第12話 眠(みん)二
草刈りでかいた汗を風呂場で綺麗さっぱり流した後、ウイはひとり母屋の縁側に座っていた。南側の――古桑神社の出入り口が見える、かつ日陰になっている場所だ。たまに吹く風が、風呂上がりの肌に心地よい。
キャミソールにミニスカートという格好で、縁側の端から素足をブラブラとさせながら――
(……これ、繭だよね)
と、それを――裏山の石段で拾った白い繭を持ちあげる。
陽光に透かすようにして、しばらく繭を見つめてみた。中身こそ透けて見えなかったものの、おかしなところは何もない――ように見える。
繭の大きさはウイの手のひらと同じくらいで、真ん中が少しくびれた俵のような形をしていた。非常に軽く、本当に中に蛹が入っているのかと疑問に思うくらいだ。
やがて、繭を持ちあげているのがつらくなり、ウイは腕をおろした。縁側に繭を置きながら、神社の出入り口を見やる。――待ち人は未だ来ず。
待ち人とは、里の外から呼んだ医者のことだ。瞼の重さを誤魔化すようにまばたきをしながら、ウイは裏山から戻った後のことを思い返した。
草刈りの後、裏門から古桑神社へと戻ったウイたちはまず母屋へと向かい、キヌを探した。ソウシから先に帰るように言われたことを、キヌに報告しなければならないとヨウが言ったからだ。
台所で昼食を作っていたキヌに事情を話してから、ウイたちは昼食作りを手伝うと申し出たのだが――
――まずお風呂に入って、それから休んでいてください。
と、断られてしまった。
それでもなおヨウが、
――お風呂にはウイが先に入るので、その間、僕だけでも手伝わせてください。
と、食いさがった結果、ヨウには『よく冷えた麦茶を縁側で飲みながら、来客があれば台所のキヌに伝える』という仕事が与えられることになった。
そうして現在、風呂あがりのウイが、風呂へと向かったヨウに変わってその仕事をこなしている。
その客は――里の外から呼んだ医者は、当初は正午までには来るはずだったらしい。ところが、ウイたちが裏山から戻る少し前に、その医者から到着が遅れてしまうという電話があったそうだ。
ウイが風呂からあがった後、縁側を歩きながら一瞥した茶の間の柱時計は、すでに午後一時を回っていた。
医者が来るのが先か、それともヨウが風呂からあがるのが先か。あるいは、昼食ができたとキヌに声をかけられるのが先になるのか。
まばたきをしながら、ウイはちらりと離れのほうを――障子がしまったままの、両親の客間を見た。ウイが風呂に入っている間に、ヨウはキヌに断りを入れてミツの様子を見に行ったらしい。
――相変わらず寝たままだったけど、顔色は良かったよ。
仕事を引き継ぐ際にヨウが言っていたことを思い出しながら――ウイは、ふぅ、とため息をついた。ミツのことは心配ではあったが、様子を見にいく気にはなれなかった。
裏山で、ソウシから拒絶されたばかりだからだろうか。もしも目を覚ましたミツに、同じようなことを言われてしまったら――そう思うと怖くてたまらなくなり、どうしても足がそちらに向かなかった。
ゆっくりとまばたきを繰り返しつつ、神社の出入り口を見やる。
だが、相変わらず誰も来る気配がない。こんなにも静かなのだから、たとえば道端にタクシーなどが停まったら、多少なりともその音が聞こえてきそうなものなのだが――それもない。
軽くうつむきながら、自分の左側へと視線を落とす。縁側についている左手の近くには、白い曇りガラスのコップがあった。入っていた麦茶はすでに飲み干しており、表面に多少の結露が残っているだけだ。
穏やかな風が吹き、ウイは誘われるように正面を向いた。
ふわぁ、とあくびをひとつ。草刈りの疲れもあるのだろうが、風呂に入ったことで気が緩んでしまったらしい。
そうだ、と思い立ち、胸の前に右手をやった。何度かひらいたりとじたりしてみる。多少の痛みはあるものの、日常生活に支障はなさそうだ。
そのまま右膝を立てて、ふくらはぎに触れようとした時――視界の右隅で、何かが動いた。そちらを向く。飴色の縁側に、白い繭があるだけだ。
しばらくじっと見つめてみたが――当然、繭はぴくりとも動かない。
「……」
そもそもウイは、あまり虫が得意ではない。どうしようもなく苦手というわけでもないのだが――たとえば間接的に、下敷きなどを使って芋虫を移動させるくらいならできなくもないのだが、直に触れるとなるとやはり抵抗がある。
だからこそ自分でも不思議だった。
(……どうして、持ってきちゃったんだろう)
あのとき――裏山の石段で、この白い繭を見つけたとき。
ここに置いていってはいけない、と強く感じたのだ。
けれど、どうしてそう思ったのかはわからない。
「……え」
ウイは目を見ひらいた。
繭が、ゆらゆらと揺れている。
風が吹いているわけでも、母屋が揺れているわけでもない。
にもかかわらず、繭は今も、ゆらゆらと――
「――」
右手が、繭のほうへと勝手に伸びていく。混乱はすぐに恐怖へと変わった。自分の身体なのに、自分の思うとおりに動かせない。
声も出せず、瞼をとじることもできない。自分の右手が、ゆっくりと繭をつかむところを見ていることしかできない。
どくん、どくん、と心臓のように脈打つ繭をつかんだ右手が、顔のほうへと――露わになったままの右眼へと近づいてくる。
眼球と繭がぶつかりそうになった瞬間、ぴたりと右手が止まった。
見られている。
繭の中から、何かに。
顔をそむけたいのに、
目をとじたいのに、
声を出したいのに、何もできない。
繭は徐々に膨らんでいきながら、やがて人の頭蓋骨のような何かへと変貌し――
光。
繭の一か所が――仮にそれが頭蓋骨であるならば、額のあたりが――白く光った。そこから溢れ出してきた大量の白く輝く糸が、ウイの右眼へと――
「ウイ?」
「……っ」誰かの声で目をあけた。反射的に顔をそむけて――ゴン、と何かに頭をぶつける。「――いっ、たぁ」
「だ、大丈夫?」
鈍い痛みに耐えながら、ウイはヨウの声がしたほうを向いた。が、どうにもヨウの角度がおかしい。どうやら自分は横になっていて、ヨウに顔を覗き込まれているようだ。
「……夢?」
縁側に片手をつきながら、ゆっくりと身体を起こす。視界を埋め尽くしていた大量の白く輝く糸のことを思い出し、何度かまばたきを繰り返してみたが――視界に異常はなさそうだ。
「ウイ?」
心配そうなヨウに、ううん、と大丈夫だという意思を込めて首を横に振った。「ちょっと、変な夢を見ちゃっただけ」
ヨウの顔が、少しだけ強張った気がした。
「……どんな夢だったか、訊いてもいい?」
「えっと……」ウイはヨウに説明するために、まず繭を見せようとしたのだが――ない。縁側に、自分の右側に置いていたはずの繭がない。「え、あれ?」
戸惑いながらあちこち見回してみたが、やはりどこにも繭がない。
「ウイ、それ……」
ヨウの声で彼のほうを向くと、ヨウの視線はウイの右手へと――
そこに収まっている、白い繭へと向けられていた。
「――ということがあったみたいで」
茶の間へと移動してすぐ、ヨウがキヌに、ウイの身に何が起きたのかを簡潔に説明してくれた。
キヌは相変わらずの無表情で、じっと手元の繭を――ウイから渡された白い繭を見つめている。扇風機がゆっくりと首を横に振るたびに、縁側に吊るされている風鈴が涼やかに鳴った。
飴色の大きな座卓には、朝食と同じくらいの量の和食が並べられている。その食卓を、ウイたちはコの字型に囲んでいた。中心はキヌで、ウイとヨウは向かい合う形でそれぞれ座布団に座っている。
先ほどヨウが起こしてくれたのは、昼食ができたことをキヌの代わりに伝えに行ったらウイが寝ていた、ということだったらしい。
ソウシはまだ草刈りから戻っていない。ウイもヨウも、昼食はソウシが帰ってからでも大丈夫だと言ったのだが、キヌからは、待っていたらいつになるかわからない、と食事を勧められた。
繭を見つめたまま、キヌが口をひらく。「これを御山で見つけたのは、ヨウさんではなく、ウイさんなのですね?」
はい、とウイは返事をした。「振り返ったときに、たまたま……」
「ヨウさんは、落ちている繭に気づかなかったのですか?」
「気づきませんでした。転ばないように、とくに足元には注意を払っていたつもりだったんですが」
そういうことなら、とキヌがウイに繭を差し出した。「この繭は、ウイさんが持っているべきなのでしょう」
「……え、わ、わたしがですか?」
「はい」
ウイは仕方なく両手を伸ばし、手のひらを上にしてくっつけた。皿のようにした両手の真ん中に、そっとキヌが繭を置く。
どうしよう、とウイがヨウのほうを向くよりも先に、キヌが「今夜の雨乞いについて、ソウシから何か聞きましたか」とヨウに話しかけた。
「……いえ、とくには。あ、でもなんて言ったらいいのか、父さんが祠に近づけないところは見ました。ちょっと、現実感がなかったですけど」
キヌが目を見ひらき、しかしすぐに「そうですか」と無表情に戻った。「雨乞いには、付き添いのソウシと二人で行ってもらうことになるでしょう。その際、ヨウさんには、何か思い入れのある物を祠に捧げてもらいます」
「思い入れのある物、ですか?」
「はい。なんでも構いませんよ。昔の人たちは、仕事道具などを奉納していたようですが……できれば、夕方までには決めておいてください」
「わかりました。……あれ、でも父さんは、ただ祠に行くだけ、って」
キヌが寂しそうに微笑んだ。「……あの子には、そういったものがなかったようですから」
「そう、なんですか」ヨウが意外そうに目を丸くする。
「……お昼を食べたら、二人とも自由に過ごしてください。仮眠をとるのもいいでしょうし、里の中を見て回るのもいいでしょう。ただし、出かけるなら夕方までには戻ってきてください。ヨウさんには、少しだけ準備してもらうことがありますから」
「わかりました」「あ、あの!」
キヌに声をかけるタイミングをうかがっていたら、ヨウの返事とかぶってしまった。驚いたような顔をしたヨウと無表情のキヌが、こちらを向く。
ウイは左手で繭を持ち、右手で自分の胸元をつかんだ。まっすぐにキヌを見つめ返しながら、口をひらく。「ひとつ、訊きたいことがあるんですが――」




