第10話 裏山
「準備はいいか?」
「おー!」「お、おー」
朝食後、ウイたちは裏門の前に集合していた。裏門を背にして立つソウシと向かい合う形で、ウイはヨウと並んで立っている。
ソウシの指示で、ウイとヨウは長袖長ズボンに着替え済みだ。三人とも、色違いのタオルを首に巻き、キヌが貸してくれた麦わら帽子と軍手を装備している。
ソウシは、朝食時にはかけていた眼鏡を再び外していた。その代わりに透明なゴーグルを額に、白いマスクを顎につけている。そして肩からかけているベルトとともに、ウイが見たことのない機械を装備していた。
おそらくはエンジンなのであろう箱のような物から伸びている、U字型のハンドルが付いた金属製の長い棒。そして、その棒の先端部分で陽光を反射している、やたらとギザギザした円型のカッター。
ソウシの説明では、その機械は刈払機というものらしい。草刈機と呼ぶ人も多いそうで、肩のベルトとは取り外しが可能なフックでつながっているようだ。裏門の近くに置いてある直方体の緑の缶――混合燃料と一緒に、昨夜のうちにソウシが鴨井から借りてきたという。
ヨウが装備しているのは、ソウシが持っていた――先端がかぎ爪のように曲がった刃物――鉈鎌と、黒いゴム長靴。ウイの装備は、大きな竹箒と白いスニーカーだ。
最初はウイもゴム長靴を借りようとしたのだが、サイズの合うものがなかったので、母屋にあったという白いスニーカーを借りることになった。おそらく女性用なのだが、キヌのものではないらしい。
スニーカーの履き心地を確認すべく、ウイが踵をあげたりおろしたりしていると、「もう一度、説明しておくぞ」とソウシの声がした。慌ててそちらを向く。
「まず、父さんが草刈機でざっと草を刈る。次に、刈り残しをヨウが鉈鎌で刈る。鉈鎌を振るときは、必ず自分の身体から遠ざけるように振ること」こんなふうに、とソウシが鉈鎌に見立てた手刀を振ってみせた。
「はーい」
「最後に、ウイが竹箒で石段を綺麗にする」
「はい」
それと、とソウシが草刈機を軽く持ちあげた。「父さんが草刈機を使っている間は、非常に危険なので、絶対に近くには来ないこと。何か用があるときは、必ず離れたところから大声で呼ぶように。いいね?」
「はーい」「はい」
ウイたちの返事にうなずいたソウシが、裏門のほうを向く。「よし、行くぞ」
「おー!」
おー、とヨウに合わせながら、ウイはちらりと離れのほうを見た。
朝食中に聞いたことだが、念のために、里の外から医者を呼んでミツを診てもらううことにしたらしい。ソウシはあくまでも外科医なので、餅は餅屋ということなのだろう。キヌは医者の応対をしなければならないので、草刈りには参加できないそうだ。
ソウシとヨウが歩きだしていることに気づき、ウイは慌てて二人を追った。歩きながら、前方を見上げる。
間近で見る裏門には、妙な迫力があった。飴色の木造で、装飾のようなものはほとんど施されていないのだが――巨大だ。全高は、ゆうに五メートルを超えているのではないか。
ひらいている門扉も、全体の大きさに比例して分厚く、大きい。非力な者では、一枚ずつでもひらくのに苦労しそうだ。
緊張しながら、ウイはソウシとヨウに続いて裏門をくぐる――と同時に、反射的に左手で顔の前を払った。
何かが――糸のようなものが顔に当たった、と思ったのだが。左手を見ても、何もついていない。そもそも、先に裏門をくぐったソウシとヨウはどちらも平然としている。
(……気の、せい?)
戸惑いながら、ウイはあたりを見回した。
裏門をくぐった先は、縦に長い長方形の――ちょっとした広場のようになっていた。ここにだけまったく草が生えていないのは、日頃からキヌが手入れしているからだろうか。
広場の右側は、くだりの斜面になっているようだ。正面には、雑草に覆われかけた石段がある。石段はゆるやかに、裏山の斜面を左巻きに沿って上へと続いていた。
石段の横幅は広そうだが、手すりのようなものはない。滑落しないように、充分に注意する必要がありそうだ。
広場の左側へと視線を移し、ウイは少しだけ目を丸くした。裏山と塀の間が、壁のような何かで封鎖されている。
かなりの部分を雑草や蔦に覆われているが――どうやら、金網のフェンスのようだ。塀に近いところは開閉できるようになっているらしく、そこにだけ大きな――ひどく錆びている南京錠がかかっていた。
(あっちは、たしか――)
ドゥルルン、と大きな音がした。
ウイはびくりとしながら前を向く。草刈機を地面におろしたソウシが、エンジンの部分から、紐のようなものを引っぱり出していた。
その紐は自動で巻き取られるらしく、巻き取られた紐をソウシが勢いよく引っぱるたびに、ドゥルルンと音がした。
そうして何度か紐を引っぱっているうちに、エンジンがかかったようだ。ドッドッドッと草刈機が重低音を響かせ始めた。かなりうるさい。
草刈機を持ちあげたソウシが、それをショルダーベルトのフックに取り付けた。ゴーグルとマスクをそれぞれ装着しながら、「石段から落ちないように、気をつけろよー!」と叫ぶ。
「はーい!」「はい!」
ヨウに続いて、ウイも可能な限り声を張りあげた。
ソウシが大きくうなずき、草刈機を構えながら石段の前に立つ。エンジンの音がさらに大きくなり、草刈機の先端についているカッターが勢いよく回転し始めた。
石段の左側――のぼりになっているほうの斜面に生えている雑草の根元へと、ソウシがカッターを近づけていく。ハンドルの近くを腰に当てながら、草刈機を右から左へと振ると――ごっそりと刈り取られた雑草がソウシの足元に落ちてきた。
まだ午前中ではあるものの、すでに気温は上がり始めている。今日も猛暑になることはわかりきっているのに、どうしてソウシはゴーグルとマスクをしているのだろう――と、ひそかにウイは疑問に思っていたのだが、なるほど。
草刈機のカッターに切られた雑草の破片――繊維というべきか、少なくない量のそれが、かなりの速度でソウシの顔あたりまで飛んできていた。
時折、小石のような硬い物まで飛んでくるらしく、ゴーグルにぶつかったそれが乾いた音をたてていた。あれでは、たしかにゴーグルをつけていなければ、下手をすれば失明しかねない。
そうして――ソウシが斜面と石段の雑草を刈りながら、少しずつ石段をあがっていき――その後を、しっかりとソウシから距離を取ったヨウが、手にした鉈鎌で丁寧に刈り残しを処理していく。
最後にウイが、石段の右側にあるくだりの斜面へと、石段に散らばった雑草を左から右へと掃いて落としていった――のだが。
なかなかどうして竹箒は重く、普段は使っていない筋肉を使っているからだろう、ウイはたちまち手のひらがつりそうになった。
しかし、ヨウに推薦してもらった手前、弱音を吐くわけにはいかない。ウイは両手の痛みをこらえつつ、無心で竹箒を動かしつづけた。
だが、十数段ほど石段を掃除し終えた後、ウイは思わず手を止めてしまった。あまりの暑さに、麦わら帽子を押さえながら天を仰ぐ。長袖長ズボンという格好のせいで、とにかく暑い。
首にかけているタオルで何度も顔の汗を拭いているが、拭いても拭いてもすぐに汗が浮かんでくる。ヨウとソウシも、ウイと同じようにすっかり汗だくだ。
救いがあるとすれば、生い茂った木々のおかげで直射日光を浴びずに済んでいることか。これで昨日のような風が吹いてくれればもっと良かったのだが、それでも真夏の日差しに焼かれてしまうよりはずっとマシだった。
水分補給を兼ねた小休止を挟みつつ――何度か、キヌがやかんに入った麦茶を差し入れてくれた――ウイが、大量の汗ですっかり色が変わってしまい、身体にへばりついてくる上下の服を(……冷たい)と感じ始めた頃。
それまでは斜面に沿って伸びていた石段が、突然、その向きを変えた。長方形の踊り場を経て、裏山そのものに喰い込むように、ほとんど直角に近い形で左へと曲がっている。
「よし、あと少しだ」
「はーい」「はい……」
ヨウに続いて、ウイもなるべく大きな声で返事をしようとしたのだが、かなり尻すぼみになってしまった。ふらつき始めているウイに対して、ヨウとソウシは――とくにヨウは、まだまだ体力に余裕がありそうだ。
踊り場の雑草を刈り終えたソウシが、角を曲がって進んでいく。その様子を離れたところから見ていると、「ウイ」とヨウに声をかけられた。「ちょっと休んでて」
「……でも」
自分だけが休むわけにはいかない。そんな姿を見せてしまったら――
(お父さんに、がっかりされちゃう……)
「ウイ」ヨウが微笑んだ。「適切な休憩も、仕事のうちだよ」
理屈はわかる。たしかに、痛みをごまかしながら竹箒を握っている両手も、ここまで石段をあがってきたことでパンパンに張っている両脚も、体力だって限界に近い。
いまウイが強がったところで、ソウシとヨウに迷惑をかけてしまうだけなのだと――わかってはいるけれど。
ウイは口をひらき――言葉を呑み込んだ。「……わかった」と目を伏せる。
「その代わり」ポン、と麦わら帽子に手を置かれた。「仕上げの掃除はよろしくね」
うつむいたまま、目を見ひらく。まだ仕事を任せてもらえることが、ソウシの力になれることが嬉しかった。
ウイが顔をあげると、すでにヨウはこちらに背を向けていた。軽く鼻をすすりながら、兄の大きな背中に向けて「うん」とうなずく。
ウイは足元を軽く掃いてから、竹箒を斜面に立てかけた。転ばないように気をつけながら、石段に腰をおろす。
ふぅ、と肩の力を抜いた。裏山に響く草刈機の音を聞きながら、自分の足元を――そこにある石段を見る。
古桑神社の出入り口にある整然とした石段と違い、裏山の石段は揃っているのは横幅くらいで、使われている石の大きさも色も、一段の縦幅すらもバラバラだ。
かなり古びていることから考えても、おそらくこちらの石段のほうが、ずっと昔に作られたものなのだろう。
ゆっくりとまばたきをしながら、左を向く。
ゆるやかなくだりの斜面の向こうに、広々とした無数の田んぼが見えた。点在している古民家と、里を囲む緑の山々。こうして座ったままでも、ここからは里のほぼ全容が一望できる。
(……?)
既視感。そんなはずはないのだが、今現在、視界に入っている何かを見たことがある。それも、一度や二度ではなく――
ひらり、と足元に何かが落ちてきた。
細かいギザギザが特徴的な、緑の葉だ。ソウシが草刈機で刈ったものが、ここまで飛んできたのだろうか。
なんにせよ、掃いて綺麗にしたばかりの石段に残しておくわけにはいかない。幸運なことに、立ちあがらずとも手が届く。
ウイは葉を拾いあげて――「ひっ」と、すぐに手を離した。
再度、石段に葉が落ちる。
先ほどまでとは違い、露わになった裏側には――びっしりと、小さな黒い粒のようなものがくっついていた。
「……なに、これ」
ウイが立ちあがろうとした瞬間。
ドォン! と、落雷のような轟音があたりに響いた。




