第90話 吐息に包まれるは秘密の言……
「ぷはぁ——ご馳走様! 美味しかったわよ、ソラ」
「よかった。ラーラは薄味が好みっぽかったから、君のだけ味付けを変えてたんだ」
「へぇー。やるじゃん」
謎の上から目線で、僕が頭を悩ませながら作った、約半年前に旅立った故郷のことを思い出す、特製シチュー。それに高評価の判をポンと押してくれたラーラは、大して膨らんでいない、ちょっと痩せ気味な腹を『満腹!』という風にさすりながら、爪楊枝を使って歯をガジガジしているボイラさんが腰掛けている、赤色のソファーに勢いよくダイブした。
そのダイブのせいで、行儀の悪い格好で腰掛けたボイラさんが一瞬だけ身を浮かせてしまう。
それを食後の後片付けをしながら見ていた僕は、爪楊枝が歯茎に刺さるかもと冷や冷やしたものの、ここには近々『特大の雷』が落ちると予見、すぐさま食器を抱え、厨房で息を潜めた。
「コォラァアッ!! 楊枝がアタイの歯茎に刺さったらどうするつもりだい!? ゲンコツ喰らわすぞ、ワレ!!」
「あは、ごめんごめん! つい、気を抜いちゃって……」
案の定の雷が落ちた。皿洗いに従事している僕はビクッと肩を揺らしながら、しかし慣れたように笑っているラーラに、悪戯に猛虎を刺激するなとやや失礼なことを思う。
「ったくよ。もうそろそろで『聖歌祭』が来るんだ。気を抜きすぎないようにしておきな!」
「はーい。以後、気を付けまーす」
「ヒュウル! この前買った酒を持ってきな! 割るための白湯も一緒にだよ、いいね!?」
「は、はい! 分かりました……」
これじゃあ、命懸けで歌姫を護る『守護者』じゃなくて、ただの雑用、召使いじゃないか。
ガックリと首を折りつつ、ボイラさんに逆らうと『ゲンコツ』を喰らうなと身を震わせながら、ここ二週間の居候暮らしで二人の習慣は学習済み。どうせ食後に晩酌をするだろうなと、事前に沸かしていたお湯を薬缶のまま運び、これまた事前にキッチンテーブルの上に置いておいた酒瓶を掴み取り、僕が酒を持ってくるのを待っている、ボイラさんの元へと運んでいった。
「どうぞ。あの、あんまり飲みすぎないようにしてくださいね。お酒は嗜む程度が良いらしいですよ……?」
「ああ? バカにすんじゃないよヒュウル! アタイは酒にめっぽう強えんだ。だから心配ご無用さね」
「そ、そうですか…………」
聞く耳を持っていない様子のボイラさんは、僕の言葉など気にした素振りもなく、豪快に用意したジョッキに酒と白湯をなみなみと注いでいき、グイッと一気に飲み始めた。その『酒がやめられねえ!』というような光景を顔を引き攣らせながら見ていた僕は、駄目だこりゃと溜め息を吐く。そんな感じで黙りながら、僕が食器を洗いに厨房へ行こうとすると、ソファーに腰掛けていたラーラが飛ぶように立ち上がり、彼女等に背を向けていた僕の腕を掴んで止めた。
「ソラ。私と食後の散歩に行きましょ?」
「え? 散歩? 今から?」
もう日は落ち切ってしまっている。外は真っ暗だ。いくらここが高級住宅街で、外に魔石街灯があると言っても、暗くて危ないと言えば危ないのではないか? まあ、外には国の兵士が常駐、巡回していて、物凄いセキュリティをしているから、人攫いとかはないとは思うけれど。
「このままだと太っちゃうし、一人だとお婆ちゃんは許可してくれないもの。だから、ね?」
「…………まあ、いいけど」
「ふふ、ありがとね。じゃ、行ってくるわねお婆ちゃん」
僕の了承を得て、ラーラは楽しそうに笑った。そして黙々と飲酒をしているボイラさんへ向かって、行ってきますと言う。何も言われない。ということは外出許可が降りたというわけだ。
「……馬車に跳ねられないように気を付けな。ヒュウル! ラーラを傷物にしないように全身全霊で守るんだよ!」
「ら、ラジャー!」
「ふふっ。それじゃあ行きましょ!」
+ + +
「はぁー……ふふっ。ほら見てよ、息が白くなってる」
冬を間近にした季節。乾いた空気のおかげで視界は晴れており、雲ひとつなく澄み渡っている空に映るは、輝かしい宝石を散りばめたみたいな、目を見張るほどの、星々の大海。
十月の下旬を迎えた秋の中程。午後の二一時が過ぎた闇夜の中を、二人は歩く。
無視できない冷気。寒空が見下ろす外界の空気にさらされている掌に、頬を若干を赤らめているラーラが息を吹きかける。すると、その吐息は冷気に触れた瞬間に色を帯びた。
寒い時期特有の、大して珍しくもない現象。それを見て面白おかしそうに笑っている彼女は、隣を歩いている、ズボンのポケットに両手を入れて暖を取っている僕に、それを見せつけきた。
「あー……。もうすぐ冬が来るから、夜が冷え込むようになってきたみたいだね」
「ソラは寒くない? 平気?」
「僕は平気。僕のことよりも、ラーラは大丈夫なの? ワンピースにカーディガンを羽織っただけじゃん」
ラーラの服装は、寝巻きのワンピースに、薄手のカーディガンを羽織っただけ。
防寒対策など無いに等しい格好だった。
対し、僕は灰色のスウェットを着ているだけの、非常にラフな格好だ。
寒さを感じているかどうかに関しては一目瞭然。
無意識に発動している風の膜に全身が守られている僕は、あまり外気に触れていないせいか、蔓延っている冷気をほとんど感じておらず、至って平気そうであった。そんな僕の隣を歩いているラーラは、カーディガンを両手で持って前面を閉じており、言ってしまえば至極寒そうで。
「私は全然っ——平気! 冬生まれを舐めないでよね」
冬生まれだからって、そんなの関係あるのか?
寒さを感じやすいとか、感じにくいとか。そういうのは人によるのでは?
爺ちゃんは夏生まれだったけど、暑いより寒いのほうが快適そうだったんだけどなぁ。
「寒くないならいいんだけど……さ、暑さとか寒さとかの感じやすさって、生まれた時期とか関係あるの?」
彼女の歩幅に合わせながら道を歩いていた僕が、隣で首を傾げているラーラに顔を向けると、目を合わせたラーラは自分を指差して『私が答えだよ』という風に口を開いた。
「私が全然寒がってないんだし、関係あると思うわよ」
「…………ラーラ、大分寒がってない?」
「……寒がってないってば」
嘘っぽいなぁ。物凄く嘘っぽぞ。絶対、寒いって思ってるでしょ、この感じは。
掌を合わせてコスコスしているし、絶対寒がってるよな、うん。
僕がそんな確信を得て、じっと彼女の方を見つめると、てへって感じで彼女は本音を語った。
「…………正直に言うと、少し寒いかな」
「やっぱり寒いんじゃん」
「もう——ソラは寒くないわけ?」
僕の意地の悪い返答を受けたせいか、小走りで先に行ったラーラは、腰の辺りで後ろ手を組みながら、ぼうっと空を見上げていた僕に前を向け、後ろ歩きをしながらそう言った。街灯の灯りのせいか、息を吐く際に出る白煙がよく映えている彼女に対し、僕は素直に状況を語った。
「僕は全然寒くないよ」
「なんで? ソラも冬生まれなの?」
さっき、関係ないかもって結論に至ったばかりなのだが、全くと言っていいほどに寒がっていない僕の生まれた時期を聞いてくるラーラに、僕は自分の『加護』のことを語る。
「僕の身体の周りには『風の膜』があるから、多分そのおかげで『外の寒さ』に触れづらくなってるんだと思う。暑いとか寒いとか、よく考えたら全部『許容の範囲』だったんだよね」
「ええ〜〜〜、ズルじゃん!」
「まあ、ズル——なのかなぁ?」
「ふふっ。少し分けて……よっと!」
「えっ、ちょっと」
少しだけ前を歩いていたラーラは突然、悪戯を思いついた少女のような表情を浮かべた。
彼女は唐突に僕との距離を詰めたと思えば、隙だらけな僕の左腕にしがみつき、密着する形で、風の膜で外気から少なからず護られている僕の体温で暖を取り始めた。
少々体重を掛けてきており、僕はやや左に身体を傾けざるを得なかったが、楽しそうに鼻歌を奏でているラーラを離すことができないまま、仕方なくそのままで、食後の散歩を継続した。
「美少女と散歩ができて嬉しいでしょ?」
「え? 普通に引っ張られて歩きづらいんだけど……」
「ソラって本当に女の子に興味ないのね。まあ、そうだから、私もこうしてるんだけどね」
言われてみるとそうだな。僕は『異性』という項目に興味を示すことはない。
僕が他人に対して興味を示すのは、あくまでも個人に対してで、そこに性別の関係はなく。
性欲がない。性に対して無頓着。無関心。ということなのかもしれない。
それはあまりよろしくないことなのかもしれないけど、まあ、いいだろ。
これが僕だ。これが、ソラ・ヒュウルのリアルなんだ。
「ラーラは誰にでもこの距離感なの? 他人に迷惑がかかりそうじゃない?」
「バカ。誰にでもこんなにベッタリするわけないじゃん」
「じゃあ何で、会って一週間くらいの僕にこうするの?」
それは単なる疑問。含みはなく、言葉以上の意味はない。だけど、ラーラは途端に無言になって、どこか遠くを見つめる。そして『?』と首を傾げている僕と目を合わせた。
その目は、どこか寂しそうだった、
「…………まだ秘密」
「ええ……」
「大丈夫よ。絶対……いつか話すから」
彼女の明るい声音は万人を照らす光のような魅力を僕に感じさせていた。
しかし、今彼女が発した声音には、未来永劫と言える『幾星霜』の時を経ても無くなることのない、止まない雨を想起させるような『悲哀』を僕に感じさせた。
その理由を僕に聞かせる気は彼女にはなかった様に思える。ただ、いつか話すからという彼女の弁を頭の片隅に入れ置いて、星の海と街灯の光に照らさせる街での散歩を終えるのだった。
「付き合ってくれてありがとね、ソラ。また、お願いね」
「それは別にいいけど、今度は厚着をしなきゃだね」
「ふふっ。ソラがいれば別に入らなそうだけど——ね?」
「いやいや。寒いなら厚着をしてください」
「もう——ふふっ。おやすみ!」
玄関。そこで僕達は手を振って別れる。僕は借りている部屋へ。ラーラは自室へと戻るのだ。
彼女が階段を登って自室へ行こうとする最中、振っていた手を止めた僕は、こう語りかける。
「明日は街を出て、いくつかの町村を回るんだから、今日みたいに『昼まで寝坊』をしないよう、気をつけてよ」
釘刺し。とことん異性に対してフラット。
ラーラは「はいは〜い」とのらりくらり了解を避けて。
それに僕は『まったくもう』と肩を竦めて呆れる。
僕は溜め息を吐きながら「おやすみ」と。静かに、そう言うのだった。
ラブコメかぁ




