第49話:光をもう一度(谷川莉子)
部屋に戻っても、胸のざわめきが収まらなかった。
時計はもう、夜の十一時をまわっている。
それなのに、心だけがまだ “直也くんの家のリビング” に取り残されている気がした。
――直也くんが、そんな危険な状況にあったなんて。
私でもある程度は分かっている。
GAIALINQがいま、世界の中でどれだけ大きな渦の中心にいるか。
米国の大統領がわざわざ式典で演説したくらいのプロジェクトだ。
政治も、エネルギーも、いろいろなものが複雑に絡み合っていることくらいは分かる。
そしてそのキーマンである直也くんがどれだけ注目を集めているかも。
世界的な雑誌にも表紙になり特集をされているくらいだから。
だけど。
だけど―― “中国” とか “工作員” とか。
そんな言葉が、あの、本来ならまるで、どこかの “女子会” に直也くんだけが紛れ込んでしまったかのような “月次の夕食会” の話題から出てくるなんて……。
(……なんなの、それ。
――いったい何でそんな事になるの?)
思わずベッドの上で膝を抱えた。
指先が震えているのを感じる。
自分でも知らない感情が、胸の奥で暴れていた。
あの時の玲奈さんの泣き声が、まだ耳に残っている。
あんな玲奈さん、初めて見た。
冷静で、少し怖いくらい完璧なキャリアウーマンが――
“直也が死んじゃう” って、涙で叫んでいた。
それを見て私は愕然とした。
状況を一番理解している玲奈さんがあんなに取り乱していた……。
その横で、保奈美ちゃんが、無理に笑おうとしていた。
笑顔なのに、目の奥が泣いていた。
唇が震えていて、それでも笑おうとしていた。
それが、痛いほど分かった。
(……抱きしめてあげたかった)
本当なら、一番のライバルのはずなのに。
あんな笑顔、見せられたら、
もう敵とか味方とか、どうでもよくなってしまう。
――たぶん、あの時、私も同じ顔をしてたんだろうな。
亜紀さんも、麻里さんも、侑里香さんも。
みんな、笑っていたけど、それは精一杯の作り笑いだった。
笑顔の奥に隠しようのない涙がしまっていあった。
まるで “涙を笑顔で取り繕った集合写真” みたいな夜だった。
いっぱい飲んだ筈のお酒がまったく酔いをもたらさない。
全然酔えない。
スマホを開いて、NHKの履歴を眺める。
誰も新しい投稿をしていない。
全員が “言葉を選んでいる” のが分かる。
あるいはもう言葉を探しても見つからないのかも知れない。
何かを書いてしまったら、その瞬間に自分が崩れてしまいそうだから。
私はスマホを伏せて、デスクに向かった。
モニターの電源を入れる。
DAWの画面が開く。
光る波形が、まるで心拍みたいに瞬いた。
(……作ろう)
その衝動だけは、迷わなかった。
言葉も、理屈も、整理できないけれど、
この感情だけは、音にできる気がした。
ブルーダイヤモンドは、まだロングヒットを続けている。
フェリシテの梨奈社長が発表してくれた “RICOイメージブランド” の新企画も、順調に進んでいる。
みんな、私を「勢いのあるアーティスト」だと言ってくれるようになった。
でも、そのどれも――全部、直也くんがいたから生まれた。
彼が、プロジェクトの最初の火を灯してくれたから。
あの人が、私を “RICO” にしてくれた。
(……直也くんを、失うなんてありえない)
唇を噛みしめながら、キーボードに指を置いた。
コードをひとつ叩く。
低い音が、部屋の中を震わせた。
それが、怒りのような、祈りのような響きになった。
(この気持ちを、全部、音にする)
誰かを責めたいわけじゃない。
でも――なんで、世界を良くしようとしている人が、
そんな危険な目に遭わなきゃいけないの?
そのやり場のない思いを、
旋律に変えるしか、私にはできなかった。
新しいアルバムの仮タイトルを、メモ帳に書く。
――『Re:Ray』。
“光をもう一度” という意味を込めた。
私は歌を歌う事でGAIALINQと直也くんを守らなければならないのだ。
モニターの向こう、夜の東京の灯りが滲む。
その光の向こうに直也くんを想いながら、
私は一音ずつ、丁寧にメロディを紡いでいった。




