第14話 古桑の里
母屋から出たところで、「ウイ」と声をかけられた。見れば、玄関先の日陰にヨウがひとり立っている。
ヨウが待っていてくれたことに少しだけ驚いていると、「この後、どうするの?」と続けて訊かれた。
「……えっと」白い繭を胸元に抱えながら、ウイはちらりと離れのほうを見た。「……お母さんの様子を見てから、資料館に行ってみようかな、って」
「資料館?」
ピンときていない様子のヨウに、うん、とうなずく。「来る途中にあったでしょ? ……あ、そっか。お兄ちゃんの席からは見えなかったのかも」
思い返してみれば、タクシーの後部座席の席順は、右からヨウ、ミツ、ウイだった。あの建物があったのは道路の左側だったので、ヨウは気づかなかったのだろう。
「さっき、おばあちゃんに教えてもらったの。とくに予定がないなら、行ってみたらどうか、って。わたし、夏休みの宿題、自由研究だけまだだから……ちょうどいいかな、って」
「なるほど。じゃあ、俺も一緒に行くよ」ヨウが離れに向かって歩き始めた。
「……一緒にって、資料館も?」ヨウを追いかけながら問う。
「ウイはまだスマートフォン持ってないし、何かあったときに、すぐに父さんたちと連絡が取れたほうがいいでしょ?」
「それは……そうだけど」
「じゃあ決まり。ノートとか筆記用具とか、持ってきてる?」
嬉しそうなヨウの声に、ウイはくすぐったいような気持ちになった。ふわふわと落ちつかない気分のまま、うん、とうなずく。
やがて離れにつくと、引き戸をあけてくれたヨウが、「どうぞ、お姫様」と会釈しながら先を譲ってくれた。ぶわっ、とヨウの背後に大量の薔薇が咲きみだれた――ような気がした。
気恥ずかしさをこらえながら、ウイは軽くうつむきつつ「……ありがと」と玄関に入る。後ろから、どういたしまして、と楽しそうなヨウの声が聞こえてきた。
スニーカーを脱ぎ、左側の引き戸をあける。ヨウから逃げるように、ミツが寝ている部屋まで早足で向かった――が、いざ障子の前に立つと動けなくなってしまった。
――おまえは、そこにいろ。
ソウシの冷たい声がよみがえる。もし、もしも、ミツにまで同じように拒絶されてしまったら――
「ウイ?」
追いついてきたヨウに声をかけられ、ウイはびくりと身体を震わせた。おそるおそるヨウのほうを向く。
ヨウは一瞬だけ目を見ひらき――微笑みながら、障子をあけるように視線で促してくれた。
ウイはうなずき、障子へと向き直る。ゆっくりと息を吐いてから、繭を持っていないほうの手で障子をひらいた。
薄暗い室内を覗き込む。部屋の奥のほうで、ミツはまだ眠っているようだった。
昨夜から数えると――もう半日以上もの間、ミツはここで眠りつづけているということになる。念のために、とソウシが医者を呼んだのは正解だったのかもしれない。
「……お母さん、疲れてたのかな」
ウイがぽつりとこぼすと、ヨウが「どうだろう。ここに来るまでは、普通に見えたけど」と答えた。
「うん……」
「俺は母さんの様子を見とくから、ウイは必要なものを取っておいで」
「う、うん」
「あ、障子はあけたままでいいからね」部屋に入りながらヨウが言った。「お医者さんが来る前に、少し空気を入れ替えておきたいから」
「わかった」
ちらりとミツを見てから、ウイは部屋を出た。すぐ隣の自分たちの客間に向けて縁側を歩きながら、神社の出入り口を見やる。
まだ医者が来ていないことを確認してから、障子をあけて客間に入った。
床の間の近く、横向きに置いているキャリーケースまで歩いていく。ケースのファスナーをあけようと、しゃがみ込もうとして――ふと、床の間に飾られている水墨画の掛け軸を見た。
「……これって」
似ている。
裏山の祠と、その後ろに聳えていた大樹に。
実物の大樹はほとんど枯れかけていたが、目の前の水墨画に描かれているそれは、いきいきと葉を生いしげらせていた。祠も同様に、掛け軸のなかでは少しも朽ちておらず――どこか親しみやすさのようなものすら感じる。
もしもこれが、あの祠の、かつての姿であるならば――
(……どうして、あんなに荒れちゃったんだろう)
ただの経年劣化なのか。だとしたら、そのまま放置されている理由がわからない。神様を祀っているのだから、なるべく綺麗な状態に保つべきではないのか。
ああいや、でも、祠に近づいていいのは古桑の血を引く男性のみなのだから、管理できる人は限られていて――
「っと、そうじゃなくて」
本来の目的を思い出し、今度こそウイはしゃがみ込んだ。床の間に繭を置いてから、キャリーケースのファスナーをあける。
念のためにと持ってきていた筆記用具とメモ帳、それから日焼け止めや上着を取り出し、キャリーケースのそばに置いていたショルダーポーチを手に取った。
再度、祠が描かれている水墨画を見て――ウイは迷いを断ちきるように、いつもより少しだけ強くキャリーケースをとじた。
支度を終えた後、ウイはヨウに声をかけて二人で離れを出た。
石段が十字路になっているところまで歩いてから、まだかすかに草刈り機の音が聞こえてくる裏山のほうを向く。
今夜の雨乞いに同行してもいいか、ソウシに訊いておきたかったのだが――まだ作業中ならば仕方がない。ショルダーポーチの金具を握りしめながら、先を行くヨウを追いかけた。
ウイもヨウも、いまは昨日と同じ野球帽をかぶっている。草刈りのときにかぶっていた麦わら帽子は、あまりにも汗を吸ってしまったこともあり、キヌが手入れしてくれることになっていた。
服装も、草刈りのときとは違って二人とも軽装だ。ただ、日差しは強いままなので、ウイもヨウも日焼け止めを塗り直したうえで薄い上着を羽織っている。
(……?)
神社の出入り口まであと少しというところで、ウイは立ち止まった。何か聞こえたような気がして振り向いたが、おかしなものは何も見えない。
「ウイ?」
ヨウに呼ばれて彼のほうを向き、ううん、と首を横に振る。石段をおり始めたヨウに続いて――サンダルを履いてきたことを少し後悔しつつ、最後まで石段をおりていくと――
車の音が聞こえた。ほどなくして、道端に黒いタクシーが停まる。
ヨウと一緒に立ち止まって様子をうかがっていると、後部座席の扉がひらき、灰色のスーツを着た小太りの老人がおりてきた。眼鏡をかけており、右手には黒い書類カバンを提げている。
「こんにちは」ヨウが明るい声で挨拶をした。
老人はこちらを向くと、「こんにちは」と人の良さそうな笑みを浮かべた。
「もしかして、お医者さんですか?」
ヨウの問いに、ええ、と老人はうなずいた――かと思うと、「もしや、あなたは……」とまじまじとヨウを見始めた。
「……僕が、なんですか?」
「い、いえ……」気まずそうに老医師が言葉を濁す。「お、おキヌさんは、母屋ですかな?」
「たぶんそうです。あ、カバンお持ちしますよ」
「い、いえ、そんな!」
老医師はひどく申し訳なさそうな顔をしながら、書類カバンを持っていないほうの手をヨウに向かって突き出した。身体が震えている。「これ以上、あなた様に、何かをしていただくわけには……」
「それは、どういう――」
ヨウの質問に対して老医師は、「すみません、すみません」と繰り返しながら、足早にウイたちの横を通り過ぎていった。
逃げるように、老医師が石段をあがっていく。その曲がった背中を見つめているヨウに、ウイは「お兄ちゃん」と声をかけた。
「……ん?」
こちらを向いたヨウは、微笑んでこそいるものの、どこか寂しそうに見えた。
「今夜の雨乞い、お父さんがダメって言ってもついていくから」
ヨウが目を見ひらく。その目をまっすぐに見つめたまま、「……そもそも」とウイは言葉を続けた。「【おあがりさま】が来たのは、わたしのところなんだし――」
ぽん、と野球帽の上に手を置かれた。しゃがみ込んだヨウが、「父さんが、俺のことを自慢の息子って言ってくれたけどさ」と同じ高さに目を合わせてくる。「俺にとってウイは、世界で一番素敵な女の子で、自慢の妹だよ」
かあっ、と顔が熱くなった。「……なにそれ」とウイはヨウから視線をそらし、道路に向かって石畳を歩き始めた。
「ありがとう、ってこと」
すぐ後ろを、ヨウの嬉しそうな声がついてくる。
そのまま道路まで出たウイは、エンジンがかかったままのタクシーの横を通り過ぎながら、運転手に向かって頭をさげた。
数歩進んでから、「……あれ」と振り返る。
ヨウも同じことを思ったのか、立ち止まってタクシーのほうを見つめていた。
ウイたちの視線に気づいたのだろう。タクシーの運転手が、何かを隠すように――白い手袋をはめた手で、目深に帽子をかぶり直した。




