第37話:彼のいなくなった世界(新堂亜紀)
夜の会議室。
天井のダウンライトが、ガラス越しに薄く反射している。
窓の外には四月の夜景。静かで、少しだけ張り詰めている。
玲奈が腕を組んで椅子に腰かけ、麻里はタブレットを開いたままメモを取っている。
ホワイトボードの前には侑里香。彼女は、先ほどまでの打ち合わせの続きを淡々と始めた。
「――というわけで、現時点の新人フォーメーションです」
ボードにマーカーが走る。
それぞれの名前が、細い線で結ばれていく。
「アクアと真帆は技術・実装ブロック。
アクアはAIデータ基盤、真帆はロボティクスと現場運用サポートです。
もちろん二人ともARCは引き続き対応します。
巧とミオンは渉外と法務。
玲奈さんと亜紀さんの補佐に入ります。
彼らはその他全般的に対応してもらう事になると思います。
ガイは地熱現場の統括。
そして彩羽はRICOさんの広報ラインを引き継ぎます。
私は――全体調整、つまり “下振り” 役です」
ホワイトボードには七人の名前。
その配置に、私は頷いた。
整理されている。
動線が見える。
「それぞれのスキルを踏まえて、実際の分担も現実的。
悪くないわね」
玲奈が言った。
「ただし――実際にどう “動かす” か。
そこが問題よ」
「確かに」麻里が画面を見つめながら口を開く。
「人は配置しただけでは動かない。
判断ラインと権限を明確にしないと、責任の所在がぼやける」
私はペンを指先で転がしながら、二人の言葉を聞いていた。
まさにそこだ。
いまのGAIALINQは、直也くんの判断を軸に回っている。
けれど、彼が常に全てを見られるわけではない。
「直也くんの指示は、“合理的な布陣を整えろ” だった。
でも合理って言葉には、判断の速さも、失敗のリスクも含まれてる。
――つまり、“何を彼が見て、何を見なくても回るようにするか” 。
それを今日、決めましょう」
玲奈が腕を組み直す。
「じゃあ、現実的に。直也が今まで見てた全体の7割、そのうちどこまで残す?」
「3割」と侑里香。
「でも、それでも多い」と玲奈。
「今の案件密度を考えたら、30%直轄は高すぎる。
20%に落としたい」
「20%……」麻里が眉を寄せた。
「AIのアラート次第ね。
閾値を詰めれば、2割でも成立するかもしれない」
私は彼女の言葉を拾う。
「アラートは今、五段階よね?」
「ええ。直也レビューがレベル4以上。
下3段はログ送信だけ」
「それを7段階に増やして、6以上を “直也レビュー” に固定できる?」
「できると思います。ただ、設定次第ではAIが拾いすぎる」
「拾いすぎる?」
玲奈が顔を上げた。
「今のAIは、“直也が気づくであろう” ラインを想定して設計してるの。
でも、もう少し “見落としていい範囲” を定義してやらないと、人が育たない」
「つまり、AIが優秀すぎるってことね」
「そう。
彼の思考を真似しすぎてる」
私はその会話を聞きながら、マーカーを手に取った。
ホワイトボードに書く。
Priority:Naoya 20%(Max 30)/Delegation:80%
「このラインを暫定基準にしましょう。
AIは7段階閾値に再構築。
レベル6以上を直也くんレビュー対象にする。
判断が難しい案件は、侑里香を通して一時保留。
玲奈ラインと麻里ラインで一次吸収――で、いい?」
麻里が軽く頷く。
「AI側は明日までにロジックを組み直すわ。
データ基盤チームに指示しておく」
玲奈が静かに笑う。
「……結局、彼の代わりを作る話よね」
「代わりなんてできないわ」
私は言う。
「でも、“直也くんが不在でも、持続性をある程度担保する構造” は作れる」
侑里香が小さく頷いた。
「温度変化は私が拾います。
現場の人間関係、政治的ノイズ、判断に迷う空気――
そういう“AIが読めない領域” は、私が記録します」
「いいわね」
私は腕時計を見て、ペンを置いた。
「結論。
直也くんの関与は20%を目安に縮小。
判断支援はAI 7段階制に再設計。
報告ルートは一本化。
――これで行きましょう」
麻里が席を立ち、ホワイトボードを写メに収める。
玲奈がコーヒーカップを片付けながら言った。
「じゃあ、明日直也に報告。
“あなたが見なくても止まらない構造、作りました” って言ってやろうか」
私たちは少し笑った。
けれど、笑いの奥にある緊張感は消えなかった。
窓の外に、深い夜の光。
私は心の中で、ひとつだけ思った。
(直也くん。
あなたの判断に頼らない仕組みを作ることが、
いま一番あなたを守る方法なんだと思う)
その思いを胸に、私は会議室の灯を消した。
※※※
翌日。午前のレビューが終わったあと、直也くんを捕まえた。
GAIALINQのプロジェクトルーム。
窓際のカウンターには冷めかけたコーヒー。
玲奈と麻里も隣に座っている。
侑里香は後方でメモを取っていた。
「――で、これが昨日詰めた新体制です」
私は資料を差し出した。
ホワイトボードの写真と、優先度スキームの再構成案が並んでいる。
直也くんはそれを受け取り、ざっと目を通すと小さく頷いた。
「うん……なるほどな。
プライオリティ20、AI 7段階化、報告ルート一本化……よく整理されてる」
「麻里がAI側の再構築に入ってます。
週明けにはテスト実装が完了します」
「玲奈さんが対外リスクを吸収。
私は人間関係ノイズの一次監視を担当します」侑里香が補足する。
直也くんは笑って、軽く手を挙げた。
「いや、すごいな……もう完全にオレがいなくても動くじゃないか」
「そういう設計だもん」
玲奈が即答する。
直也くんは苦笑した。
「そうか。それなら安心だ。
――じゃあこれでオレ、いついなくなっても大丈夫そうだなぁ……」
――空気が止まった。
私と玲奈と麻里、同時に顔を上げた。
「……は?」
玲奈。
「ちょっと待って、それ、冗談で言ってる?」
麻里。
「直也くん、今のはさすがに聞き捨てならないわね」
私。
三方向からの視線を浴びて、直也くんが一瞬固まった。
「え、いや、だって。構造的にって意味で……」
「構造とか意味じゃないの!」
玲奈が机を叩く。
「そういう言い方をするなって言ってるの!」
「“いなくなる”なんて言葉、軽々しく口にしないでよ!」
麻里の声は静かだけど低い。
私は腕を組みながら息をついた。
「……あなたが見なくても動くようにしたのは、このプロジェクトだけでなく、あなたを“守るため”よ。
あなたが“いなくてもいい”なんて一言も言ってない」
沈黙。
数秒のあと、直也くんはゆっくり両手を上げた。
「はい。スイマセンでした。ゴメンナサイ」
まるで小学生みたいに頭を下げる。
玲奈がため息をつきながら呟く。
「まったく……どうしてそういうトンチンカンなことをさらっと言うかな」
麻里が笑う。
「でもまぁ、直也らしいって言えばらしいけど」
私も苦笑した。
「……このチーム、ほんとにあなたに鍛えられてるわね」
直也くんは頭をかきながら、少し照れたように笑った。
「うん、たぶんオレが一番、守られてるかもしれないな」
その言葉に、誰も何も返さなかった。
沈黙は、怒りの後に残るほんの小さな安堵のようで。
窓の外には、昼の光が反射していた。
AIの稼働ランプが点滅を続ける。
――GAIALINQは、今日もちゃんと動いている。
でもきっと。
誰もが心のどこかで、彼がいなくなった未来なんて想像したくなかったのだ。




