第114話 覚悟を決めて
翌朝。僕は教会の客室、そこにあるベッドから身を起こした。現在時刻、三月二日の六時半。
いつも通りの朝である。僕は立ち上がっていつもの服に着替える。そして部屋の扉を開けた。
カツカツと、静まり返っている廊下を歩く。そとを見てみれば雲一つない快晴が認められた。
「おはようございます」
「あら、おはようございます、ソラさん」
三階の一室から、一階の民家スペースに。そこで、十数人分の朝食の用意を一手に進めているシスターに僕は朝の挨拶を送る。すれば、彼女はニッコリと笑いながら、僕の挨拶を返した。
「手伝います」
「まあ、ありがとうございます」
シスターは朝から元気よく、ハキハキとしながら、厨房にある石窯でパンを焼いていた。
それを横目に、僕は少ない調味料と、あった鶏ガラを使って、薄味の卵スープを拵える。
一番に味見をしてくれた彼女は、それを用意した僕のことを「天才です!」と褒めてくれた。
その世辞に「あはは」と嬉し恥ずかしの空笑いを、僕は溢す。して、時間は過ぎて、七時半。
就寝していた子供たちがワラワラと起きてくる。何人か寝ぼけていたけど、しかし着々と朝の支度を済ませる。そして昨晩のように、皆んなで祈りを捧げながら、食事を始めるのだった。
「ゴホッ、ゲホッ……もう出ていかれるのですか? ソラさん」
荷物を全て抱えている、今に教会を出ようとしていた僕へ、神父がそう問いかける。
僕は振り向き様に彼と視線を合わせて、申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。
「あー、えっと。町にはまだ居ようと思ってるんですが、教会の世話になるのも負担になると思って、だから適当な安宿に泊まろうと思ってるんです」
ルメルたちの目が届かないところを活動の拠点にし、教会の借金を返済するために努力する。
そんな魂胆を腹の内側に隠しながら、僕は聖堂で祈りを捧げていたユウデル神父と話をした。
すると、神父は僕のその言葉に、ゆっくりと首を横に振った。それは、急いで行かなくてもいい、ここにいてもいいというジャスチャーだった。僕は困ったように苦笑し、彼の話を聞く。
「どこの宿も宿泊料を値上げしていると聞いております。ここならタダですし、食事も出せます。出ていかれなくてもよいのではないでしょうか? 子供たちも寂しがりますし」
この物価高騰の影響を受けていないところはない。ほとんどの商いが高価になっている。それは、一枚で二〇ルーレンのクッキーや、一杯が八〇ルーレンもするエールで身に染みていた。
故に節約も兼ねて、ここに居るのは大いに有りだ。普通に考えれば、そうするはずだ。全員、否、ルメルたち以外は僕の滞在を認めてくれる。シスターだって僕が去るのを寂しがるだろう。
そう暗に伝えている神父に、しかし、悩み顔をしてしまっている僕は首を縦に振らなかった。
「んーっと、教会の運営も結構苦労していると分かったので、あまり負担をかけたくないっていうのが本音です。一食でも浮けば少なからず楽になるだろうし……だから出ようかなって」
教会の運営費はカツカツである。この物価高騰で信者からの寄付は減り、神父が病に侵されているせいで、出稼ぎにもいけない。よくやっていけてるなと思うくらいにはギリギリなのだ。
それは昨日の生活で分かりきっている。故に、僕一人分の、有るか無いか程度の負担を軽減することが、教会にとっては大きな助けになる。ならばどうするか。出ていく他にあるまいて。
やはり出て行きます。そう目で伝えている僕へ、神父は暗い顔をし、そして柔和に微笑んだ。
「お優しい。風神様が貴方に多大なる『愛』を捧げるのも納得できます。ですが、心配無用ですよ。子供たちを育て、送り出すのがここなのです。貴方が出発するまで、ここに住まうこと、何もおかしくありません。それに、ルメルたちを止めようともしてくれているでしょう?」
絶敵に聞き逃すことができないことを、神父は最後に口から出した。僕はピタリと硬直する。
「え……?」
なんとか絞り出せたのは、実に呆けたそれだった。今、絶対に、絶対に聞き逃すことができない発言があった。どんなニュースよりも『インパクト』があるそれに、僕はただ目を見開く。
〝ルメルたちを止めようとしてくれているのでしょう?〟
という、神父の口から発されるとは一ミリも思わなかったそれに、僕はあからさまに時を止める。まさか知っていたなんて。まさか黙認していたなんて。
この人が? そんなまさか……。
何か、誤認識しているのかもしれない。
今のは僕の認識がおかしかなったのかもしれない。夢幻の類いだったのかも。
僕の脳みそが勝手に有り得ない妄想を垂れ流したのかも。
勘違い、間違い、誤認。
埋め尽くされるその考えを否定するように、神父はやはり暗い顔をしながら、再び口を開く。
「ルメルたちは外で盗みを働いているのでしょう? 鳥人間と言えば彼女の他にいません。それに、後ろめたいことをしているのは見ればわかります」
ルメルたちはアインアインの外で盗みを働いている。そんなことはとうに知っている。だが、他に知られているとは思わなかった。こんなにも近くの人物に——いや、神父という聖職者に。
「……止め、ないんですか?」
僕の口から出たのは、そんなことだった。しかし、本音だった。なぜ知っていて止めないのか。なぜ悪事を罰さないのか。貴方なら、神父をしている貴方には、その権限はあるだろうに。
それがただ、気になっただけ。酷な質問だとは思った。けど、抑えられずに言ってしまった。
「止めたい、というのが本音です。ですが、私が止めたら、もし罰したら、あの子たちの居場所がなくなってしまう。四面楚歌は苦しい。だから、私だけでも味方でなくちゃいけません」
彼の言葉には決意があった。まるで自身の起源に背けないと言っているような。確かな覚悟が彼にはあった。雰囲気は薄くて暗い。だけど迫力というのを感じた。僕は黙るしかできない。
「それに、救われているのも事実なのです。あの子たちが隠れて寄付してくれているお金がなくては、ここはとうに破綻していたことでしょう。私は悪どい人間です。どうしようもない悪人です。打算であの子たちの悪事を見逃してしまっているのだから。ええ。私が悪いのです」
正に背いている。義に背いている。神に身を捧げたにも関わらず、背叛してしまっている。
大罪。それを背に刻んでいる彼の言葉に、衝撃が抜けきらない僕は、つい尋ねてしまった。
「…………聞いても、いいですか?」
重圧無言の長尺。僕は意を決したように、彼へと問いかける。一人の神父としてでなく、ただのユウデル氏に対しての問いだった。それに、彼は己の目を浮かべながら、コクリと頷いた。
「ええ、なんなりと」
覚悟があった。全てを己の口から語り出す決意が。子供はいない。まるで神が聖域と定めて、ここへの侵入を防いでいるみたいだ。十数人の子供がいるとは思えないほどに、静まっていた。
「暴力事件を起こした子について、教えてほしいです」
暴力事件。ことの発端である。教会が財政難に陥った主な原因。知っていたのですね。そんな顔をしているユウデル氏に、色々と調べて回ったのでと目で伝えた。して、彼は話し始める。
「…………バンデラ商会の会長、ウゴー・バンバラ氏の息子、ウゴア・バンバラ氏がシスターエミアサに一目惚れをしてしまったのが、ことの始まりです」
バンバラ商会。ルカンルカンの首都、キリテルでの水商売の最大手。大きな商会だ。
ウゴー・バンバラ氏なる人物は初耳。その息子、つまり倅が暴力を振るわれた相手。
昨日調べた情報と、ユウデル氏が語ってくれる内容を広げて、それを点と点で繋ぐ。
「ウゴア・バンバラ氏はよく外遊をし、自分にとって好みと言える女性を、己が経営している接待店へ誘うことが多々あるそうなのです」
神父改め、ユウデル氏が話し始めた内容を聞き逃さぬように、僕は神経を尖らせながら聞く。
ウゴア・バンバラ氏は聞いた感じ『好色』なのであろう。シスター・エミアサはとても整った容姿、性格をしているから、彼が一目惚れをしてしまうのも無理はないかもしれない。
「高い給金を支払うため、その話を受け入れる方は多いのだとか。たまたま接待店の支店がある、ここアインアインに来たそんな彼の目に、シスター・エミアサが映ってしまった……」
接待店。性接待か、もしくはそれに近しい仕事だと思われる。春を売る娼館とまでは行かないが、己の『性』を前に押し出すものなのは確かなはずだ。
「ソラさんも知っておられるでしょう? シスターの笑顔は、それはもう花のように美しい。目に止まること、何も不自然では有りません。例に漏れず、彼女は接待店へ誘われたのです」
神に仕えている『シスター』という役職を担っている以上、そんな店に席を置くわけがない。 そう暗に言っているユウデル氏に、僕は異論を挟まない。そりゃそうだとしか思わなかった。
「しかしにべもなく断った。当然です、神に身を捧げたシスターなのですから」
そして。
「それが、プライドが高く、自分が社会の上位者だと疑わないウゴア氏の逆鱗に触れてしまった。彼は頑なに首を振るシスターへ我慢ならずに暴力を振るった。平手打ちだったそうです」
平手打ち。真っ先に暴力を振るったのはそいつなのかよ。僕は少しの驚愕と共に、顔も知らないウゴアを心底軽蔑する。女性、しかもシスターに暴力を振るうなど、罰当たりでしかない。
「それを目撃した、ここの古参だった、ルメルの兄に当たる『ウリュウ』という子が、彼の腹に蹴りを入れたのです」
マジでナイスだ、ウリュウ。僕は心底胸がスカッとする話を聞いて、人知れず溜飲を下げる。
が、問題はここからだった。
「そこからですね。教会に『嫌がらせ』が起き始めたのは」
嫌がらせ。ありもしない作り話の拡散や、鍵を壊す等のちょっとした破壊工作とかだろうか。
一度もそういうのを受けたことがない僕は具体的に想像できず、例えばなんだろうと考える。
「花を育てていた鉢が割られていたり、畑が荒らされていたりと、それはもう様々でした」
なるほどな。丁寧に育ててきた花や、畑の農作物を荒らしたりしたのか。ひとえに最悪だな。
もし、大切に育ててきたそれらを荒らされてしまったら、僕なら『仕返し』を考えるだろう。
「いつも、我々が見ていない早朝か夜間にことが起こり、故に嫌がらせをされているとの証拠が何も掴めないまま、ただ何もできない日々が続きました」
やり方が姑息過ぎる。陰湿そのものだ。相当捻くれてるんだな、ウゴア・バンバラって奴は。
「ウリュウは、こうなったのは自分の責任だと己を責めていました。私は彼に言ってあげるべきだった。貴方のせいじゃない。貴方の暴力は、ただ愛する家族を護るためのものだったと」
はっきりと言える。大々的に吠えられる。悪いのは『ウゴア・バンバラ』って奴なんだと。
ウリュウは何も悪くない。暴力を振るったって言っても、それは『仕返し』をしただけだ。
目には目を、歯には歯を。やられた分、お返ししただけ。
それが正しいことだとは言えないけれど。でも、僕だって、もしシスター・エミアサが暴力を振るわれれば、少なからず『痛い目』を見せるはずだから。
故に僕はウリュウの肩を持つ。彼は僕の代わりをしただけだ。必要な悪を行っただけなのだ。
なのに、どうして彼を責められようか。
「一件があってから、約半年間、嫌がらせは続きました。そんな中、起きたのです。事件が」
悪質が過ぎる。半年間もネチネチしていたとは、さすがに異常だろう。
話を聞く僕は顔を盛大に顰めながら、スッキリしない奴だなと思った。
そんな僕のことを見ていた神父は、浮かべている暗い顔を変えず、この話の『核心』に迫る。
「畑や花の鉢が荒らされぬように見張っていたルメルが、目の前で起きようとしている悪行を止めようとした拍子に、振るわれた実行役の刃物が銅に走ったのです。傷は浅かったため、シスターの治癒魔法でなんとか事なきを得たのですが……兄のウリュウがそれで限界を迎えた」
ルメルが『刃物』を向けられた。僕はその予想外でしかない言葉にあらん限りに目を見開く。
浅くとも斬られた。話に出てくる小悪党は『一線』を超えたと僕は確信する。
あの氷のように冷たくて、氷柱のように刺々しかった彼女に、怪我を負わせた。
それを知った兄が取る行動。僕ならどうするかを考えて、考えついて、ゴクリと息を呑む。
「彼には剛翼が生えていた。馬よりも速く空を駆けて、あっという間にキリテルへ行ってしまった。そして、そこにあるウゴア氏の店に押し入り、可能な限りの暴力を氏へ加えたのです」
暴力は悪だ。それはなんであれ、どんな理由があったとて、変わらない不変の真理である。
しかし、その暴力を肯定するだけの『わけ』があったのだ。
この教会には。この人たちには。
故に神父もウリュウを責めなかった。否、責めることなどできなかった。
役職上表立っての肯定はできないけれど、しかし間違ってはないとユウデル氏は思ったんだ。
「我々はその事件の責任を問われて、大きな裁判を起こされました。しかし、こと裁判を担っている裁判員の大多数が賄賂を握らされていたため、終始、我々の話は聞かれず、ただウゴア氏たちの話のみが正当化された。エミアサを接待店の従業員として差し出すか、多額の賠償金を支払うかの二択を迫られて、結果的には金銭で全てを補填することになりました。が……」
裁判員は賄賂で買収されていた。もはや正義なんてない。こんなの、あっていいわけがない。
僕はグッと拳を握りしめて、社会的な弱者に当たるこの教会の不運をただただ悔しく思った。
もし僕が当事者だったらどうするだろうか。
迷惑を掛けたから教会を出るか。はたまた、この腐り切った社会に対して復讐を誓うか。
分からない。分からないけど、いい方向には決して転ばないだろうとは、確信してしまった。
「ウリュウは裁判の最中に消息を絶ってしまった。己が起こしてしまった暴力の責任。その重圧に耐えきれなくなったのか、事件を起こした自分は居るべきではないないと考えたのか」
ウリュウが教会を飛び出したことで、ルメルの性格が曲がってしまったのだと僕は理解した。
そして、その出て行ってしまったウリュウの現在が知りたいとも、切に思った。
彼が幸せになっていないだろうことが分かったから、僕はなんともやるせない気持ちを得る。
全てを不幸にした元凶、バンバラ商会のウゴア・バンバラに対し、少しの憎悪を抱きながら。
「……彼の真意は何も分からぬまま、今に至るというわけです。ルメルが粗暴になってしまったのも、その時の件があるからなのです。だから、どうか彼女を嫌わないであげてください」
懇願。悪事を肯定してほしいわけじゃない。
ただ、彼女を独りにさせないでほしいという、ユウデル氏の本音。
彼女たちが働いている悪事を罰するのはいい。
だけど、避けないでほしい。去らないでほしい。そんな願いだった。
「…………嫌わないです。もう、刺々しく当たれない。そんな話を聞いてしまったら」
僕は深く目を伏せながら、この教会の惨状に、この社会の悪辣に、心底軽蔑する。
しかし前を向いて。目を逸らさず。真っ向から相手する。
そんな覚悟が、僕の目にはあった。
やるべきことは決まった。
まずは借金の返済。そして、険悪な仲になってしまっているルメルとの仲直り。
それと、ルメルたちが行っている盗みを止めること。
借金を返済する目処はある。険悪な互いの仲直りは浮かばない。盗みを止めるには教会のカツかつの資金をどうにかしなくちゃいけない。総じて、困難。でも——やるしかない。
僕は心の帯を締めて、覚悟を決めた。神父に軽く一礼をした後、教会から外に出るのだった。




