第17話:人生でいちばんの奇跡(一ノ瀬保奈美)
――夢みたい。
本当に、夢みたいだった。
旧帝国ホテルの玄関前。
春の光と風が溶け合うその場所で、
私は真っ白なウェディングドレスを着て、
直也さんの隣に立っていた。
カメラマンさんが笑顔で言う。
「はい、じゃあもう少し近づきましょうかー」
直也さんが自然に腕を差し出してくれて、
私はその腕にそっと手を添えた。
ヴェール越しに感じる光の粒、
心臓がどくんと跳ねる。
シャッター音が響くたびに、
まるで時間が止まっていくようだった。
「はい、いいですね! すごく綺麗です!」
カメラマンさんが何度も褒めてくれる。
それだけで胸がいっぱいになって、
思わず笑顔がこぼれた。
――でも、その次の一言は、まったく予想していなかった。
「じゃあ最後にもう一枚。
今度は――お姫様抱っこでいきましょう!」
「えっ!?!?」
私も、後ろのみんなも同時に声を上げた。
「お、お姫様抱っこ!?」
「いやいや、それは……」
玲奈さんが慌てて手を振る。
亜紀さんも「条例違反よ、それ!」とツッコミ。
麻里さんが「やばい、これはさすがにちょっと……」と苦笑し、
莉子さんは「これはズル過ぎるよ!」と口を尖らせて腕を組んでいる。
でも、当のカメラマンさんは満面の笑みで続けた。
「せっかくですから、思い出に残る一枚をね!」
直也さんは一瞬だけこちらを見て――
静かに笑った。
そして、何のためらいもなく、私の腰に手を回した。
「いくぞ」
「え、えっ……あっ!」
ふわり、と体が浮く。
次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。
視界がぐるっと回って、
気づけば、彼の胸の中に抱き上げられていた。
顔が近い。
息がかかる距離。
見上げた瞳の奥に、春の光が映っていた。
「だ、大丈夫か」
「……だ、だいじょうぶ……です……」
声が震えていた。
自分のじゃなくて、世界の全部が震えてる気がした。
私はそっと、彼の首に手を回した。
――もう、直也さんに全てを任せるしかない。
「はい、それじゃあいきますー!」
カメラマンさんの声が聞こえる。
「スリー、ツー、ワン――!」
その瞬間。
私は、ほんの一瞬の衝動で。
直也さんの頬に――キスをした。
やわらかい。
そして、あたたかい。
まるで春そのものみたいだった。
次の瞬間――。
「ぎゃあああああああああ!!!」
周りから悲鳴が上がった。
「だめだってそれ!」
「完全に条例違反!」
「モラルハザード!」
みんなの叫び声が入り混じる。
でも、不思議とその声は遠くに聞こえた。
私の世界は、今この瞬間だけ、直也さんの中にあった。
カメラマンさんがシャッターを切る。
ぱしゃん、という音と同時に――。
周りの観光客たちから、
思いがけない拍手と歓声が沸き起こった。
「おめでとう!」
「素敵だね!」
「すごく似合ってる!」
見知らぬ人たちの笑顔が、
まるで祝福の花束みたいに広がっていく。
私は顔を真っ赤にしながら、
直也さんの胸の中で小さく息を吐いた。
「……ごめんなさい」
「何が?」
「……勝手に、キスしちゃって……私からはもうしないって言っていたのに……」
「……いいよ。どうせ、そうなる気がしてたから」
優しい声。
風の音に溶けて、涙が出そうになった。
カメラマンさんがモニターを見せてくれる。
そこには――
春の光の中、抱き上げられた私と。
穏やかに笑う直也さん。
桜の花びらが二人のまわりを舞っていて。
本当に “絵画” のようだった。
「これは……奇跡の一枚だね」
玲奈さんが呆然と呟く。
「……もう、完全にやられたわね」
亜紀さんが肩をすくめた。
私は小さく笑って。
そっとヴェールの端を握りしめた。
(――今日という日を、きっと一生忘れない)
光が滲んで、世界が少しぼやけて見えた。
でも、それでよかった。
だってこれは、きっと“現実よりも美しい現実”だから。
――春の明治村で撮られた一枚の写真。
それは、きっと私の人生でいちばんの奇跡だった。




