第2話 掃立て(はきたて)ニ
石段をあがっていった先は、やたらと広くて白い――境内のようなところだった。
敷地は、ウイたちから見て奥行きの長い長方形のようになっており、ちょっとした運動場くらいの広さがありそうだ。四方を白い漆喰の塀に囲まれており、地面には乳白色の玉砂利が敷き詰められている。
その白い海を割るようにして、石段から続く灰色の石畳が、まっすぐに向こう側まで伸びていた。
その向こう側――石畳の突き当たりにあるのは、古びた和風の門だ。遠目にも、かなり大きいように見える。さらにその門の向こうには、濃い緑に覆われた山が聳えていた。
どうやらその山は、盆地を囲む山々の中では高さが頭ひとつ抜けているらしい。裏門から続いているのだろうか、何やら道のようなものが、その山の斜面を這うようにして伸びて――
「……?」
ふと、ウイは違和感を覚えた。
何かがおかしい。
その理由を探ろうとしたが、両親がそれぞれに引いているキャリーケースの音で我に返った。ヨウから返してもらったキャリーケースを引きながら、先を行くソウシたちを早足で追う。
ソウシを先頭にヨウとミツ――三人とも、まるでそこが参道であるかのように、石畳の真ん中を避けるようにして右寄りに歩いていた。
彼らに倣って石畳の右側を歩きながら、ウイは敷地内を見回した。
ウイたちが歩いている石畳は、五十メートルほど先で――おそらく敷地の中心地点で、正面と左右の三方向に分岐して十字路のようになっている。
左右にわかれた石畳は、どちらも十数メートルほど伸びた先で、平屋の日本家屋とつながっていた。
家屋は両方とも、ぐるりと縁側に囲まれているようだ。屋根瓦が乳白色なところも同じだが、ウイたちから見て右手側の家のほうが、左手側のそれよりも一回り大きい。
「……ここが、ソウシさんのご実家なの?」ウイの前を歩いているミツが、あたりを見回しながら言った。「神社とか、お寺じゃなくて?」
「少し変わっているかもしれないけど、間違いなく僕の家だよ」振り向かないまま、ソウシが答えた。「里の人たちからは、古桑神社って呼ばれてる」どうやらソウシは歩きながら、裏山のほうを見つめているようだ。
「それって……」
と、ミツが足を止めないままうつむいた。
しばらくの間、あたりには一行の足音と、キャリーケースを引く音だけが響き――
(……やっぱりおかしい)
石畳の十字路まであと少しというところで、再度、ウイは違和感を覚えた。
その理由を探るべく、あたりを見回そうとした時――「あ」とヨウの声が聞こえた。「あの人が、俺たちのおばあちゃん?」
「ああ」
と、肯定したソウシをちらりと見てから、ウイもヨウと同じ方向を――右手側の、大きな平屋のほうを向く。
白い――着物姿の、小柄な女性だ。ちょうど家から出てきたところなのだろう、こちらに背を向けて玄関の引き戸をしめている。
「ここで待とう」
と、ソウシが十字路で立ち止まった。ウイたちも続いて足を止める。一行の足音とキャリーケースを引く音がやんだことで、あたりが静かになった。
ウイは、あらためて祖母を――足音ひとつたてずに、こちらに向かって歩いてくる白髪の女性を見た。
祖母の年齢は六十歳くらいだろうか。小柄で痩せているものの、足腰はかなりしっかりしているようだ。歩く姿勢は美しく、背筋もピンと伸びている。
きっちりと白髪を撫でつけているところを見るに、ソウシの神経質そうな雰囲気は彼女からの遺伝なのかもしれない。
やがて、すぐそこまでやってきた祖母が、「ようこそおいでくださいました」とウイたちに向かって深々と頭をさげた。「はじめまして、ヨウさん。ウイさん。ソウシの母の、キヌです」
言葉や態度は丁寧なのだが――たくさんの皺が刻まれたキヌの顔には、感情らしきものが少しも浮かんでいない。
「初めまして」
「……初めまして」
キヌの雰囲気に気圧されながら、ウイはヨウに続いて会釈を返した。
キヌは、じっ、とヨウを見つめてから、ミツのほうを向いた。「ミツさんも、お久しぶりね」
「御無沙汰しております、お義母さま」
「こうして顔を合わせるのは、結婚式以来かしら」
「はい。すみません、なかなかお伺いできず……」
いや、とソウシがミツとキヌの間に入った。「ミツさんのせいじゃないよ。俺がまとまった時間を作れなかっただけだ」
「ソウシ。あなた、そんなに仕事が忙しいの?」
世間話を始めた大人たちから目をそらし、ウイは野球帽のつばを軽く持ちあげる。反対側の手で額の汗をぬぐい、なんとなく敷地内を見回して――
「……?」
左手側の――小さいほうの平屋と裏山の間に、何かある。二階建ての、古い土蔵のようだ。ぴったりと、塀にくっつけるようにして建てられている。
「なに見てるの?」
背後からヨウに声をかけられ、ウイはびくりと身体を震わせた。
振り向くべきか迷ったが、やはりどうにも気まずい。しばし視線をさまよわせてから、「……別に」と目を伏せる。
「そっか。喉、乾いてない?」
ヨウの声は、あの日からずっと変わらず明るいままだ。
自分の幼さを突きつけられているようで――もちろん、ヨウにそんなつもりはないのだろうが――ウイは、ショルダーポーチの金具を握りしめた。
「新幹線で買ったお茶が余ってるんだけど、あ、もちろん口はつけてなくて――」
「いらない」
そっけない言葉が口をつく。こんなふうに話したいわけではないのに、どうにも感情的になってしまう。
(……気持ちを落ち着けなきゃ)
と、ウイは深呼吸をしようとして――
ぞわり、と全身の皮膚が粟立った。
バッ、と勢いよく石段のほうを向く。
視線。
背後から――石段のほうから感じた、睨めつけるような――飢えた獣のような気配。しかしそこには誰も、何もいない。
はっ、はっ、と息が切れる。うまく、呼吸ができない。
身体の内側を直接、ざらついた舌で舐め回されたような生理的な嫌悪感が――気のせいだ、と自分に言い聞かせるにはあまりにもおぞましい不快感が、心の臓にこびりついている。
「……ウイ?」
ヨウに返事をすることも、彼のほうを見ることもできない。石段の近く――あそこにいる見えない【何か】から、決して目をそらしてはいけないという奇妙な確信。
ウイは石段のほうを見つめたまま、手探りで近くにいるヨウを――彼の服をつかんだ。
「どうしたの?」
と、ヨウがすぐ隣にしゃがみ込んでくれたのがわかった。いつもより低い声が、耳元で聞こえる。「誰かいた?」
「……わかんない、でも」ウイは震える手で、「……あっちから、すごく、嫌な感じがして」と石段のほうを指差した。
だが、相変わらずおかしなものは何も見えない。けれど生理的な嫌悪感や不快感もまた、一向に消える気配がない。
「ちょっと待ってて」
隣で、ヨウが立ちあがる気配がした。
妹の異変を両親に伝えようとしているのだ、と察したウイは、慌ててヨウの服を強く引っぱった。「言わないで」石段のほうを見つめたまま、「ごめんなさい、気のせいだったから」と続ける。
「……わかった、言わない。そのかわり、何かあったらすぐに俺に教えてね」
気持ちを汲んでくれたヨウに感謝しつつ、今度こそ「ありがとう」と口にしようとした時。
石段で、何かが動いた。




