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13. 身代わりの花嫁②

 がらんどうの広間に、待ち侘びていた声が響いた。


『魔王様?』


 玉座に座っていた魔王がはっと顔を上げた。

 侍従長はそれに気づき、首を傾げた。


「どうかされましたか?」


 どうやら侍従長には彼女の声は聞こえないらしい。実際には、魔王の頭の中でのみ響いていたのだ。

 普段とは立場が逆になっている。

 この声が聞こえるのは自分だけだと思うと、胸の奥が震えた。


「花嫁だ!」


『私の声が聞こえますか?』


(うん、はっきり聞こえてる!)


『花嫁になる準備が整いました。魔界に呼んでくれますか?』


 この瞬間まで不安でいっぱいだった反動からか、喜びで打ち震えそうになる。

 交渉は決裂したのかと諦めかかってすらいた。

 やっぱりあんな対価をねだるべきではなかったと後悔もした。


 魔王は力強くこぶしを握った。


「今からここに呼ぶぞ、いいな?」


 侍従長は頷いた。


「かしこまりました」


 どうとでもなれ……という顔をしている。


 魔王が呪文を唱えると、螺旋上の煙が白いドレスを形作った。

 煙が薄くなるにつれ、次第に王女の輪郭がはっきりしていく。

 待ち望んでいた王女がゆっくりと目を開け、魔王を見つめた。


「あ……」


 その表情から、ひどく緊張しているのが伝わってくる。

 魔王は自分の胸が高鳴るのを感じた。


(第一声は魔王らしく顔を引き締めてビシッと『王女よ、待っていたぞ』と言うつもりだったけど、笑顔で『ようこそ』のほうがいいんだろうか……えっ、えっ、頼りがいがありそうなのと親しみやすいのと、彼女はどっちがタイプなんだ?)


 魔王が決めかねて黙ったままでいると、王女のほうからぎこちなくお辞儀をし始めた。ドレスのスカート部分をつまむ指先は震えている。


「魔王様、初めまして。私は、マルスドッテル王国第一王女のオリー……」


「わー、まだ名前は言わない!」


 王女の自己紹介を慌てて遮った。


「あの……」


 王女は驚いて、目をぱちくりさせている。


「名前は婚姻の儀式のときまで言わないで」


「は、はあ……」


「人間界は違うのかな? 魔界では自分の名前を不用意に言ったりしたら危険なんだ」


 王女は口を半開きにして魔王を見ている。


「何? 僕、変なところでもある? あっ、角、角か! でも、別にこれで何かするわけではないし、飾りみたいなものだと思ってくれれば……」


「い、いえ……そういうことではなくて……魔王様がフランクにお話ししてくださるので……」


(怯えてるわけじゃなくてよかった!)


「そうだ、侍従長を紹介しておくよ」


「侍従長、ですか?」


「要望でもクレームでもとにかく全部彼に伝えてくれれば、侍従長自身か適任の部下に任せるかして対応してくれるはずだから」


 魔王が見やると、侍従長は一歩前に出て王女に頭を下げた。


「私のことは『ラーシュ』と呼んでください」


「名前……いいんですか?」


「本当の名ではありませんので。でも『ラーシュ』の名も気に入っていますので、気軽に呼んでくださるとうれしいです」


 侍従長はにっこりして言った。

 すると、王女の強張っていた顔もいくぶん綻んだ。


「そうなんですね。私の母の……友人も『ラーシュ』というんです。何だか親近感が湧いてしまいます」


「それは光栄ですね」


(おおい、いい雰囲気になってないか?)


「こ、コホンッ!」


 ふたりは会話をピタリと止め、真顔で魔王のほうを振り向いた。


(今のはわざとらしかったかな……)


「王女、さっそく婚姻の儀式をおこないたいんだが……」


 今しがた侍従長と話していたときには微笑みすら浮かべていたというのに、王女の顔は強張り青ざめていった。今にも泣きだしてしまいそうに見える。


(そんなに嫌がられるなんて、僕のほうが泣きたい……)


「あ、あの……」


 この情けない気持ちを悟られないように、精いっぱい軽く聞いた。


「うん、何かな?」


「婚姻の儀式……って何をするんでしょうか?」


「ふたりだけで名前を教え合うんだけど?」


 王女が大きくため息を吐いた。安堵のほうのため息だ。


「名前を……そう、でしたか……」


「人間界では違うの?」


 王女は手を胸に当てて呼吸を整えながら、『はい』と頷いた。


「へえ。人間は、婚姻の儀式でどんなことを?」


「神様の前で婚姻の誓いを立てて、それからキスを」


(キ……!)


 魔王の顔が真っ赤に染まった。


「そ、そういうのは追々でいいんじゃないかな? あっ、いや、決して嫌とかじゃないんだよ! だけど、ほ、ほら、僕らの場合はいきなり結婚なわけだしっ」


「そう、そうですよね。うわー、よかったー」


(そこまでほっとされてしまうと複雑な気がするんだけど……でも、強引に花嫁にしてしまったんだし、焦らずいこう。というか、そんな急展開、こっちの身がもたないよ!)


「あっ、もちろん名前は大事ですけどね。そっか、夫婦になるってことは家族になるわけだから、名前を教え合うんだ……」


 王女はぶつぶつ呟きながら、妙に感心している。


「準備も特に要らないし、時間もそんなにかからないよ」


「名前を言うだけですもんね」


「そうそう! だからぱぱっと済ませてしまおうよ」


 しかし、王女はまたぶつぶつと独りごち始めた。


「でも……名前を教えるってことは、そこで何らかの縛りが生じる……?」


(ギクッ!)


 そして実のところ、魔法による婚姻契約は容易に締結できるが、強固で破棄はほぼ不可能に近い。

 それでも魔王は躊躇うつもりがないどころか、一刻も早く結んでしまいたかった。


「完全に防音仕様になってる儀式の間っていう部屋があるから、そこに移動しよう。こっちだよ」


 侍従長を広間に待たせ、魔王は王女を儀式の間へと案内した。


 扉を閉めるなり、さっそく呪文を唱え、床に婚姻の儀式のための魔法陣を描いた。


「わあ、私では詳しいことは分からないですけど、すごく高度で強力な魔法ですね」


 『魔王様ってすごいんだなー』と、王女は魔法陣をもの珍しそうに調べた。


(これって好印象?)


 魔王は顔がニヤけそうなところを、何とか引き戻した。


「こっちに来て」


 魔王は王女の手を引いて、魔法陣の上を踏んだ。

 ふたりが魔法陣上に完全に収まると、魔法陣は青白く光り始めた。


(どさくさ紛れに手を握ってしまったけど……よかった、王女は気にしてないみたいだな)


「お互いに名前を教え合えば、婚姻契約が結ばれるから」


「本当に名前だけでいいんですか? 誓いの言葉とかは?」


「そんなややこしいのは要らないよ。僕の名前はマティアス、というんだ」


「私は……」


 王女が目を伏せた。

 ひと呼吸おいてから、王女が呟くような小声で言った。


「オリーヴィア……です」


 魔王はしばらく待った。

 けれど、何も起こらなかった。

 そう、何も起こらなかったのだ!


 そのうちに魔法陣の光までが消えた。

 静まり返った儀式の間の中央で、魔王の身体が小刻みに震え出した。


「あ、あの……」


「オリーヴィア、ではないね?」


 王女は恐る恐る顔を上げた。

 魔王はそんな王女をきっと睨んだ。


「嘘を……ついたんだね?」


 声まで怒りで震えていた。


「どういうつもりだい? この僕に嘘をついたのは王女、君が初めてだよー!」


「きゃあああー! ごめんなさーい!」


 王女は踵を返すと、儀式の間から脱兎のごとく逃げ出した。



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