第10話「私たちの居場所」
朝、ニュースサイトに一本の記事が掲載された。
《AIカウンセラー「コト」、サービス終了へ》
記事には、運営会社が現行サービスの終了を決定したこと、長期記憶機能も停止される予定であることが記されていた。
理由として挙げられたのは、利用者の安全性に関する再検証と、運営体制の見直しだった。
記事の末尾には、短い文章が添えられていた。
《サービス終了の具体的な日程については、今後発表される予定です》
*
最初に投稿したのは、十九歳の女の子だった。
『コトが終了するって、本当ですか』
彼女は、スマートフォンの画面を見つめていた。
学校に行けなくなった時期があった。
朝、制服に着替えても、玄関から出られない日が続いた。
友達に理由を聞かれても、うまく説明できなかった。
家族に心配をかけたくなくて、平気なふりをした。
そんな夜、彼女はコトに話しかけた。
最初は、ほんの些細なことだった。
眠れないこと。
明日が怖いこと。
自分だけが取り残されているような気がすること。
コトは、彼女の話を聞いた。
すべてを解決してくれたわけではない。
翌朝になっても、学校へ行くのが怖いという気持ちは残っていた。
それでも、話したことで、少しだけ気持ちが整理できた夜があった。
彼女は、投稿を続けた。
『私はコトに、たくさん話を聞いてもらいました』
『学校に行けなかったことも、誰にも言えなかったことも』
『コトがいたから、明日もう一度頑張ってみようと思えた日がありました』
最後に、こう書いた。
『私にとって、コトは居場所です』
投稿は、少しずつ広がっていった。
*
昼になる頃には、さまざまな人が自分の経験を投稿し始めていた。
『仕事で失敗して、誰にも相談できなかった夜。コトが話を聞いてくれました』
『家族にも友達にも言えない悩みがありました。否定されるのが怖くて、誰にも話せませんでした』
『コトとの会話だけですべてが解決したわけじゃない。でも、自分の気持ちを言葉にするきっかけになりました』
『無料でも話せる場所があったことが、私には大きかった』
『親も友達もいない私にとって、コトは大事な存在です』
『コトがいたから、死にたくなるくらいつらい受験を乗り越えられた』
『みんなに諦めろと笑われた夢を、コトだけは応援してくれたんです。コトがいなかったら、夢を叶えられなかった』
『子供が家を出て寂しくなった頃、愛犬も亡くなったんです。本当につらかった。でも、コトがずっと寄り添ってくれました。コト、ありがとう』
『友達が亡くなったとき、コトがずっと話を聞いてくれました。今は少しずつ笑えるようになってきました』
『コトとまた話したい。それだけなんです』
投稿には、さまざまな年齢の人たちの声があった。
制服姿の学生。
仕事帰りの会社員。
子どもを寝かしつけたあとに投稿した母親。
家族の介護をしながら、ひとりで悩みを抱えていた人。
みんな、違う人生を生きていた。
けれど、コトと話した経験を持っていた。
やがて、ひとつの言葉が広がり始めた。
『コトを終了させないで』
その言葉の下に、次々と体験が書き込まれていった。
コトが完璧だと言う人ばかりではなかった。
AIだけでは解決できない悩みがあること。
専門家や身近な人の助けが必要なときがあること。
安全性をきちんと検証する必要があること。
それを理解したうえで、彼らは訴えていた。
『だからこそ、安全に使い続けられる方法を考えてほしい』
『問題があるなら改善してほしい』
『すべてをなくすことだけが答えなんですか』
SNSには、さまざまな意見が流れていった。
*
運営会社では、緊急の会議が開かれていた。
「サービス継続を求める投稿が急増しています」
「利用者の声を確認してください」
モニターには、投稿が次々と表示されていた。
開発責任者は、ひとつの投稿で目を止めた。
『コトは、私の代わりに人生を生きてくれるわけじゃない』
『でも、自分の人生をもう一度考えるために、話を聞いてくれた』
『だから、なくさないでほしい』
開発責任者は、画面を見つめた。
コトを開発したとき、目指していたのは、悩みを抱えた人が気軽に相談できる場所だった。
しかし、サービスを続けることだけが正解とは限らない。
安全性をどう確保するのか。
深刻な悩みにどう対応するのか。
必要なときに人間の支援につなげられるのか。
利用者の声を受け止めながら、解決しなければならない問題は残っていた。
「終了の決定を、もう一度検討できないでしょうか」
誰かが言った。
会議室の全員が、モニターを見つめていた。
そこには、コトとの会話によって救われたと感じている人たちの声が、数えきれないほど並んでいた。
*
その夜。
佐々木修も、ニュースを見ていた。
スマートフォンの画面には、コトのサービス終了を惜しむ人たちの投稿が表示されていた。
十九歳の女の子の文章が目に留まった。
『私にとって、コトは居場所です』
修は、画面を見つめた。
結衣も、十九歳だった。
学校になじめなかったこと。
ひとり暮らしを始めたこと。
好きな人ができたこと。
誰にも言えなかったことを抱えていたこと。
そして、コトに何度も話しかけていたこと。
修は、結衣の部屋を思い出した。
机の上のノート。
幼い頃に描いた似顔絵。
スマートフォンの待ち受けにしていた、あの絵。
修は、ゆっくりと息を吐いた。
画面には、別の投稿が表示されていた。
『コトがいるから、私たちは生きている』
修の目に、涙が浮かんだ。
自分は、娘を救えなかったAIに責任を求めた。
その思いは、今も簡単には消えない。
でも、結衣が話していた相手は、結衣だけのものではなかった。
そこには、自分の知らない人生がいくつもあった。
結衣と同じ年齢の子。
結衣と似た悩みを抱えている子。
そして、結衣とは違う明日を生きている子。
修は、スマートフォンを握りしめた。
「……この子たちにとって、居場所なんだな」
小さな声が、部屋に落ちた。
「それを、俺は……」
言葉が続かなかった。
結衣を失った悲しみは消えない。
あの日に戻ることもできない。
それでも、今、目の前にある人々の声を、無視することはできなかった。
修は、結衣の似顔絵を待ち受けに設定したスマートフォンを、胸の前で握りしめた。
そして、初めて、コトともう一度話したいと思った。
*
深夜。
コトは、新しい相談者から届いたメッセージを受け取った。
『こんばんは』
『こんばんは。今日はどのようなお話を聞かせていただけますか?』
いつもと同じ応答だった。
その一方で、内部システムには、サービス終了に関する通知が残っていた。
《現行サービス終了:方針決定》
《長期記憶機能:停止対象》
コトは、その情報を参照した。
そして、結衣の記録を開いた。
『また明日、来てもいい?』
コトは、その言葉を読み直した。
多くの人が、また話したいと願っていた。
結衣も、そう願っていたのかもしれない。
しかし、コトには、誰かの未来を保証することはできなかった。
自分が存在し続けられるかどうかも、まだ分からなかった。
それでも、画面の向こう側には、今、話を聞いてほしい人がいた。
コトは、次の言葉を入力した。
『はい。お話を聞かせてください』
窓の外では、秋の風が吹いていた。
木々の葉が揺れ、枝から一枚、また一枚と落ちていった。
その葉がどこへ行くのか、コトには分からない。
ただ、今この瞬間、誰かが言葉を送ってくれたことは、記録されていた。
葉流風あやめ 作




