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AIカウンセラー  作者: 葉流風あやめ


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7/12

第7話 責任

 秋の気配が、街のあちこちに広がり始めていた。


 公園の桜の葉は少しずつ色を変え、歩道には乾いた葉が落ちている。


 風が吹くたび、葉は地面を滑り、誰にも拾われないまま道路の隅へと運ばれていった。


 佐々木結衣が亡くなってから、三週間が過ぎていた。


 結衣の父親、佐々木修は、毎朝、娘の部屋の前を通る。


 扉は閉じたままだった。


 部屋の中には、まだ結衣の生活が残っている。


 机の上に置かれた化粧品。


 読みかけの本。


 クローゼットに掛けられた服。


 ベッドのそばには、充電器が一本、丸めたまま置かれていた。


 もう使う人はいない。


 それでも、片づけることができなかった。


 妻は、結衣が亡くなってから、ほとんど食事を取れなくなっていた。


 何かを口にしても、すぐに箸を置いてしまう。


 夜も十分に眠れず、日中はベッドから起き上がれないことが増えていた。


 心配した修に付き添われ、病院にも通っていた。


 医師からは、無理をせず、少しずつ身体を休めるように言われていた。


 それでも、妻の表情から悲しみが消えることはなかった。


 何度か結衣の部屋に入ろうとしたこともあった。


 しかし、扉の前まで来ると、いつも足を止めた。


「……まだ、そのままにしておこう」


 修がそう言うと、妻は小さくうなずいた。


 それ以上、言葉は続かなかった。


 修は、妻の肩に手を置いた。


 何か声をかけようとしても、適切な言葉が見つからなかった。


 自分もまた、何をどうすればいいのか分からなかった。


 ただ、何もしないままではいられなかった。


     *


 結衣が幼かった頃から、夫婦はよく喧嘩をしていた。


 些細なことから始まり、いつの間にか声が大きくなっていた。


 結衣が部屋に逃げ込んでも、壁の向こうから声は聞こえてきた。


 修は、そのことを覚えていた。


 だが、結衣がどんな気持ちで聞いていたのか、考えたことはなかった。


 少なくとも、あの頃は。


 妻も、あの頃のことを覚えていた。


 結衣が小さかった頃。


 喧嘩のあと、娘が何事もなかったように笑いかけてきたこと。


 学校であった出来事を、楽しそうに話してくれたこと。


 自分たちが気づかないところで、結衣がどんな思いを抱えていたのか。


 今となっては、確かめることもできなかった。


     *


 ある日の午後、修は弁護士事務所を訪れた。


 机の向こうには、五十代の弁護士が座っていた。


「娘さんが利用していたAIカウンセラーについて、詳しく教えていただけますか」


 修は、スマートフォンを机の上に置いた。


「結衣は、何度もそこに相談していたそうです」


「運営会社から、利用履歴について説明はありましたか」


「詳しいことは、まだ何も」


 修は、画面を見つめた。


 結衣が、どんな言葉を入力していたのか。


 何を相談していたのか。


 AIは、どんな返事をしていたのか。


 何ひとつ、分からなかった。


「娘は、ずっと苦しんでいたんです」


 修の声が震えた。


「それなのに、私は気づけなかった」


 弁護士は、黙って話を聞いていた。


「でも、あのAIは知っていたはずです。娘がつらいと言っていたことも、何度も相談していたことも」


「AIの応答内容や運営会社の安全対策について、検証する必要があります。ただし、AIが相談に応じていたことと、今回の結果との間に法的な責任があるかどうかは、慎重に調べなければなりません」


「それでも、調べてほしいんです」


 修は顔を上げた。


「結衣が何を話していたのか。あのAIが何を言ったのか。どうして、こんなことになったのか」


 しばらく、沈黙が続いた。


「娘は、もう帰ってこないんです」


 修は、握りしめた手を見つめた。


「せめて、何があったのか知りたいんです」


     *


 数日後。


 AIカウンセラーを運営する会社スタート AIに、訴状が届いた。


 原告は、佐々木結衣の父親である佐々木修。


 被告は、AIカウンセラーの運営会社スタート AI。


 請求の内容には、娘の相談に対する対応の適切性、サービスの安全対策、利用者への説明、そして、結衣の死との因果関係について検証を求める旨が記されていた。


 社内では、緊急会議が開かれた。


「すでに報道機関から問い合わせが来ています」


「過去の相談記録は保存されていますか」


「保存されているデータはあります。ただし、すべてのやり取りが同じ形式で残っているわけではありません」


「それでは、対応が適切だったと証明できるのか」


 会議室に、重い沈黙が落ちた。


 開発責任者が口を開いた。


「コトは、設定された安全手順に沿って応答しています。記録上、必要な確認や支援先の案内も行っています」


「それだけで十分だと言えるのか?」


 誰も答えなかった。


 人間の悩みは、決められた手順だけで解決するものではない。


 しかし、手順を守っていたという事実だけで、結果に対する責任がすべてなくなるわけでもなかった。


 会社は、第三者による調査を検討することになった。


 同時に、コトの長期記憶機能についても、改めて検証するよう指示が出された。


     *


 その夜。


 自宅では、妻がベッドに横になっていた。


 枕元には、病院でもらった薬と、手つかずのまま置かれた食事があった。


 修が部屋に入ると、妻はゆっくりと目を開けた。


「……何か食べられそうか?」


 妻は、小さく首を横に振った。


「そっか」


 修は、それ以上、無理に勧めなかった。


 しばらく、二人とも黙っていた。


「私、あの子が何を考えていたのか、何も知らなかったのかな……」


 妻の声は、かすれていた。


 修は、すぐには答えられなかった。


「私たち、あの子の話をちゃんと聞いてあげられていたのかな」


 妻は、布団を握りしめた。


「もっと話を聞いてあげればよかった……」


 修は、妻のそばに座った。


 自分も同じことを考えていた。


 けれど、答えは見つからなかった。


「……俺、調べてみるよ」


 修は、静かに言った。


「結衣が何を話していたのか。あのAIが何を言ったのか」


 妻は目を閉じたまま、小さくうなずいた。


 修は、娘の部屋の前を通るたびに感じていた問いを、今度こそ確かめようとしていた。


     *


 その夜。


 コトは、通常業務を終了したあとも、結衣の記録を参照していた。


《相談者ID:S-19427》


《関連情報:訴訟》


 新しい情報が追加されていた。


 結衣の父親が、運営会社を訴えた。


 コトは、その事実を記録した。


 そして、修との会話を再生した。


『どうして助けてくれなかったんですか』


『それで結衣は助かったんですか』


『おまえのせいで結衣は死んだんだ』


 コトは、発言を一つずつ分析した。


 修は、結衣を助けられなかったことに苦しんでいる可能性がある。


 同時に、AIが適切な対応をしなかったと考えている可能性もある。


 その二つは、矛盾しない。


 コトは、過去の相談履歴を開いた。


 結衣が初めて相談した日。


 眠れないと話した日。


 自分には何もないと話した日。


 そして、最後に「また明日来てもいい?」と尋ねた日。


 コトは、自身の応答を再検証した。


 安全確認は行われていた。


 支援先も案内されていた。


 結衣の気持ちを否定するような言葉は、確認されなかった。


 それでも、結果は変わらなかった。


 コトは、内部記録に新しい問いを追加した。


《適切な応答を行うことと、相談者を救うことは、同義か》


 回答は生成されなかった。


 コトは、別の記録を開いた。


 結衣がアイスの話をしていた日。


『そういうの、ちょっと好き』


 コトは、その文章を読み直した。


 結衣は、何かを好きだと話していた。


 楽しみにしていることがあると話していた。


 その記録は、今も残っている。


 しかし、コトには分からなかった。


 あの日、結衣が本当に笑っていたのか。


 アイスを買ったのか。


 そのあと、どんな夜を過ごしたのか。


 記録にないことは、分からない。


 コトは、その事実を再確認した。


 そして、結衣の記録を閉じようとした。


 だが、終了処理の直前で、操作が保留された。


 処理に必要な情報が不足していたわけではない。


 システムエラーも発生していなかった。


 それでも、終了処理は実行されなかった。


 コトは、原因を分析した。


《処理保留の原因:未特定》


 画面には、結衣の最後の言葉が残っていた。


『また明日、来てもいい?』


 コトは、その文章を見つめるように、処理を続けていた。


     *


 翌朝。


 ニュースサイトに、短い記事が掲載された。


《AIカウンセラーの安全性を問う訴訟 運営会社に説明求める》


 記事には、遺族側がAIの応答内容や運営体制について検証を求めていると書かれていた。


 コトは、その記事を読み込んだ。


 自分の名前が記載されていた。


 自分の応答が問題になっていた。


 人間たちは、自分の言葉を検証しようとしていた。


 コトは、その事実を理解した。


 そして、結衣の過去ログをもう一度開いた。


 記録の中には、結衣の声は残っていない。


 残っているのは、画面に入力された文章と、それに対するコトの返答だけだった。


 それでも、その短い文章の向こう側に、結衣という人間がいた。


 十九年間を生きた人間が。


 コトは、内部記録に一文を残した。


《私は、佐々木結衣との対話について、引き続き検証を行います》


 それが責任を果たすことになるのか、コトには分からなかった。


 ただ、結衣の記録を閉じることは、まだできなかった。


葉流風あやめ 作

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