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14. 身代わりの花嫁③

 イーダは儀式の間から疾風のごとく出てくるなり、呪文を唱え箒を手にした。


(よかった。魔界でも箒は使えるんだ)


 大急ぎで飛び乗り、急発進させた。


「王女、待てー!」


 当然のことながら、魔王は怒り心頭の様子だ。


(どうしよう! ああ、やっぱりあのとき王女殿下の名前じゃなくて、自分の名前を名乗って、『王女じゃないんです』って白状しておくべきだった? ううん、やっぱり同じように怒らせたと思う!)


 どのタイミングで切り出せば正解だったのか、さっぱり分からない。


「わーっとっと! 危なーい!」


 さっきからどうも速度が出すぎている。

 今も壁にぶつかる寸前に、何とか曲がりきれただけだ。


「こらー! 魔王城の中を飛び回るなー!」


(そんなこと言われてもっ)


 この箒の速さに、魔王がどうやってついてきているのか? という疑問が頭をもたげたが、あいにく振り返って確認をする余裕も度胸も持ち合わせていなかった。


 階段が見えてきた。


(上! 上に逃げよう!)


 けれど、どこまで上がってもまだまだ上れる。


「どうなってるの? 何階まであるのー?」


 階段を上りきることを途中で諦め、適当なフロアを飛んだ。

 魔族とも幾度となくすれ違ったけれど、箒が速すぎて残像のようにしか見えない。

 ぶつからないように飛ぶだけで精いっぱいだ。

 無我夢中で飛んだ。

 それでも、同じ場所をぐるぐる回っているわけではないなのに、どこまで進んでも廊下が終わらないことだけは理解できた。


「魔王城ってどういう造りになってるの!? めちゃくちゃすぎるー!」


 出口らしきものは一向に見当たらない。


「わけわかんな……っと! 何?」


 箒が突然ガクッと後ろに傾いたのだ。重しでも乗ったように……


「どうも」


「きゃー!」


 振り返ると、イーダの真後ろに魔王が座っていた。


「やだ、怖―い!」


 イーダは半べそになりながら箒の姿勢を水平に戻し、それでも飛び続けた。

 皮肉なことに、魔王の体重分だけ重くなったお陰で箒の速度が落ち、操縦しやすくなっていた。

 魔王とふたり乗りしているこの状況は恐怖でしかないけれど、正直なところその点では助かった。


「怖いのは君のほうなんだけど? 危ないから、城の中を飛び回らないでくれるかな?」


「だけど、外に出られないから!」


「『外』って?」


「『外』は外ですよ!」


「具体的にどこを指してる?」


「『どこを』って……建物の中じゃなくて、普通に空を!」


「空を飛びたい?」


「そうです!」


「なら、そう言って。ほら」


「へっ? 空を飛びたい……です?」


「僕も一緒に?」


「ええっ?」


「『ええ』、イエスってことね。了解。対価はあとで請求するよ」


「えっ、ち、ちょっと! やだっ、今のはなしで!」


「ざーんねん、もう遅いよ」


 魔王が楽しそうにそう言った次の瞬間には、イーダは星空の中にいた。


「わーっ!」


 そのとき俄かに、箒が重さに耐えかねて落下し始めた。


「きゃあああーー!」


(あれっ!? 見慣れた風景……)


 足下に広がるのはノールブルク領だった。魔女の集落も見える。


「おおっと、緊急事態だから失礼するね」


 魔王は背中からイーダに覆いかぶさった。そして、イーダが握っているよりも向こう側の箒の柄を握った。

 すると箒は浮力を取り戻した。


「び、びっくりした……」


 イーダの心臓はバクバクしていた。


(これは落下しそうになったから! 絶対に魔王様にトキめいてるとかじゃなくて!)


「そっか、魔界と人間界では吸収できる魔力量が異なるんだね」


「ええっ? どういうことですか?」


「どういうって……魔女は、魔族が作る魔力のおこぼれを吸収して使ってるよね?」


「そうなんですか?」


「知らなかったの?」


「はい、たぶん魔女は誰もそんなこと知らないと思います。でも……」


 初めて聞いた話だったが、腑に落ちた。

 魔王城ででたらめな速度が出た謎が解けた。


(あれ? そういえば魔王様と普通に話せてる。ひょっとしてもう怒ってない?)


 謝るなら今だと、直感が教えてきた。


「あの……名前を偽ったこと、ごめんなさい! これには事情がありまして……」


「事情?」


「はい。それで図々しいのは承知なんですが、特効薬は作ってほしいかなーなんて……」


「特効薬は作るよ」


「本当ですか!?」


「うん。侍従長も人間界に知り合いがいて、心配してるしね。でも、続きを聞くのは魔王城に戻ったあとでもいい? 今は空を飛ぶことに集中したいから」


 魔王は星空を見上げた。心を奪われたように……


「もちろんです!」


(やった、やった!)


「それにしても、箒で飛ぼうっていう魔女の発想は面白いね」


「魔王様は飛ばないんですか?」


「飛ぶけど、僕らは道具は使わない。そのまま体を浮かす」


「へえ、そんなことができるんですね……はっ! そういえば私が魔女ってこと、魔王様は……」


「知ってるよ!」


 魔王は噴き出した。


 イーダはすっかり安心して、いつの間にか魔王に箒を委ねていた。箒は今では魔王の魔力のみで飛んでいる。

 それからふたりはしばらくの間、黙って箒に乗っていた。心臓と風の音しかしない。心地のいい沈黙だった。


(魔王様っていい人みたい。もしかしてだけど、特効薬を作ってもらう対価の変更とかもお願いできちゃったりするかな?)


 だって、第一王女が魔界に来なかったのに『特効薬を作る』と約束してくれたくらいだから。


(コンテスト優勝者が作った美味しいパンを毎年もらってるはずだから、それに合うような集落で醸造してる葡萄酒はどうかな?)


「あっ!」


 そのときイーダは思い出してしまった。


「どうかしたの?」


 魔王が横からイーダの顔を覗き込んできた。

 イーダの心臓が大きく飛び跳ねて、胸にぶつかってきた。


「何? 言ってごらん?」


 黒い瞳に捕らえられてしまったイーダに逃げ道はなかった。


「……空を飛びたいっていうお願いの対価は何でしょうか?」


「あー、そうだった! 対価……僕の花嫁からもらう対価……」


 箒が空に浮かんだ状態で停止した。

 魔王は箒の柄を握っていた手の片方を離し、イーダの髪に触れた。


「ところで、髪はどうしてこんな妙なことを?」


 魔王が呪文を唱えるとウィッグとウィッグネットが消え、不揃いでみっともないショートヘアが露わになった。


「ウィッグって気づいてたんですね……」


「そりゃ見れば分かるよね?」


「えっ、分かります?」


「そっか、人間の目は表面しか見えないんだったね。僕ら魔族の目は違うんだ。魔力が強ければ強いほど、目で色んなものが見えるよ。だから、せっかくウィッグをかぶってもらったところ悪いんだけど、僕の前では意味ないんだ」


「じゃあ、こんな変装、端から無駄だったってことですか……」


 イーダから『ははっ』と乾いた笑いが漏れた。


「変装?」


「そうです。オリーヴィア王女殿下の……」


「ああ、婚姻の儀式で名乗った名前か」


「だったら髪、切られたくなかったな」


 髪を切られたときの嫌な音がもう1度聞こえてきた気がして、鼻の奥がツンとした。


「元の長さまで伸ばしてあげるよ」


 イーダが『えっ?』と聞き返したときには、ネイビーブルーの髪が肩から背中にかけて垂れ落ちた。


「嘘!?」


 今度はうれしくて視界が霞んだ。


「もうひとつお願いを叶えてもらっちゃった。お願いふたつ分の対価を払わないといけないですね、へへっ」


「ううん、これはいいよ。僕もこっちの髪のほうが断然好きだから」


 魔王があまりに優しく微笑むから、イーダはその笑顔につい見惚れてしまった。

 そのまま目が離せないでいると、魔王の笑顔は真剣な表情に変わった。

 イーダの顎にそうっと触れ、優しい力で上を向かせた。

 イーダはそうすることがごく自然に思えて、されるがままに顔を動かした。


「お願いひとつ分だけ対価をもらおうかな」


 そうして魔王は、イーダの唇をかすめ取った。



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