第39話:直也被害者の会=NHK(神宮寺麻里)
朝、出社しても、まだワインの残り香が頭のどこかに残っていた。
眠いわけじゃない。
――ただ、昨夜の会話がずっと引っかかっていた。
(……直也はやっぱり “止まらない” )
どれだけ心配しても、直也は結局、誰よりも前に立つ。
誰よりも危険な橋を、迷わず一番に渡る。
それが、彼の “やり方” だとわかっていても――もうそのままにはできない。
※※※
昼休み、私はオフィスの一角にあるラウンジにいた。
テーブルには紙コップのコーヒー、そして昨日の飲み会メンバー。
亜紀、玲奈、侑里香。
全員、目の下に少しだけ疲れの影があった。
「……結論、出しておきましょうか」
私はそう切り出した。
「昨日も言ったけど、もう “個別に止める” のは無理ね。
直也は聞かないから」
玲奈が苦笑する。
「聞かないどころか、“ありがとう” って言って、さらにアクセル踏むタイプだから」
「ほんとそれ」
亜紀が肩をすくめる。
「じゃあ、どうする?
まず昨日みたいに4人がかりで止める。
それは絶対。
――でも4人がかりでもダメだったら」
私は、昨日の会話を思い出していた。
ワインのグラスを握りながら、全員が同じ言葉を口にした。
――「それでも止まらない場合は、もう莉子と保奈美ちゃんにも協力してもらうしかない」
「……つまり、実行に移すってことね」
玲奈が腕を組む。
「ええ」
私は頷いた。
「つい、さっきグループを作ったわ」
スマホの画面を見せる。
そこには、新しいチャットルームの名前。
『NHK』
「NHK?……公共放送局みたいだけど、どういう意味?」
「NHKは、『直也被害者の会』のイニシャルよ」
――直也被害者の会。
侑里香が噴き出した。
「ネーミングセンス、秀逸すぎます!」
「いや、ちょっと待って、“被害者の会”って……」
亜紀が笑いながら突っ込む。
「だってそうでしょ」
私は真顔で返す。
「心配しすぎて胃が痛くなるの、もう“被害”でしかないもの」
「……本当だよ」
玲奈が小さく笑った。
「“NHK”って言われると、妙に公共性がある気もしてきた」
「それで、具体的に何をするの?」
亜紀が尋ねる。
侑里香が姿勢を正した。
「まず、私が “直也さんのスケジュール管理担当” になります。
秘書室アカウントのステータスはまだ有効ですから、
予定表の詳細閲覧権限があります。
危険性が高い出張、外部会合、夜間会合は全てチェックします」
「……つまり、監視ね」玲奈。
「優しく言えば “見守り保護” です」侑里香が微笑む。
私は少し吹き出した。
「でも、ありがたいわ。
直也、ギリギリのスケジュールを平気でねじ込むから。
“まぁ、間に合うでしょ” とか言って、いつもギリギリで帰ってくるんだから」
「帰ってこないより、はるかにマシだけどね」亜紀がぼそっと言う。
その一言に、全員が少し黙った。
玲奈がスマホを見ながら話を戻す。
「チャットメンバー、確認するね。
私と亜紀さん、麻里、侑里香、そして――莉子、保奈美ちゃん」
「うん。昨夜、二人にも簡単に個別チャットで説明したわ」
私は言った。
「“直也が無茶しそうな時は、絶対に教えてほしい” って」
「保奈美ちゃん、なんて言ってた?」
「“はい、任せてください” って。
……あの子、ああ見えて一番冷静よ」
玲奈が目を細める。
「そうね。あの子は一番近くで、ずっと見てきたものね」
「莉子は?」
「“直也くんにムチャさせない作戦、やりましょう!” って。
即答だったわ」
笑いが広がった。
でも、笑いながらも、全員の目の奥には同じ決意があった。
(――もう、直也を壊させない)
亜紀がゆっくり言う。
「……じゃあ、正式に動かしましょうか。
直也くんの予定、会議、出張、全部共有して。
誰かが気づいたら即チャットでアラート」
「了解」侑里香が即答する。
「危険度は三段階にします。“赤” が緊急、“橙” が要注意、“黄” が過密予定。
赤が出た場合は、全員で即介入」
「いいわね。
“GAIALINQの守護システム” 完成ってわけね」玲奈が笑った。
私はスマホを見つめた。
グループのトップには、オレンジ色のチャットバッジ。
そして、名前の下に表示される文字列――NHK。
「……直也がこれ見たら、怒るでしょうね」
「怒るどころか、逆に吹き出すと思うわ」
亜紀が言った。
「“ああ、オレまた監視されてるのか”って」
笑い声のあと、ふと静寂が戻った。
窓の外には春の光。
私はコーヒーを飲み干しながら、静かに心の中で呟いた。
(いいの。
笑われても、監視でも、何でもいい。
――生きてさえいてくれれば、それでいいのよ)
新しい通知音が鳴った。
グループ名の横に、小さく“参加しました:谷川莉子” “参加しました:一ノ瀬保奈美”の文字が灯った。
その瞬間、私たちは顔を見合わせ、
小さく、でも確かな笑みを交わした。
「直也被害者の会=NHK」――正式に、発足。




