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第42話:“角田” との会合(宮本玲奈)

 ――あの言葉の残響が、どうしても抜けなかった。


「そうか。それなら安心だ。

 ――じゃあこれでオレ、いついなくなっても大丈夫そうだなぁ……」


 何度も頭の中でリピートされる。

 寝ても、起きても、メールを打っていても、あの響きだけが残っている。


 亜紀や麻里は「彼なりの冗談でしょ」と言った。

 そう言って自分自身を安心させようとしているみたいに。

 でも、私はそんな事で安心などできない。

 あの声のトーンは――冗談ではなく、どこか “覚悟” の響きを含んでいるようにしか思えなかったからだ。


 ――あれ以来、あまりよく寝られない……。


 今週の定例Mtgでの直也の様子も気に入らない。

 まるで俯瞰して見ているみたい。

 これでいつ自分がいなくなっても大丈夫とでも思っているかのような笑顔。

 そんな表情を見せられるくらいなら、厳しく叱責された方が100倍マシだ。


 そして、もうひとつ。

 直也のスケジュールに登録されていた “角田” という名前。

 麻里によれば、大学時代の同じサークルの仲間で、今は警察庁のキャリア官僚になっているという。

 亜紀も麻里も「旧友と会うだけでしょ」と笑っていたけれど、私はどうしてもそう思えなかった。


(……そんなはずない。

 今のタイミングで、ただの友人と会うなんて)


 金曜の午後。

 私はNHKのチャットに短く書き込んだ。


――《一応、念のため。直也が誰と会うのか、どういう話をするのか、遠くから見ておきます》


 既読が並ぶ。

《気をつけてね》(亜紀)

《何か変な動きがあったら、すぐ知らせて》(麻里)


 スマホを閉じ、私は五井物産を出た。


※※※


 高輪プリンスホテル。

 金曜の夕方、ロビーのラウンジは人で溢れていた。

 私は柱の陰の席を取り、メニューを開いたまま、視線だけで周囲を探す。


 すぐに見つけた。

 窓際の奥、静かな席。

 直也がいた。

 スーツ姿で、コーヒーカップを片手に、テーブルの上のスマホを見つめている。


 相変わらず姿勢は崩さず、落ち着いている。

 ただ、どこか “待っている人の表情” をしていた。


 しばらくして、ラウンジの入り口から一人の男性が入ってきた。

 20代中盤、黒いスーツ、短髪。

 おそらく―― “角田” 。


 彼はすぐに直也を見つけ、静かに会釈した。

 直也も立ち上がり、軽く頷いて握手を交わす。


 二人は席についた。

 声は小さい。

 ざわめきに紛れて、何を話しているのかまでは分からない。

 私はコーヒーを頼み、メニューを盾にして視線を送った。


 角田は直也の話を聞いている。

 頷きながら、時折メモを取るような仕草。

 直也は静かに、言葉を選びながら話していた。

 顔は穏やかだったが、目の奥はどこか緊張しているように見えた。


(……やっぱり、ただの再会じゃない)


 数分後、会話が一区切りついたようだった。

 角田が腕を組んで考え込む。

 そして、小さくうなずいたあと、二言三言返す。


 その声だけが、かすかに届いた。


 ――「……まぁ、場合が場合だけにな……気にするな」


 それに、直也が小さく頭を下げて答えた。


 ――「……手間かけて済まない」


 ――その瞬間、ほんの一瞬だけ直也が深く息をついた。

 疲労ではなく、決意のような息。


(……やっぱり、ただの同窓会じゃない)


 胸の奥がざらつく。

 このまま帰るなんてできなかった。


 私は立ち上がり、迷いながらも足を進めた。

 何かに導かれるように、ラウンジの照明の下へ。


「……あれ? え? 直也?」


 その声に、直也が驚いたように顔を上げた。

 手にしていたカップが少し揺れる。


「玲奈……? 

 なんでこんなところに?」


 少しだけ気まずそうな笑顔。

 その隣で、黒いスーツの男性がこちらを振り向いた。


「お! なんだ。

 彼女かよ。

 相変わらずだなぁ直也」


 場の空気が一瞬止まる。

 私のほうが驚いてしまって、思わず声が裏返った。


「い、いえ! 

 あの、違います! 

 その……」


 男は笑って、立ち上がった。

 名刺を出すそぶりをしかけて、ふと手を止める。


「スイマセン。

 角田といいます。

 実は名刺交換はできない立場でしてね。

 簡単に言えば――桜田門関係のお仕事をしています」


「あ、あの、突然すみません。

 宮本玲奈と申します。

 彼女というか、その……同僚でして……」


 言いながら、自分でも頬が熱くなるのがわかった。

 角田さんは声を立てて笑った。


「こんな美人の彼女がいるのかよ。

 いいよなぁ総合商社は。

 それに比べてうちはさ……」


 少し愚痴めいた口調で言いながら、

 どこか懐かしそうに直也を見ていた。


 私は思わず口を開いた。

「――何、話してたの?」


 直也は軽く息をつき、穏やかに答えた。


「夏の例のエコフェスの警備関連の対応を、地元の県警に依頼する件だよ。

 県警に正面ルートからのサポート依頼は既にしているけれど、それとは別に、本庁として全般支援してもらえないかと思って、少し相談していたんだよ」


 角田さんがうなずいた。

「大規模なフェスになると、ドラッグとか飲酒とか、

 そういった個々に見れば些細ではあるけれど、メディアリスク等を考慮すると決してバカにならないトラブルがどうしても増えますからね。

 五井物産や栗田自動車が主催し、環境省や経産省が協賛するイベントでそれは困りますから、その辺を心配した直也からの、まぁ厄介な頼まれごとですよ」


 彼は時計を見て、軽く頭を下げた。


「悪い、オレこのあと庁舎に戻らなきゃ。

 じゃあ直也、またな」


「ああ、ありがとう。

 助かった」


 二人が短く握手を交わす。

 その光景を見て、胸の奥の緊張が少しずつ解けていった。


「そちらの美人の彼女さんと上手くやれよ。

 お前は昔からシャレにならんくらいモテるのは分かるけどさぁ。

 ……そろそろ、本当にいい加減にしておけよ」

 角田さんいい人だなぁ。

 そして、そうだよ……本当にいい加減にしようよ。


「いや、そんなんじぁなくてだな……」

「――じゃあな」

 そう言って角田さんは去っていった。


※※※


 ホテルを出たあと、直也が私の方を見た。


「……今日も保奈美が夕食作ってくれているんだけど。

 良かったら一緒に来ないか? 

 鍋料理作るって言っていたから、ちょっと聞いてみるよ」


「え? いいの?」


「ああ。

 ……なんか先日オレがちょっと変な言い方して、玲奈たちを心配させてしまったみたいだしな。

 ちょっと悪かったなぁと思って」


 その言葉に、思わず笑ってしまった。

 やっぱり、そういう人だ。

 “いなくなる” なんて言葉は似合わない。


「じゃあ、お言葉に甘えて……お邪魔します」


「うん。保奈美も喜ぶと思うよ」


 直也は早速保奈美ちゃんに電話をしている。

 私はスマホを開き、NHKのチャットに短く書き込んだ。


 ――《なんでもありませんでした。詳細は追って共有します》


 送信して、それから急いで保奈美ちゃんにだけチャットを送って、スマホを閉じる。


 春の夜風がやわらかく頬を撫でた。

 私は彼の隣を歩いた。

 小さな足音が並んで響く。

 その音が、少しだけ安心のリズムに聞こえた。

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