第13話 古桑ヨウ
昼食後、母屋の外でヨウはひとり、玄関の近くにある日陰から夏空を見上げていた。どこまでも青い空を仰ぎ見たまま、ふぅ、とため息をつく。
――ひとつ、訊きたいことがあるんですが……その、今夜の雨乞いに、わたしがついていくことはできないんでしょうか?
そう言いながら、ウイは華奢な手で自分の胸元をつかんでいた。きっと勇気を振りしぼっていたのだろう。対するキヌの返答は、ソウシ次第というものだったが――
(父さんには、どう断ってもらおうかな)
ヨウは裏山へと視線を移した。かすかにだが、まだ草刈機の音が聞こえてくる。
ウイの気持ちは嬉しいが、ヨウとソウシが行くのは夜の山なのだ。裏山の石段には手すりのようなものはなかったし、もしも足を踏み外すようなことがあれば、大怪我では済まないかもしれない。
そんな場所に、可愛い妹を連れていくことなどできるわけがない。
告げ口のようで気は引けるが、先にソウシに話をしておいて、ソウシから「決まりごとがあるからウイを連れていくことはできない」と適当な理由をつけて断ってもらうのがいいだろう。
(……父さんの言うことなら、ウイも素直に聞くだろうし)
母屋の板壁にもたれかかりながら、視線を落とす。結論は出せたが、気持ちは晴れなかった。
理由はわかっている。裏山での、ウイに対するソウシの冷たい態度だ。あれは、古桑家が抱える歪さが露わになった瞬間でもあった。
偏愛、とでもいえばいいのだろうか。ソウシもミツも、どういうわけかヨウにばかり愛情を注ぎ、ウイには興味を示さないのだ。
その理由はわからない。兄であるヨウから見ても、ウイは非の打ち所がないほど優秀なのに。なんなら最近の彼女の成績は、当時のヨウのそれよりも良いくらいなのだが――
(なんでか、父さんも母さんも、ウイを褒めようとしないんだよな)
正確には、ウイを褒めることは褒めるのだが、その褒め方がどこか事務的なのだ。そして厄介なことに、当人たちはちゃんと褒めているつもりらしい。
過去に一度だけ、両親に、ウイのことをもっと褒めてあげてほしいと頼んだことがあった。
あのとき二人は、「褒めているだろう」「褒めているつもりなんだけど……」と意外そうな顔をしていた。しかしヨウの頼みならばと、しばらくの間は両親もちゃんとウイを褒めてくれていた、けれど――
――お兄ちゃんが言ってくれたんでしょ? わたしなら、大丈夫だから。
敏い妹は、兄のお節介に気づいてしまった。
そして彼女は、両親からそんなふうに褒められることを望んではいなかった。
「……あれはよくなかったなあ」
つぶやきながら顔をあげ、離れのほうを――障子がしまったままの、ミツが寝ている部屋を見やる。
初めてウイを見たのは、出産を終えたばかりのミツが休む病室だった。
ミツに抱きかかえられながら眠るウイはとても愛らしく、新しい家族を迎えられたことが――自分に妹ができたことが、とても嬉しかったことをよく覚えている。
重力に引きずられるように、視線を落とした。
幼い頃は、こんなふうに悩むことはなかったのだ。
ヨウがどこへ行くときも、いつもウイはニコニコと笑いながらついてきてくれた。迷子になってはいけないからと、よく手をつないで歩いたものだ。
けれどいつからか、ウイから複雑な視線を向けられるようになってしまった。悪感情だけでもなければ、好感情だけでもない。好悪の入り混じった、複雑な視線を。
どうしてそうなってしまったのかは、よくわかっている。
ウイは飢えているのだ。
子供ならば与えられてしかるべき、両親からの愛情というものに。
だからウイは勉強を頑張っている。
学業で優秀な成績を取りつづけるヨウのことを、いつも両親が褒めるから。
だからウイは運動も頑張っている。
部活動でも活躍しているヨウのことを、いつも両親が誇らしげに話すから。
けれど――
ふぅ、と再度ため息をつく。どれだけウイが結果を出しても、ソウシとミツの態度が変わることはなかった。
ならば、とヨウが代わりに愛情を注ごうとしても――どうにも上手くいかない。
あくまでも、ウイが欲しているのは両親からの愛情なのだ。父の、そして母の愛というものは、やはり兄弟姉妹のそれとはまったく異なるものなのだろう。
その象徴が、ウイが大切にしている白いショルダーポーチだ。
中学校の入学祝いにと両親がウイに買い与えたそれは、どうしようもない不良品だった。肩紐とポーチをつなぐ金具の部分が、すぐに外れてしまうのだ。
これではまともに使えない、返品、交換してもらったほうがいい――そう言うソウシとミツに対して、ウイは「これがいいの」と譲らなかった。
そして実際に、ウイは家族で出かけるときは必ず、そのショルダーポーチを肩にかけている。時折、金具の部分を強く握りしめながら。
同じく中学校の入学祝いにとヨウがプレゼントしたものは、一度もつけてくれていないのに。
「……いや、それはただの嫉妬か」
苦笑しつつ、ヨウは目を伏せる。いつか――できれば自分が高校を卒業するまでに、ウイがそれをつけているところを見てみたいけれど。そう、高校を卒業するまでに――
『どうすれば、両親は今よりも妹を愛してくれるのか』
その悩みに、ヨウはひとつの結論を出していた。
自分がいなくなればいい、と。
父も母も、決して悪い人ではない。家庭からヨウがいなくなれば、少なくとも今よりはウイのことを気にかけてくれるようになるはずなのだ。
――大学からは、一人暮らしをしたいんだけど……。
昨日、地下駐車場までのエレベーターの中で両親にそれを話すと、拍子抜けするくらいあっさりと許可が出た。とくに、過保護なミツからは絶対に反対されると思っていたのだが、それもなかった。
両親の反応は意外だったものの、あとは同じことをウイに、どうにかしてあの心優しく聡明な妹を傷つけないように伝えるだけ――だったのだが。
――ヨウ。
草刈りのとき、祠の前でソウシから言われたことが引っかかっていた。
――何があっても、おまえは妹を守ってやれ。
兄である自分が、妹であるウイを守るのは至極当然のこと――と、常日頃からヨウが考えていることは、ソウシもわかっているはずなのに。
どうして、ソウシはわざわざあんなことを口にしたのか。
「……雨乞い、か」
ヨウがつぶやいた瞬間、母屋の玄関で物音がした。




