58.小旅行
西クーロン地方の中心都市サンメリーダは辺境伯領最大都市だ。
フテナからは馬車で一週間はかかる道のり。
王国の西部で唯一の大穀倉地帯でその中心にあるサンメリーダ市には人や物が集まる。
にぎやかな都市の古風な茶屋でカーミラとチェスは小休止していた。
紅い夕焼けが窓から差し込む静かな店内。
「いや~、疲れたねぇ~! 大貴族様を前にしてさ!」
「嘘つけ。疲れたのはおれだ。突然、こんなところに連れてきやがって」
チェスは不満だった。
馬車で半日かけて砦に赴き、すぐにそこからこの都市に『転移』し、領主の館に直談判だ。
生きた心地がしなかった。
「そうは言ってもね。こうしておかないともっと面倒なことになっていたよ」
「そうか?」
「君とガガロンが作った刀は良くできていた。その『月光鳳蝶』と同格と言っていい名刀に仕上がっていた。そんな鍛冶師がいると判れば、君とガガロンを辺境伯が放っておくはずがない。それに君にも相応の対価が贈られるだろう。お金は大事でしょう?」
滔々と語るカーミラ。
事実、チェスには辺境伯がどう動くかなど考えもしなかった。文句を言うに言えない。
「よかったのか? フテナを出るのは」
「問題ないよ。ここも昔はフテナだったから」
「そうか……」
やはりカーミラはフテナという地に縛られている。
それを自分で臨んだにしても、不憫に思える。
目の前にいるのが魔物であることは分かっている。
魔物の中には人間に近い見た目をしているものもいるが、人間らしい感情は一切ない。
しかし、何の因果か、それを教えた当人には豊かな感情に溢れている。
悠久に近い時の流れの中で、彼女はひとに興味を抱き、その傍で生き続けた。そして、彼女の中には確かに情が芽生えた。決して人間になれないことに絶望し、自ら死を願うほどに。
そんな彼女が今、甲斐甲斐しく神殿に通い、神の慈悲を請うている。
「神殿に行くか」
「急にどうしんだい? もしかして私のため?」
「大きい神殿ならシルヴィさんの呪いについて何かわかるかもしれないだろ」
「そうだね」
二人は茶屋を出て、神殿に向かった。
◇
サンメリーダの神殿はフテナと比べようもないくらい大きく立派だった。
「こんなところに入って大丈夫か?」
「え? 何が?」
心配をよそにカーミラは普通に神殿に入った。
暗く静かな神殿内は靴が石畳を鳴らす音が響く。
人の姿はまばらだ。
神殿とは本来神に祈り、神託を授かる場所。
だが、現代では主に薬の処方や日々の相談事、種まきのタイミングや今年の天候の占い、孤児の引き取りや仕事の斡旋、配給などで利用される。
神殿も薬局、天文台、孤児院、総務と、分業化されている。
最も基本的な神への祈りが一番空いている。
ふと法衣を着た女僧侶が杖を突いて近づいてきた。
「もし、もし? あなた様はカーミラ様ではございませんか?」
カーミラがふとチェスの背後に隠れる。
「お忘れですか? フテナ神殿に居りましたパテルでございます」
「パテルはもっと艶のある茶髪の女だった」
「はい、そのパテルでございます。お久しゅうございます」
「……パテル? 死にかけのよぼよぼじゃないか」
「おい」
「おほほ、はい。あれからもう80年。こうしてまさか今あなた様にお会いできますとは。やはり神々に祈った甲斐がありました」
パテルは涙を流していた。
その指で拭うカーミラ。
「相変わらず泣き虫だね、君は」
80年ぶりの再会に水を差すわけにはいかない。
チェスは一人神々の像の前に行き、祈った。
シルヴィの呪いが解けますように。
ワチがこれから健やかに暮らせますように。
カーミラが神々の慈悲を請えますように。
元神官として、それは丁寧に祈った。
貢物を適切に納め、作法に則り祈る。
しばらく時間がかかったがチェスが祈りを終えてもまだカーミラとパテルは話し込んでいた。
「ああ、チェス君、聞いておくれ。彼女、ここの神殿長らしいよ」
「ほう、それはそれは」
「全てはカーミラ様の教えのおかげでございます。あなた様に、薬学のイロハを教わり私は薬局長として王都の大神殿で多くを学ぶ機会に恵まれました。そうして、今は年の功でこうしてこちらに居させてもらっております」
カーミラは誇らしそうにパテルの頭を撫でた。
彼女は一瞬驚いて、しかし眼に涙を浮かべて喜んでいた。昔を懐かしむように。
「あなた様に神々の祝福がありますように」
祈り終えた後、二人は月夜の街を食事処を探して彷徨った。
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