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57.フテナからの使者

 ルシルバッハ辺境伯は自領へと帰途に就いた。


 その彼を待っている人物がいた。

 報告に来た使用人は渋い顔をしていた。いつもなら断るものの、今回は待たせているようだった。


「ご当主様にお会いしたいと。ご予約が無かったのでお断りしたのですが……」

「どうした?」

「その者、旧王家の印章をお持ちでして」

「……旧王家? 何者だ?」

「フテナより参った学士とのことですが……それに一般市民とは思えぬ面貌でございまして」

「そうか。会ってみよう」



 通常なら会うことなどあり得ないが、フテナから来たというのが気になり謁見を許した。どうせこれからミスリル刀を生み出した工房を視察に行く予定だ。


 使用人が扉を開け客間に入るとそこには二人の人物がいた。


 一人は冒険者らしい風体の若者。顔つきは厳しく、立ったまま腕を組んでいる。

 もう一人は椅子に腰かけている。

 ルシルバッハは奇妙な感覚を覚えた。

 紅い髪の美女は確かに異様なほど魅力的な容姿だ。

 しかし眼を奪われるのはその身体でも顔でもなく、眼だった。


 紅い瞳が眼鏡のレンズ越しに部屋に入った瞬間からルシルバッハを捉えている。

 喉元に刃を付きつけられているような居心地の悪さ。




「ルシルバッハ辺境伯。貴様は愚かにもこう考えているな? 『あのミスリル刀をつくった職人をフテナよりこの辺境伯領に招こう』と」



 不敬に値する言動を咎めたのは近衛騎士だった。



「貴様、無礼であるぞ!! このお方を西クーロン領主ルシルバッハ辺境伯と知ってのことか!!」



 剣を抜き、女に付きつけようとしたとき、冒険者風の男が割って入った。



「なにぃ!?」



 辺境伯の懐刀、ローベン・ステイト卿の剣は男の刀に弾かれた。



「刀だと? 貴様……」



 ローベンは血気盛んな若人ではあったが、冷静さを失ってはいない。この無礼者たちを手討ちにするかはルシルバッハが決めることだ。


 その主はローベンを下がらせた。

 ローベンは不服ながらそれに従った。


「……何者だ……?」

「不意に訪れた幸運だけで満足するべきだ。欲をかけば手に入れるより多くを失うことになるぞ」



 女は指輪を外して机に置いた。

 それを見ろという意味かと、ルシルバッハは手に取った。



「ロブレス家の紋章……まさか」


 それは旧王家、現在の王室よりもはるか以前、建国時の王朝のものだった。

 その大家は現在も残っている。

 国を跨ぐ大家として今は神官を多く輩出している。

 ロブレス家の力は今や国家の枠組みを超えていると言ってもいい。



 そして、ロブレス家はボルドー家と無関係ではない。



 この国で辺境伯領から東を統治する際、フテナについて現王朝から厳命が下された。


 フテナの地はその地の神殿に統治権を委ね、過干渉をしないこと。



「表向き、神殿は土地も持たぬため、代理執政官を派遣するが、その任は最低限の税収の管理と治安の維持、渉外のみとする」

「フテナへの過干渉はしない。そんな簡単なことも忘れたか?」


 ルシルバッハはようやく、理解した。

 自分は今、ロブレス家=神殿との約定を反故にしかけている。それも現王朝が仲介している古い約定を一時の欲でなかったことにしかけている。



 これが忠告だとルシルバッハは理解し、これ以上この使者の機嫌を損なうべきではないと判断した。

 すでに背中に嫌な汗が滝のように流れている。



「約定に抵触するようなことは一切ないと改めてお約束致します」

「息子の教育は大変か、卿?」

「は……」



 全て、知られている。

 額を流れそうになる汗をハンカチで拭う。



「一つお聞かせ願いたい」

「どうぞ」

「あの地に何があるのですか?」



 女はもったいぶって答えない。ただ、刃のような鋭い危険な笑みを浮かべるだけだ。



「これからも自領の経営に励むといい。不意に訪れる幸運を期待しながらね」

「……は、はい」



 女は立ち上がった。ルシルバッハは自然と扉への道を開けた。

 すれ違いざま、騎士ローベンが冒険者風の男をにらむ。


「おっと……忘れていた。ムーアには相応の対価を払うことだね。彼は騎士ながらでしゃばらず実によくやっている。評価してやるといい」

「え、ええ、もちろんです。そのつもりです」

「どうもありがとう」


 こうして嵐は過ぎ去った。



 ◇


「ご当主様、ロブレス家の使者などと……本物でしょうか?」



 家令が疑問を口にする。



「やはりおかしいですよ。証拠はあの古い指輪だけだ。それに、神殿の関係者ならなぜあんな無頼漢なんかを連れているのですか!?」



 ローベンもまた不満を露にする。こういう物言いができるのは内々で、信頼関係があるからだった。



「ローベン、その冒険者が並みに見えたか?」

「……確かに腕は立ちそうではありました。獲物も……あれは相当な業物でしょう」

「武装を見ていたか。騎士らしいな。だが、私は別の物を見た」

「というと?」

「あの冒険者、ミント家の紋入りの指輪をしていた」

「な、なんですって!? かの『十傑』、北の魔女、エルルク・ミントの?」

「あの学院もまた、不干渉の組織。一介の冒険者であるはずがない」



 ここからはルシルバッハは明かさなかったが、本当のところは全く違う理由で条件を飲んだ。



 彼は恐れた。

 あの部屋に置いて、自分に向けられた静かな怒気。

 そのプレッシャーは国王の前とは比にならないほどだった。



「かねてからあの地からは良質な薬がもたらされてきた。今後もそれを期待するだけだ」



 ルシルバッハ懸命だった。

 自らが利益を吸い上げることはしないと決めた。



 ただし、放置もしない。

 エド・ムーアには内情報告を徹底させ、流通する一部商材の関税を緩める。



 不意に良質な業物がフテナより排出されることを期待して。


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