第36話:LMからのメール(一ノ瀬直也)
――常務からの内線が入ったのは、午後イチのミーティングが終わった直後だった。
「一ノ瀬くん、取締役会議室に急いで来てくれないか」
その声のトーンで、すぐに“普通ではない”と分かった。
会議室の扉を開けると、すでに全員が揃っていた。
社長、副社長、専務、常務――そして、先月新しく就任したIT統括取締役の本多さん。
本多さんはもともとITセクターの本部長をされていたから、オレとは顔なじみだ。
その本多さんを含めて、空気にわずかな重さが感じられた。
「一ノ瀬くん。
すまないな、急で……」
社長が軽く会釈する。
私は静かに頷き、席についた。
「――本題に入ろう」
専務が資料を一枚めくりながら切り出した。
「五菱商事の洋上風力発電事業だ。
例の撤退問題、君も耳にしていると思うが……東北の複数の地元選出議員から、“GAIALINQへのマージ” の可能性について、初期的な打診が来ている。」
来たか――と思った。
この数日、官邸周辺の情報もざわついているように聞いている。
やはり政界が動いてきたのだ。
「すでにグリゴラの加賀谷さんから、経産省内の動きとして共有を頂いております」
オレは即座に答えた。
「省の本流――もともと加賀谷さんご自身もそのラインだったと伺っていますが――この本流の方々は苦々しく見ており、むしろ本件の調整から距離を置きたいと考えている様子だと聞いております。
一方で今回、設置を予定されていた箇所を地盤とする国会議員サイドが政治的に “再エネ統合” を旗印にしようとしている。その中で、GAIALINQの名前を利用したいという思惑が出ているとも伺いました」
社長が腕を組んだまま、ゆっくりと頷く。
「……やはり、そうか」
「先日環境省にお伺いする機会がありましたが、環境省側の意見としては、“地熱一本で進めるべき” という明確な見解を頂いております。
柊遥さん――ご存知のように、地球環境局の若手エース官僚の方です。
彼女も、洋上風力との併合は制度上も技術上も矛盾が大きいというご判断でした」
その名を聞いた瞬間、IT統括の本多さんが反応した。
「メガソーラーの際にもお世話になった、例の “凍結遥” さんか?」
「はい。
彼女自身、再エネの名を借りた政治利用には大変批判的でした。
GAIALINQは “再エネそのものの象徴” ではなくて、“地球規模の持続可能なAIインフラ” として成立しています。
エネルギー源を無理やりハイブリッド化する事で、むしろプロジェクトの根幹が壊れる――彼女の指摘は正確だと考えます」
社長が視線を上げた。
「つまり、現時点での結論は、“受け入れない” ということで間違いないな?」
「はい。GAIALINQは従来どおり地熱一本で進めさせていただきます。
洋上風力をマージすれば、現場オペレーションから投資判断、地域協議まで全てが崩れます。
しかも今、うちのプロジェクトは地方自治体だけでなく日米双方の契約プロセスが重なっており、ここで方向転換すれば連鎖的に遅延が起きます。
そんな事を特に現在の米国政権がおいそれと許容するとも思えません。
“相乗り” という言葉に応じる余地は全くありません」
短い沈黙が落ちた。
全員の視線が社長に集まる。
社長は腕を解き、穏やかに言った。
「……分かった。
基本方針としては、これまでどおり地熱一本で進める。
政治的な打診には、常務ラインで正式に “慎重に検討中” とだけ返しておこう。
ただし、政界が関わる以上、一筋縄ではいかない。
情報の出所には十分注意し、今後はこれに関する対応は常に情報共有し、緊密に連携していくこととする」
「承知いたしました。」
本多さんがメモを取りながら口を開いた。
「一ノ瀬くん、念のため聞いておきたい。
この件、GAIALINQプロジェクト内部ではどこまで共有するつもりだ?」
「もちろん最小限にします。
ただ、すでに新堂、宮本、神宮寺、そして鏡に対しては、加賀谷さんからお話があった時点で、近い将来にあり得るリスクとして概要は共有させて頂いております。
具体的な “政治的アプローチ” があった事は、つい今しがた伺ったばかりですので、当然まだ共有はしておりません。
ただ、今後本件での対応を最優先で進めさせて頂く場合にも、プロジェクトそのものの運営を遅滞させたくはありません。
内部に余計な緊張を生みたくはありませんが、必要に応じて最小限の情報共有はお許し頂きたいと思います」
社長が頷いた。
「うん、分かった。
その辺の采配は一ノ瀬くんに一切任せる。
ただし、くれぐれも厳秘での対応を頼むぞ。
これは他のメンバーも含めてだ」
副社長以下、同席しているメンバー全員、オレも含めて頷いた。
社長からは最後に一言だけあった。
「こちらも議員サイドに不用意な動きをさせないよう、関係筋に釘を刺しておく。」
「ありがとうございます。」
オレは深々と一礼した。
※※※
会議室を出ると、廊下の窓から夕方の光が差し込んでいた。
四月の風はまだ冷たく、どこか張りつめている。
(――やはり、きたな)
GAIALINQが国内外で注目を集めるほど、そこに “乗りたい” と思う者が増える。
理念を語る者ほど、結局は利権で動く。
だが、守るべき軸は一つしかない。
“地熱による持続型AIインフラ” という構造を、誰にも壊させない。
チャットの着信を知らせるバイブレーション。
スマートフォンを取り出し、遥さんのメッセージを確認した。
――《政治的な圧力には屈しないでください。環境省としても全力で支援します。》
短く返信を打つ。
――《助かります。こちらも地熱一本の方針を貫きます。》
(……これでいい。オレたちは、ブレない。)
送信を終え、ポケットに端末を戻そうとした時に、着信したばかりのメールの送信元が表示され、オレは手を止めた。
“劉美琳(Liu Meilin)”
――スイスで出会った、中華人民共和国 商務部 AI産業発展局に属する人物。
窓の外では、街の灯りが一つ、また一つと点き始めていた。
きっと自宅でも保奈美が夕食の準備を進めていることだろう。
オレは、笑顔で楽しそうに料理している保奈美の姿を思った。
それから深く息を吸い込んで……そのメールの内容に目を向けた。




