39.母親
チェスはフテナに戻った。
といってもこの街は何も変わらない。
変わったチェスに誰かが気が付くことも無いだろう。
行きがかり上一緒に戻った他の冒険者たちはギルドで依頼の結果を報告する。
報告の内容を聞いた職員はチェスを良く知っている。
「なるほど。火に引火して勝手に魔獣が爆発、ですか」
「だから違うって!!」
「でも、酔ってたんでしょう?」
「いや、そうなんだけど!!」
「まぁ、チェスが他の冒険者を運んできただけ成長したってことか」
誰もチェスが魔術を使い、【暴虐】相当の魔獣の群れを単独討伐したなどとは信じなかった。
「はいはい、それより草取り名人さんはどこだ? 早く、草取ってくれないとまたポーションの価格が上がってしまうんだが」
「あいつなら、家に帰った」
「ったく、無責任な奴だ……」
チェスは自宅に戻り、シルヴィとワチを休ませることにした。
その日、チェスは何もすることなく、食事もとらず、一睡もしなかった。
◇
チェスは翌朝、カーミラの家を訪ねた。
いつも通り気だるげな様子で迎え入れられると思っていた。
「チェス……」
「遅くなったな」
そう言い切る前に、カーミラはチェスを抱擁した。
「なんだ、鬱陶しい!!」
「心配したんだよ」
心配という言葉を使い、心配している者がとる動作をして、そういう顔をしている。
しかし、それはどこかぎこちない。
人間の真似をしているだけで、人間ではないから。
カーミラはチェスをいつもの席に座らせる。そして、はちみつをたっぷり入れたお茶を出す。
「もしかしたら、戻ってこないかもしれないと思ったよ」
「なんでだ?」
「……アハハ」
カーミラは張り付けたような笑みを浮かべた。
「チェス君、秘密の話をしようか」
「突然なんだよ」
「どうして私の作るポーションの効き目がいいのか知りたくないかい?」
「別に興味ねぇな」
「まぁ、そう言わずにさ」
「実は薬草自体の回復力なんて大したことはないのさ。実際、傷や病をいやす効能は別にある」
カーミラはそう言って、薬草を越した汁に自分の指先から血を一滴たらした。
「私の血だ」
チェスは今更驚かなかった。
「魔物の血は人体に取り込むと有害なんだ。でも、この薬草の調合で無毒化に成功した。後はこの血のもたらす回復効果だけが現れる。ねぇ? すごいでしょ?」
そう言って立ち上がると、チェスを地下室に案内した。
そこは今までチェスも入ったことが無かった。
家の敷地面積よりもずっと広い地下には必要最低限の通路幅以外を棚が埋め尽くしている。
その棚にはずらりとガラスの容器が並ぶ。
中身は全て深紅に輝いている。
「無害化済みのポーションだ。それも効果は絶大。これを薄めて使えば向こう百年は持つと思う」
チェスには言葉も無かった。
外堀を埋められている感じがした。
「じゃあ、次はチェス君の番だ」
「なんだよ」
「その力、どうしたの?」
幼少期からチェスを見ている彼女はずっと前から気が付いていた。
チェスが変わったことを。
「『反魂』というらしい。いつこの効果が消えるかはわからない」
「そっか……わかった」
地下から戻る二人。
「ところでチェス君、私を殺してくれないかい?」
普通の会話のようにカーミラが切り出した。
「馬鹿言うな。耄碌したのかババア?」
「ボケちゃいないよ。君が力を持っている今がいい。いや、今じゃないとダメなんだ」
「一応聞いておく。何でだ?」
「殺して欲しい理由? う~ん。それは説明するのが面倒だな……私は生きているという意識が無いんだけどね」
カーミラはまるでよくある話のように語り始めた。
「そうすると、全部がどうでもよく思えるんだよ。何もかも、どうせ死ぬしなぁとか思っちゃってね」
「なら、どうして薬師なんてやってる? どうしておれの世話を焼いた? どうでもよく思ってねぇだろ」
「チェス君、君は特別だから」
「おれが?」
「君は私を怖がらない。そういう人間はとても珍しいんだ。何が違うのか、観察していたのさ」
「それで何かわかったのか?」
「チェス君、自分でわかっているだろう? 君はひどい親と、むごい扱いをする冒険者のせいで感情の一部を失っていた。それは人間性の欠如だ。だから私と気が合ったんだ」
あえて過去形。
もはや違う。
チェスはカーミラに人間性を感じない。
チェスは愛情を感じることができるようになった。それでカーミラとの共通点を失った。その喪失感をカーミラも抱いていた。
「私は神を信じないけど、何か作為的―――こういうのを人間は運命と呼ぶのかな? まるで、私から理解者を奪おうとされているようだ。なら、抗う理由なんて無い」
「それが、『お願い』か?」
「そうだよ」
チェスは冷静に話を聞いていた。だが、指先は冷たく感覚が無かった。ひどく手汗をかいていて気持ちが悪い。
「おれに、ミラ婆が殺せるわけがない」
「君だからできるんだ。過去数千年、君のようなタイプの人間はいなかった。人間の最大の武器はその社会性だ。群れで動く強さ。対して君は一個体に力が集約した唯一無二の存在。剣聖グラスの刀『月光鳳蝶』とその技を受け継ぎ、大賢者エルルクの『魔操術』を継承した」
チェスにはわかっていた。
こんなものは全て方便だ。
カーミラはチェスを利用して自殺する気でいる。
自分の首を刎ねさせる残酷な行いを、ただやらせるだけの誘い文句。
気が乗らないチェスにカーミラはやり方を変えることにした。
「もう一つ、今がいい理由があるんだけどね」
カーミラは、その本性のままに人のフリを止めた。
チェスの全身に悪寒が走る。
「君が、愛情を知ったからなんだ」
「な、なに……?」
「少なくとも二人……君には大切な人間ができただろう? 私のお願いを聞いてくれないと、二人を殺しちゃうよ?」
そこにいたのは十数年過ごした、母親代わりの存在などではなく、純然たる人類の敵としての存在。
魔物だった。
年内最後の更新です。この年の瀬にこの小説を読んでいただき誠にありがとうございます。約10万字書いたので一端修正を挟みます。来年もお付き合いいただけたら幸いです。




