19.魔法の講義
前世の知識を活かし、現代の魔術を習得する。
それがチェスの当面の目的となった。
しかし、長居する気はない。
前世のあやふやな知識ではなく、明確な記憶を取り戻す。
そのためにチェスはまず学院内の見学をして回ることにした。
「見学ですか?」
エルルクが妖艶な笑みを浮かべる。
「ああ。記憶を取り戻すパターンは大抵何かしている時だ。魔法に触れ、魔法について学ぶことで勝手に思い出す」
「そうですか。構いませんよ」
エルルクに直談判し、見学の許可を取り付けた。
それは破格の待遇だ。
とはいえ自由に歩き回るわけにはいかない。
「こちらワタクシの世話を任せているシルヴィアです。学院の事に詳しいのでなんでも申し付けて下さいね」
「どうぞシルヴィとお呼びください」
「ワチはワチと申しまする」
シルヴィは使用人用の地味な濃紺のエプロンドレスを着用している。年齢は16歳だが大人びて見える。
シルヴィが頭を下げて、それをまねてワチも深々と頭を下げた。
「よろしく」
チェスは警戒しつつ、軽く挨拶をする。
(使用人……メイドか。いや、おそらくはどこかの商館の娘か、貴族の子女だろう)
「では、魔法の講義をしている教室へご案内いたします」
シルヴィについて歩くとすれ違う者たちが深々と頭を下げ、道の端へ寄る。
チェスには嫉妬のまなざし。
(何者だ、この娘……?)
案内されたのは高度な魔法運用について学ぶ【魔法応用学】の講義だ。学生と言っても年齢は様々、子供から大人まで、才能あると判断された一部の魔導師が講義を受けられる。
そこにチェスは入室。
「誰だ?」
「冒険者みたいだな?」
「エルルク様の客人ですってよ」
「あの学院長の?」
「何者だ?」
すぐさま、エルルクの客人だと教室内に噂が広がる。
「チェス様、こちらへどうぞ」
教室の後ろに立っているとシルヴィが席を用意した。
「あ、あのシルヴィさんが学院長以外に……」
「何様だよ」
「くそ、いいご身分だな」
再び、チェスに向けて嫉妬のまなざしが刺さる。
(またか。この子は随分と人気者みたいだな)
それは大事件だった。
彼女、シルヴィアはただの使用人に過ぎないが、エルルク・ミントの傍に唯一常にいることが許される存在。
一説では彼女の娘ではないのかとも囁かれる。
その美貌ゆえに、人気も高く密かに慕うものたちも多い。
剣呑な雰囲気に居心地の悪さを抱くチェス。
座って講義を受ける。
「魔法式の構成をこのように基礎魔力操作と接続することで単純攻撃魔法の第一工程を省略し、その分を魔力変質の制御に当てることが可能となり―――」
黒板に理論を説明していく教師。
(全くわからん)
講義の内容はチェスには理解不能だった。
講義を聞けば自然と記憶が戻ると考えていたが、そう甘くはなかった。
黒板に書かれる文字をチェスは何一つ読めなかった。
「ではこの問題を……そこの仮入学の君」
「あぁ?」
(わかるわけねぇだろ)
チェスは適当に黒板に魔法式を書いた。
「……君、今は単純攻撃魔法の構造式について講義しているんだが……?」
戸惑う教員。
「はぁ? なんだあれ?」
「……意味わからないわ」
「ひょっとして素人かな」
「おい! 笑うなよ!! かわいそうだろ!!!」
嘲笑に包まれる室内。
彼らの警戒は解かれた。
その代わり、徐々に不満と怒りが沸き起こる。
自分たちは真剣に取り組んでいる。
そこに素人が混じっているのが面白いはずがない。
シルヴィに構われていることも気に喰わない。
エルルクの客人というのは何かの間違いではないのか?
疑念が沸く。
それは見学の度に確実に蓄積していった。
実技の授業。外にある石塀で囲まれた芝生の訓練場。
『魔力操作実技』の時間。
アルフレイドは魔力の球を飛ばした。
人型の木板が音を立てて割れた。
「素晴らしい『放撃』だ! さすが、アルフレイド君!」
「いえ、単純攻撃魔法など基礎の基礎ですよ」
天授技能ではなく、獲得術式『魔操術』である。
魔術師は獲得術式の習得が絶対条件で、中でもこの『魔操術』は基礎と呼ばれる。
天授技能を補う基礎的な魔力操作、それを攻撃や防御に応用する体系全般が含まれる。
魔力の精密な操作だけで、魔力は攻撃力と防御力を有する。
「それに引き換え、何ですあなたは?」
教師は不出来な仮入学生に侮蔑の眼を向ける。
チェスは魔力切れを起こしていた。
(なんだ……これは?)
やっていることが高度で、ついていけない。
チェスが天授技能を得たのはついこの間だ。
それまで魔力を操ったことなど無かった。いや、天授技能を獲得した後も、チェス自身が細かなコントロールをすることは無かった。
現代魔法の基礎の基礎はチェスにとって未知なる領域であり、あまりに高度だった。
右往左往しているうちに魔力はあっという間に尽きてしまった。
額に汗をにじませ、地面をにらんでいた。
「はぁ、私にあれだけ偉そうな事を言っていたわりに、大した事ないんですね」
「なんだと?」
見上げるとアルフレイドが見下ろしていた。
「あなた、学長を脅しているというのは本当なんですか?」
「あぁ?」
「あのお方が特別扱いするのはシルヴィさんだけだった。それなのに、魔導師でもない冒険者が突然、特別待遇だ。不正を疑うのは自然でしょう?」
気が付くと、全員の視線がチェスに向けられている。
「はっ……想像力豊かだな」
「あなたは想像力が貧困だ。エルルク様の恐ろしさを知らないらしい。どんな手を使ったにせよ、今に後悔するぞ」
その後も教室を跨ぎ、いくつか聴講に徹したが、ほとんど内容がわからなかった。
「くそがぁ!!!」
侮蔑と嫉妬と敵意の視線から逃れ、人気のない建物の裏に逃げ込んだチェス。
そこにワチを連れてシルヴィが戻った、昼食を運んできたようだ。
「……チェス君ドンマイ」
「うるせぇ」
居場所のないチェスは隅のベンチに座り考え込んだ。
「チェス様、いかがなさいますか? 今からならば最終時限の講義に間に合いますが」
「……シルヴィさん。あなたはどう思う。おれは講義を受けるに値するか?」
彼女も嫌な仕事を振られた立場だ。
これ以上つき合わせるべきではない。
「エルルク様はかの『十傑』に列せられる大魔導師です。エルルク様が誰かを優遇することはございません」
シルヴィの声には自信が籠っていた。
「エルルク様はあなた様を屋敷に住まわせ、試験も無く仮入学を許しております。私は僭越ながら、チェス様に期待致しております」
「期待?」
「はい。この学院はエルルク様の私塾です。しかし、利権を狙う者たちが後を絶ちません。エルルク様に評価されようとして不正をする者や、取り入ろうとする者もいます」
「おれをその一人とは思わないのか?」
「思いません」
「……意外だ。君はおれを嫌っていると思った」
「何故ですか?」
シルヴィは意外そうな顔をした。彼女は表情の変化が乏しい。
「何となくな……」
「ともかく、エルルク様が、何も素養の無い方に私を就けることなどありえません」
「そうか」
チェスはこの使用人を自分に就けているエルルクの真意を考えた。
(……見た目や立場だけで、学生や教師たちが一目置くはずがねぇ。この娘、ひょっとして)
「シルヴィさん、あなたはあの講義の内容が理解できるのか?」
「はい、おおむね把握しております」
「そうか」
「はい、そういうことです」
ただの世話係ではない。
だから彼女は期待したのだ。魔法に増資が深い自分をわざわざ何の素養も無い冒険者には就けないだろうという確信。
そしてチェスに対し明言しなかったのはエルルクからの試験だからだ。
学ぶ者に相応しいふるまいと態度がチェスにあるかどうかを推し量るための、ささやかな関門だ。
「シルヴィさん、恥を忍んであなたに頼みたい」
「はい」
「おれに文字と魔法を教えて欲しい」
プライドなど捨てた。
こういうことは二度目だ。
剣について教わった時も、プライドなど捨てていた。
「かしこまりました。では、まず文字からご教授させていただきます」
チェスは自分の半分の歳のメイドに教えをこうことにした。
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