押されて、出会った誰かに助けてもらわなくては、僕は今こうしていない。
カッコよかった。目を焼かれるほどに、彼女の第一歩は、勇壮で、美しく、カッコよかった。
尊敬と憧れ、羨望。そんな思いが込められている視線を向けて、僕はルメルと目を合わせる。
「なっ、さっきからなんなんだよ、気色悪いな!」
「引きこもってたんだ。ずっと故郷で足踏みをしていたんだ。居なくなった母さんは、いつか戻るかもって期待して。だけど、爺ちゃんに思いっきり背中を押してもらった。物理的じゃないけど、僕は背中を押された。僕は爺ちゃんに助けられて、今こうしている。ルメルは自分で、自分の力で立ち上がった。そして前に歩き出した。だからカッコいいって、そう思ったんだ」
僕のオリジン。母さんがいなくなり、爺ちゃんに背中を押されて、今。
この出会いと別れは、このかけがえのない宝物は。全て、家族がいたから手に入れられた。
「一人旅は寂しいよ? 先輩として言っとく」
視線を動かし、意地悪な流し目を送る。先輩風を吹かせるというか。まあそんな感じだった。
「……はっ、寂しいのは慣れてるっての」
「そっか」
「お前……そ、ソラはどうするんだ。これから」
初めて名前を呼んでくれた、顔を羞恥で赤くしているルメルに、組み立てていた予定を語る。
「教会の運営資金を調達して、それを全部寄付したらキリテルへ行こうと思ってる」
僕が敷いていたロードマップ。第一、借金の返済。第二、仲直り。第三、運営資金の調達。
第一と第二はクリアしたと思う。そう付け加えながら、僕はルメルの疑問を受け取った。
「キリテルに何しに行くんだよ?」
「キリテルに行って、接待飲み屋のオーナーと会うんだ」
「接待飲み屋!? ま、まさかお前、バンバラのクズと会う気か!?」
そうか。そうだったそうだった。接待飲み屋と言えば、バンバラ商会との競合になるわけだ。
「いや、違う違う。それはもう決着がついたし、今さら会おうとは思ってないよ。ジオドラムについて詳しい人らしいんだ。そこのオーナーさんが」
「ジオドラム……に行く気なのか? あんなところにソラの母さんは居るのか?」
その疑問は尤も。物価高騰の中心、ここと比較にならないほど狂っている場所に、わざわざ住んでいるわけがない。僕はルメルの正論に、しかし行くことは止めないという思いを告げた。
「多分いないと思う。これは旅の目的から外れてるロードマップなんだ。僕はただ気になっただけだよ。ジオドラムがどこへ行くのか。国民はどう思っているのかを知りたいんだ」
「……ふーん。でも、行かない方がいいぞ。あそこは今きな臭いからな」
戦争の準備を進めているという話は、ルメルも知っていたらしい。
ここ、ルカンルカンは渦中の軍事拡張推進国家の付近なのだから当然か。
「もしかして心配してくれてる?」
再び意地悪な顔をして、そう問いかける。
「う、ちっ、ちげえよ! 別に心配とかしてねえっての。あれだ、ほら。飢え死にしたら気分が悪くなるからって感じで、本当にそれだけだぞ!?」
「そっか。優しいね」
「ふ、ふんっ」
間が開く。無言が流れる。しかしそこに棘はない。とても居心地が良くなっている現状を見て、僕は嬉しくて微笑を浮かべた。そしてゆっくりと口を開く。
「ルメル」
「なんだよ」
「教会の運営資金の調達、手伝ってくれない?」
無言のまま歩いていた僕のその言葉に、ルメルは片方の眉尻を上げる。まさかまた宝物を売る気じゃないよな。そんな目をしている彼女へ、僕は首を横に振った。
「じゃあ何する気だよ。仕事とかほとんどないぞ」
「魔獣を狩るんだ。君は目になってくれればいい」
魔獣狩り。最も簡単に大金を稼げる超実力主義の荒仕事。ひょろひょろっとしている僕の口からそれが出るとはてんで思っていなかったのか、ルメルは若干の驚愕を表情に浮かべていた。
「魔獣狩り? 残ってるのは金払いの悪いやつか、強え魔獣を相手にするやつくらいだぞ?」
「いいんだ。少しでも稼ぎたい」
注告は受け取っておく、しかしそれで動きを変えるつもりはない。
「……目になればいいって、具体的に何すんだ?」
「上から魔獣を探して、僕に情報を伝達してほしい。実行は僕がやる。君に怪我はさせない」
覚悟。対魔獣はすべて僕が行ってみせる。すべて斬り伏せてみせる。
そんな僕の決意を認めたルメルは、首を撫でながらコクリと頷いた。
「…………分かった。手伝ってやるよ」
「ありがとう」
「ふ、ふんっ」
微笑を見せて、感謝を伝える。僕の顔のどこかがおかしかったのか、ルメルは顔を真っ赤に染めて、急に目線を逸らしてしまう。僕はその反応がおかしくて、屈託のない笑みを浮かべた。
「蜂蜜も買ったし、帰ろうか」
「……少しだけ」
帰ろうとしていた矢先、ルメルが僕のワイシャツの袖を掴む。僕はそれに首を傾げた。
「少しだけ……付き合えよ。見たい花があるから」
「いいよ。好きなだけ付き合うから」
時間は有限。だけど、そのくらいなら問題無し。
僕は頷き、ルメルが見たがっている花を見に行くことに同意した。
すると……ルメルは何かを言おうとして、口をぱくぱくさせはじめた。
「………………あ」
「?」
「あ……あり、がとう」
「ふふふ」
二人のデートは続く。教会に帰り着いたのは、午後の十七時を回ったころだった。
やけに距離感が近くなっている二人に、シスターは「まあまあ」と微笑む。
子供たちはしかし変わらず、僕が買ってきた小麦粉と蜂蜜を見て、パンケーキだと沸いた。
僕達は夕食に出るパンの代わりにパンケーキを焼いて、それをハムハムと食べるのだった。
「…………美味えな」
「だね」
僕は隣でパンケーキを頬張っている、 ボソリと美味しいと言ったルメルに、微笑みながら頷くのだった。




