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36.旅立ち

総会の後、チェスを自分の家に招きたい、雇いたいという学生が溢れ、チェスの噂で持ち切りとなった。

中には婚約者として縁談を持ち掛けようという令嬢までいた。


「うるせぇ、誰だお前」



剣呑な態度が、人を遠ざけた。

チェスにはこれから、運命の日が待ち受けている。

チェスは論文を提出した。

思い出した記憶と、魔石加工の工程だ。


「なるほど、神がかり的な錬金術師と、魔法式を魔力で組み込める付与魔法師が必要でしたか……実証されてはいますが、これを量産することは現代ではほぼ不可能ですね」

「これよりもっと小さい魔石ならハードルは低いが、一から研究し直さねぇとできねぇ。それに別の触媒がいる」

「一度分解した組織を再び活性化させる。それこそ、秘薬や霊薬の原料でもないとできませんね」



エルルクはその原料に心当たりがあった。



「報告書は書き続けてくださいね」

「約束は守る」

「貴方は不完全です。あと10年ワタクシの下で修業を積めば、ワタクシを越えられるかもしれません」

「馬鹿言うな」



愁いを帯びた瞳はまるで悩ましい青春の色に染まった女学生のようだが眼の奥には油断ならない冷たい光が宿っている。

これは冗談ではないというメッセージ。


チェスは腕組みをしてただ座っている。

話が終わるのを待っている。

エルルクは引き留めることを諦めた。



「チェス様、これを」



そう言うとエルルクは長くシミ一つない薬指から指輪を抜き取り、チェスに渡した。



「求婚でもするつもりか?」

「ある意味でそうかもしれませんね」


シルヴィの身体が思わずびくりと反応した。



「その指輪は魔塔の一部の者にだけ与える、印章です。見る者が見ればわかるでしょう」



チェスには前世の知識でこれに見覚えがあった。

これがどれだけの価値があるかもわかる。


「魔塔に属したつもりはないが……」

「ただの魔除けです。正教会、貴族、王族に眼をつけられたとき、きっと役に立つでしょう」



チェスはそう言われて突き返すことはできない。

固く握りしめた。


「あんたも、お節介だな」

「餞別です。終わったら返してください」


今後起こるチェスの戦いをエルルクは予期していた。


「ありがたく頂戴する」




チェスが退席した後、シルヴィは主に疑問を呈する。



「あの方は一体何者なのか、そろそろお聞かせいただけますか?」

「そうね……あなたにはお話した方が良いですね」



エルルクはシルヴィを座らせた。



「あなたのお父上からあなたをお預かりして2年になりますか」

「はい」

「残念ながらワタクシの力ではあなたの望みはかなえられないでしょう。所詮ワタクシは魔法を戦いの道具として使ってきただけの一魔術師です」



シルヴィは首を振った。謙遜にしても困りものだ。

エルルクは世界で十人の魔導師に列せられる『十傑』

そんな彼女が後進育成のために、自分よりはるかに劣る人間たちに魔法を授けてきた。



「エルルク様は慈悲深い方です」

「ウフフ、そうですか? そんな風に言ってもらえるとはワタクシも丸くなったものです。ですが、厳しいことを伝えねばなりません」



シルヴィはその先の言葉を知っていた。



「あなたの魔力はワタクシの力では戻らないでしょう」



シルヴィの眼に動揺はない。

そんなことは覚悟していた。

二年前、何の前触れも無く、彼女は魔力を失った。

いずれは『十傑』との呼び声も高かった、王国きっての才媛。


シルヴィア・ローア=レザリオン。

彼女は西方の大国、ローア王国の正当なる王位継承権を持つ王族。レザリオン家の姫。

生まれ持って『凍結』、『風圧』、『成水』の魔法スキル三つに加え、莫大な魔力を有していた彼女に誰もが期待を寄せた。王国史上最高の魔導師になると。

成長するにつれてその力は増し、その容姿も相まって隣国で最も力のある帝国の皇子を婿養子にと申し出があった。それは異例のことだった。



全てを手に入れたはず。しかしそれはある日何の前触れも無く消えた。


突如、彼女の身体は魔力を失った。

正確には魔力が回復しなくなった。

そこからは地獄だった。



婚約破棄。帝国からの賠償金。それまで彼女をもてはやしていた者たちは彼女を責めた。


いや、彼女にも非があった。

生まれ持った才能と美貌は彼女を傲慢にさせた。

才能を失えば、あとは反感だけが残った。


彼女は藁にも縋る思いで、このエルルク魔導学院へとやってきた。父親である国王は、厄介ごとの種となったシルヴィアを放逐する目的で期待もしていなかった。「魔力が戻るまで帰るな」という条件を付けた。



それから二年。

彼女はミントの傍仕えとして居場所を与えられたものの、魔力回復の手がかりを得るには至らなかった。




「ウフフ、最初のころのあなたは何もできませんでしたね。今ならどこに出しても恥ずかしくありません」

「エルルク様のおかげです」



無表情のシルヴィが過去の失態の数々を思い出しやや頬を赤らめる。


「聞いていた通り、チェス様は南の辺境フテナに戻られます。シルヴィ、ご同行なさい」

「あの方なら、私のこの病を治せるのでしょうか」



彼女の声は期待にやや上ずった。



「やっと訪れた可能性の一つです」

「かしこまりました。チェス様に同行します」





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