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第43話:急遽フォローする(一ノ瀬保奈美)

 夕方、スマホが鳴った。

 画面を見ると、直也さんからだった。


「仕事帰りの打ち合わせ中に玲奈と偶然会ったんだ。

 玲奈もウチで夕食いっしょにしようと思うけれど大丈夫かな?」


 その声は、いつも通りの柔らかい声色だった。


「うん。

 大丈夫ですよ。

 お待ちしています」


 そう答えて通話を切ったあと、私はキッチンに立った。

 今夜は鍋料理――キムチチゲ鍋の予定。

 野菜もお肉も冷蔵庫にストックがある。問題はない。


 でも、少しだけ気になる事がある。


(……NHKで共有しなくていいのかな)


 “直也さんが玲奈さんと一緒に帰る” という情報。

 他のメンバーなら、すぐにアラートを上げそうな内容だ。

 けれど――通話を切ってすぐに、個別チャットの通知が届いた。


『お願い保奈美ちゃん! 

 一生のお願いだから、今晩のことみんなに黙ってて』(玲奈)


 その文面に、思わず笑ってしまった。

 玲奈さんらしい、ちょっと必死な感じ。


 ――「りょうかいです」


 短く返信を打ち、スマホを置く。

 それから、鍋の準備に取りかかった。


 チゲ鍋といっても、私がつくるのは普通のものじゃない。

 直也さんのお母さんが残してくれた “魔法のレシピ帳” のキムチチゲ鍋。

 そこには細かな手順と、小さなメモが添えられていた。


 ――「キムチが本当においしくないと、この鍋は成立しない」


 だから私は、その通りにしている。

 お母さんがレシピ帳に書き残していた、韓国雑貨店の特製キムチを、定期的に買いに行くのだ。


 直也さんは日本のお漬物、ぬか漬けや浅漬けも好きだけれど、キムチもたまに出すと美味しそうに食べる。

 疲れている時などに、程よい辛さの食べ物は食をすすみやすくしてくれる。

 保存もきくので、私は特製キムチもストックするように心がけていた。


 まず、豚肉をこの特製キムチと一緒に軽く炒める。

 香りが立つ瞬間、キッチンが一気に “韓国風” の匂いになる。


(この香り、直也さんは気に入ってくれるかな……)


 お肉とキムチを鍋に移し、だし汁を注ぐ。

 更に塩、醤油、ニンニク、唐辛子を加えて味付けをする。

 ぐつぐつと音を立てながら、赤いスープがゆらゆらと踊る。

 そこに白菜と豆腐をたっぷり加えた。


 最後にお母さんのメモにあった一文を思い出す。


 ――「適度な辛さが美味しさの秘訣。

 だけど辛すぎると直也がむせるので注意」


 直也さんは気管支があまり強くない。

 直也さんの亡くなったお父さん――私のお義父さんが、同じ様に気管支系が弱かったと聞いている。

 そういう、いわゆる “肺・気管支があまり強くない” タイプの家系なのだろう。

 だから喉に刺し込みような辛さは避けたい。

 慎重に味付けをする。


 お玉を握りながら、ふっと息を吐く。

 直也さんも玲奈さんも穏やかに笑えるように。

 鍋の蓋を閉じると、心の中に小さな火がともった気がした。


(……よし、完璧)


 テーブルクロスを整え、器を並べる。

 キムチの香りとだしの香りが、静かにリビングへと流れていった。

 あと少しで二人が帰ってくる。


※※※


 玄関のチャイムが鳴った。

 私は鍋の火を弱めて、エプロンの裾を整えながら出迎えに向かった。


「ただいま」

 直也さんが少し笑いながら、手に紙袋を提げて立っていた。

 中にはワインが二本。

「途中で買ってきた。

 せっかくだから、鍋と一緒に飲もうと思って」


 その隣に、玲奈さん。

「お、おじゃまします……」

 でも、どこか顔色が悪い。

 笑顔を作ろうとしているけれど、少し青ざめているように見えた。


「玲奈さん……どうしました? 

 大丈夫ですか?」

 私が声をかけると、玲奈さんは小さく肩をすくめた。

「……莉子の実家のお酒屋さんで、直也がワイン買った時に――莉子に見つかった……」


「えっ」

 思わず言葉が詰まる。


(莉子さんに、見つかった? 

 つまり……)


 嫌な予感がして、私はスマホを手に取った。

 通知ランプがずっと点滅している。

 「NHK」を開くと――そこには、おびただしい数のレスが並んでいた。


『裏切り者!!!』

『制裁よ! 制裁発動!!』

『玲奈さん、尊敬していたのに心底残念です』

『これから行くから首洗って待ってろ!』

『私も急ぎ向かいます』

『保奈美さん、すみませんが私たちの分もお願いします。必要な材料あれば仰ってください』


 ……ちょっとした暴動前夜みたいな空気だった。


(うわぁ……これは、かなりマズい感じ)


 その時、玄関のチャイムがもう一度鳴った。

 扉を開けると、案の定――莉子さんだった。

 両手に日本酒とシャンパンを抱えて、苦笑いしている。


「なんか、みんな滅茶苦茶怒ってるね。

 “裏切りの現場を見た” って感じで私が報告しただけなのに、なんでこうなるんだろう」


「え、莉子さん、そんな報告したんですか!?」

「いや、あれは……つい……反射的に」

 莉子さんが申し訳なさそうに頭をかく。


 その後ろで、玲奈さんがソファに崩れ落ちた。

「ああっ……もう村八分にされる。

 終わった~……何もかもが皆懐かしい……」


 両手で顔を覆いながら、なんかドラマの登場人物みたいな口ぶり。

 私は思わず笑ってしまった。


「玲奈さん。

 ……それなら、保奈美が皆さんにお伝えするのが遅れたってことにしましょう。

 玲奈さんから頼まれていたけれど、お鍋の用意が忙しかったからって事で」


 玲奈さんがぱっと顔を上げた。

「な、なんていい子なの! 

 本当? 

 もうお願い、保奈美ちゃんだけが頼りなの!」


 そこへ莉子さんが、腕を組んでニヤリと笑う。

「しょうがないなぁ……私も口裏合わせるね。

 でも、コレ貸しイチだから」


 玲奈さんが、泣き笑いみたいな顔で手を合わせた。

「わかった……もう一生恩に着るから……」


 その光景に、直也さんが少しあきれたように笑いながら言った。

「お前たち……何言っているんだ?」


 私はおたまを握り直して、軽く返した。

「毎月の “月次の夕食会” を今日やりましょうという事でお話していたんですよ」


 そう言うと、三人とも吹き出した。

 鍋の湯気が、ほんのり赤く揺れている。


(……うん。やっぱり、これでいい)


 怒られたり、笑われたり、助け合ったり。

 そんな夜の温度が、きっとこの家には一番似合っている。


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