59.願い
神殿を後にしたチェスとカーミラは酒場に入った。
しばらく黙っていたカーミラが酒を飲みたいというのだ。
「私にとって、パテルといたのはほんの少し前なんだ。げんなりするよ。人の寿命の短さには」
「満足そうじゃないか。神殿長なんて。いい人生だろう」
「そうか。そうだね……」
カーミラにはパテルがもう長くないことが分かっていた。
それをチェスも察した。
「彼女は敬虔な信徒だ。きっとあの世で神様に次はもっといい人生を与えられるだろうさ」
「そうだね。魂は不滅だ。君が生き証人だ」
二人は食べて飲んだ。
「おい、この肉を焼いたのは誰だ!!」
「は、はい? あっしです」
酒場に轟く女の声。
客たちが震えあがる。
「美味いな!! 大儀である!! 褒めて遣わそうぞ!!! あははは!!!」
「は、はい!! ありがとうごぜぇます!!」
髭面の強面の親父をカーミラが褒める。
「酔い過ぎだろ」
「酒も美味い!! 褒めて遣わす!! あははは!!」
酒に酔ったカーミラは騒いで飲んで、そのまま酔いつぶれた。
「お前、結構幸せな体質してるじゃねぇか」
「チェス君、君は私を一人にしないでおくれよ。寂しいし、しんどいよ」
「今度は泣き上戸かよ。めんどくせ」
チェスは酔っ払いの相手をしている内に眠りこけた。
◇
カーミラは酔わない。酔っているフリをしていただけだ。
静まり返った酒屋。
酔いつぶれたチェスを負ぶって長椅子まで運び横にし、外套を掛けて、膝の上に頭をのせてやった。
カーミラは眠らない。眠るフリをするだけだ。
寝息を立てるチェスを見ながら彼女はほんの少し前の記憶を呼びおこす。
ある日、家に少年が訪れた。
「薬草買ってくれ」
子どもは珍しかった。
カーミラは子供と動物に嫌われる性分だ。きっと、何か鋭敏な本能でその正体を察してしまうのだろう。
だが、チェスは家に来ていた。
「だって、あんたはおれに同情しないから」
カーミラには同情する感情がそもそもない。人間が弱い人間を特別保護する、あるいは助けることについては知っている。
それを意識して真似していた。
しかし、チェスはそれが同情ではないと判ったらしい。
ある日、チェスが顔をひどく腫らしてやってきた。
冒険者に殴られた様子だ。腫れが熱を持ち、フラフラだった。
カーミラは治療してやった。いつものように同情しているフリをした。
「ミラ婆は神を信じるか?」
涙を流しながら痛みに耐えるチェスがそう問いかけた。
「信用できるかって話だよ」
ろくでなしの父親。
金も身分も力もスキルも無い身の上。チェスは神を信用できなかった。
カーミラは同意した。
「もし神がいるなら、神は貧する者をあざ笑う者さ。富める者を侮蔑し、醜き者を嫌悪し、美しき者を妬み、弱きを見捨て、強きを陥れる。病める者には無関心で、希望は与えるがそれに倍する絶望を用意している。そんなひねくれた奴だろうね」
ずっとそうだった。
これまで多くに人間の生き死にを見てきた。
神が誰かを救ったところを見たことは無かった。
「おれは違うと思う」
チェスはカーミラの意見に反した。
「多分、仕事できねぇ奴なんだ」
一瞬何を知っているのかわからなかった。
「要領悪いんだ。ズボラで、物覚えも悪いんだ。間も悪いし、どうしようねぇ奴だよな」
「……へ? ふ、ふふふ……あははは!!そうだねぇ、全然仕事できてないねぇ。ダメだねぇ!!」
絶望のどん底にいる少年が、神をこき下ろし、憐れんでいる。
それがどうも子気味良く、愉快だった。
単純なもので、カーミラはこの時チェスの評価を変えた。
珍しい子供から、特別な子供に。
その特別という定義については、「他とは違う」という意味しかないと思っていた。
この短い期間に、彼女の考えが変わってきた。
神はひねくれているのではない。
うっかり者で、忘れっぽく、やることに忙殺されて、常にいっぱいいっぱい。
そう思えるようになった。
今、カーミラは神殿で祈っている。
だがその実、自分のことなど祈っていない。
「君はこの平凡な子に、祝福を与えてくれた。どうもありがとう。でも、忘れていただろう? しっかししておくれよ」
などと、適当に話しかけている。
チェスは前世の知識と天授技能を手に入れた。
それは幸運だ。
これからもそれが幸運であって欲しい。
それがカーミラの願いだ。
昔のことを思い出した。
自分の膝で寝息を立てるチェスを眺めながら口が緩む。
「愛だねぇ」
「なにが?」
男が話しかけてきた。
「彼氏?」
「フフフ、いーや? 小さいころから見守ってきた。どう育つのか興味があってね」
「愛だねぇ」
「どうかな。知識に基づく行動の全てが感情を表すものとは限らない」
「その行動が模倣でも、君は愛情を示そうとしてそうした。わかるよ」
「ふ~ん。そう見えるんだ」
「今、そうして無防備に寝息を立てているのは君の愛情を彼が受け止めているからだ。君も彼の愛情を感じたことがあるはずだ」
カーミラはチェスに生きることを求められたときのことを思い起こす。
日々の会話、視線、距離。
「そうかもね。でも、それはいいこととは限らない。確かにこの子は特別だ。でもすぐにお別れすることになる。ほんの数十年。私には一瞬だ」
「魂は不滅だよ。望めばまた出会えるさ」
「奇跡は信じないんだ」
「いくら不出来な神でも、最前列にいる者の願いを無視したりはしないさ。捧げものに美酒なんて持っていたら特にね」
ふと、カーミラは我に返った。
眼を下すとまだチェスはぐっすり眠っている。
カウンターでは酒屋の親父が眠りこけていびきをかいている。
「あれ? 私は誰と話していたんだ?」
夜が明け、カーミラはパテルに別れを告げるために神殿に向かった。
酒屋で酒を買って。
「パテル、君に神の加護があらんこと」
「ありがとうございます、カーミラ様」
チェスは酒樽を担いで彫像の前に置いた。
「おい、捧げものにこれはありなのか?」
「気持ちが籠っておりましたら大丈夫ですよ」
チェスが祈り、次いでカーミラも祈った。
パテルが眼を見開く。
「そんなに驚かなくても……私だって祈る真似ぐらいできるさ」
「変わられましたね。本当に……」
その言葉の意味を理解したのはチェスだった。
「おい……」
いつもカーミラを見ているチェスには衝撃だった。
超越的な美貌。太陽光を跳ね返す無敵の白い肌。
宝石のような青い瞳。艶めく銀色の髪。
そして、彼女はあくびをした。




