52.日常
チェスは朝早く、まずカーミラと手合わせをすることを日課にした。
忙しい一日で、朝しか訓練の時間はない。
まだ薄暗く、朝霧が立ち込める中、カーミラは庭で待ち構える。
「おはよう、チェス君」
「おはよう、ミラ婆」
あいさつもそこそこにチェスは木刀を手に襲い掛かる。中に鉄を仕込んだ特製。
「はは、こっちだよ」
一度は勝利したものの、実力は天と地ほども違う。
天授技能と権能を互いに使わないという縛りがあっても、チェスは手も足も出ない。
「はぁはぁ……」
基本的には体力と気力を鍛えるトレーニング。相手にとってカーミラは最適だ。明確な相手がいることで劇的に効率は上がっている。
この訓練を続けひと月、見るからにチェスの体つきは変わっている。
「チェス様、カーミラ様、おはようございます。朝食をご用意しております」
「ああ、おはようシルヴィさん」
チェスは水を浴びて汗を流し、リビングで席に着く。
「おはよう~!! チェス君~!!」
「ワチ。今日も豪勢だな」
収入が安定して、食事は以前より質も量も向上した。
ワチはみるみる料理の腕を上げており、そこらの料理屋よりも美味い。チェスの肉体改造に、この食事は大いに貢献していた。
「チェス様は本日も薬草採取ですか?」
「ええ。午前中に行って、夕方からそのまま鍛冶仕事です」
「私も神殿で礼拝と薬を卸してくるけど」
「ではお供します」
「ワチも!!」
神殿は街を見下ろす小高い丘の上にある。そこにカーミラは通いつめ、律儀に毎日神へと祈りをささげている。
そこにシルヴィも付いていくのは単なる付き合いではない。
彼女もまた神へと祈っている。
呪いに対し、有効策はない。
ただし、神殿は魔を払う結界がある。
それが呪いを弱体化させれば、微量でも魔力が回復するかもしれない。
一部の望みに懸けて、神に奇跡を願う日々だ。
◇
薬草採取を終え、昼過ぎに鍛冶工房『ガガロン=ガルド』に到着する。
今ではここでの修理がチェスの収入の大半を占める。
基本的に冒険者業の社会的地位は低い。D級はまだ家を借りられる程度にはその身分が保証されるが一生は無理だ。長く見積もってもあと10年というところだろう。
その点、鍛冶仕事は安泰だ。特にこの街でガガロンの補佐ができるのはチェスぐらいのもの。
工房につくと、まず薪割りと炭焼きから始める。
鍛冶仕事は火加減が命。その火の精度は黒炭で決まる。
木材をきれいに斬り揃え、火で炭化させていく。
かなりの重労働だ。
ちなみに、この作業はかなりの信頼が無ければ任されない重要な仕事。炭焼きという職が鍛冶屋とは別にあるぐらいだ。
チェスは鍛冶師だった前世自分でやっていたから慣れたもの。
手早く炭を一定数ごとにまとめ、壁に積んでいく。
「ガガロンはいないのか」
珍しく店は閉まっている。
チェスは特に断りも無く、武器類をメンテナンス、補修していく。
前は廃棄されたものを復活させていたが、今は修理の依頼が多く、そちらが優先だ。
「使い方が荒いな……岩でも斬る気だったのか? ほう、こっちは手入れが行き届いている。これは……ちっ、面倒だな」
ここは鍛冶工房だ。基本的に鋼材を用いた武器が専門となる。だがガガロンは何でもかんでも受け付ける。
まぁ、この街に武器を取り扱っている店はここしかないのだから仕方ないのだろう。
しかし、チェスが今眉間にしわを寄せているのは、魔獣の素材を使った武器だ。
「この剣、レッドベア……いや、古代恐熊の爪か?」
獰猛な熊型の魔獣古代恐熊。
その爪は紅い光沢のある非常に硬度の高い素材。
この爪は魔力を通すと硬度が増すという性質がある。
それを利用したナイフ。
「かなり使い込んだな。光沢が無い。刃も潰れてるか」
当然、金属ではないから修理の方法は異なる。
「さて、これはしんどいんだが。仕方ないか」
チェスはまず古代恐熊のナイフに宿っている持ち主の魔力を取り出すことにした。
そうしなければ研ぐのも不可能だからだ。
「ふん!!」
手に魔力を込めて剣に流す。
天授技能『魔力通し』
本来は物体への魔力の通りを良くするための鍛冶師の天授技能。勢いよく魔力をぶつけることで、他人の魔力を弾き飛ばすことができる。
魔力が無くなり、通常の硬度に戻る。それでも研ぐのが難しいのは変わらない。そのままでは。
『錬金・分解』
古代恐熊の素材そのものを一時的にもろくする。
組成を緩めることで従来の十分の一程度の強度となる。
ちなみにこれは製造の際に使われる手法だ。
これ以外の加工方法は古代恐熊以上の硬度を持つミスリルやオリハルコンの工具で研磨する。当然、チェスは持っていない。
「さて……あとはひたすら」
潰れた刃を復元しながら丹念に研磨。
時折『錬金・加工』で組成を元に戻し、状態を確かめ進める。かなりの重労働だ。
小一時間作業し、ようやく研ぎ終わる。
もとの浅黒いナイフは爛々と周囲の光を紅い輝きに反射する。一級の工芸品としても高い価値を有するだろう。
魔力を込めて軽く振ると空気を切断する音がした。
「よし……」
ちょうどその時、ガガロンが戻ってきた。
「よう、悪いな小僧。ちぃっと面倒な仕事を押し付けられてな」
「そうか。こっちも今面倒な修理がようやく一件終わったところだ」
「おお……あ? ちょっと待て! 小僧、それどうした!?」
ガガロンが血相を変えてチェスが手に握る古代恐熊の短剣を指さす。
「……何かまずったか?」
「どうしたって聞いてんだ!!」
「いや、修理依頼品の中にあったから直したんだが」
ガガロンは短剣をひったくると刃筋を確かめる。
「どう直した?」
「『錬金・分解』で組成を緩めてから研いだ」
「……ん? そうか。よくできとる」
ガガロンはナイフをチェスに戻した。
「それはチェス、お前にやる」
「え? いや、客のだろ?」
「いや、引退した冒険者が換金に持ってきたもんだ。単純に素材として買い取ったからな。それを売るのはできん」
「これ売ったらいくらになる?」
「そうさな。これなら金貨30枚にはなるだろう」
市民の平均年収は金貨20枚程度。
かなりの大金だ。
ガガロンのオーダーメイドと同じぐらいする。
「もらえねぇよ」
「何言ってる。そいつは普通オリハルコンの研磨機を使って丸3日かけて研ぐんじゃぞ。金貨20枚は必要だ。おめぇはそれだけの技術を持っとる。もらっとけ」
「そうか……」
思いがけず古代恐熊のナイフを手に入れてしまった。
古代恐熊のナイフ
効果 魔力に応じて硬度上昇
価値 国宝級
製造経過 756年
「それで、面倒ってはこれのことか?」
「いや」
ガガロンはため息をつく。
「おめぇにも手伝ってもらわにゃならん」
店を閉めたままま、ガガロンは座り込む。長い話だと察し、チェスも適当に腰掛ける。
「簡単に言えば、貴族の依頼だ」
「……貴族って言うと、ここの領主か?」
「うむ」
ここの領主についてチェスは詳しく知らない。
いや、街の者も知りはしない。
「いや、正確に言えば、領主から統治を任された騎士から要望を聞かされただけじゃ」
「だけって……」
代官と言っても騎士も貴族だ。一般市民とは身分が違う。
「まぁ、ここの統治を任せられているムーアというやつは話の分かる奴よ。もう30年の付き合いになる。ただな……領主の依頼というのが厄介なんじゃ」
「面倒ごとらしいな」
「ミスリルの宝刀を一振り、ご所望でな」
「修理じゃなかったか?」
「向こうはそのつもりで依頼しとる。じゃが、修理は無理な状態じゃった。折れとったからな」
「ああ」
チェスはそれがいかに面倒かを察した。
まずミスリルは希少な鋼材で、加工が難しい。
それが折れていて、依頼が『修理』ということは造り直すしかない。
それにはまず、ミスリルを純粋なミスリル鋼に鍛造し直し、そこから刀に打ち直すしかない。
「できるのか?」
「刀は造れるが……ミスリルってのがな。おめぇ、『錬金加工・分解』で何とかならんか?」
「……無理だな。ミスリルは前に運よく迷宮探索で拾った程度だ。組成も何も知らん」
『錬金加工・分解』は物質の組成と性質について把握する必要がある。要は変化に必要な力とその作用について理解しているかがカギになる。
「いや待てよ……」
チェスの脳裏にカーミラのにへら顔が浮かぶ。
「あいつなら知ってるかもな」
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