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第13話:想定外の行動様式(鏡侑里香)

 ――想定外だ。

 それが、犬山城の坂を登りながら私の頭に最初に浮かんだ言葉だった。


 春の陽射しがまぶしく、観光客の笑い声が風に混じる。

 古い石垣、白壁の天守。

 資料では何度も見ていたが、実際に歩くと、この町全体が「歴史」という空気でできているように感じる。


 しかし、私が観察しているのは建造物ではない。

 ――一ノ瀬直也を中心とした “群れ” の構造だ。


 彼は、GAIALINQでは明確な中心だった。

 判断、理念、決断。

 どんな局面でも空気を掌握し、誰もがそのロジックに従った。

 けれど、ここでは違う。


 犬山の坂道を登りながら、

 彼の周りを取り巻く五人の女性たちは、まるで “家族” のように自由だった。


 保奈美。

 ――あの高校生が、ここでもっとも中心に近い位置にいる。

 それも、本人にその自覚がまるでない。

 ただ自然に、無邪気に、彼の隣に立ち、見上げ、話しかける。

 それが一切の防御も構えもなく、むしろ圧倒的な力を持っている。


 そしてもう一人、RICO――莉子。

 彼女もまた “ルールの外側” にいる。

 GAIALINQでも、社会的肩書でもなく、直也と呼吸を合わせる稀有な存在。

 アーティストの勘、感情のセンサー。

 ロジックでは動かせないが、直也の “心” の動きには即座に反応する。


(……この二人を相手にするのは、思っていた以上に厄介ね)


 天守に上がる。

 急な階段を登り、最上階から見える木曽川の流れ。

 穏やかで、どこか懐かしい風景だった。

 風が髪を揺らす中、保奈美が嬉しそうに声を上げた。


「すごい! 

 お城から見える川って、こんなに綺麗なんだ!」

 直也がその隣で穏やかに笑う。

 彼の横顔を見た瞬間、胸の奥にかすかな痛みが走った。

 GAIALINQでは絶対に見せない表情。

 “任務” や “目的” ではなく、ただの人間としての穏やかな微笑み。


 私は、少しだけ視線を逸らした。

 仕事ではない時間。

 その概念が、いまだに自分の中でうまく処理できない。


 城を降りると、城下町の通りは観光客でにぎわっていた。

 古い町屋を改装したカフェ、土産物屋、甘味処。

 人力車がすれ違い、春の光が石畳に反射する。


「わぁ……いい匂い!」

 保奈美が足を止め、目を輝かせた。

 視線の先には、揚げたての串カツ。

 湯気の向こう、味噌だれが艶めいている。


「少し食べてみたいな……」

 そう言うやいなや、彼女は一本買って、直也の方に振り向いた。

「直也さんも食べます? 

 あーん」


 その瞬間、私は思わず口を開いた。

「COOにあまり油っぽいものは……」


 だが、言い終わる前に保奈美が小さく肩をすくめた。

「え? 

 美味しいのに……」

 その声はほんの少し、しょんぼりして聞こえた。


 直也が小さく笑って言った。

「いいよいいよ。

 大丈夫だから」


 次の瞬間、彼はその串カツを軽く噛んだ。

「うん、悪くない」

 保奈美が満足そうに笑う。

 その光景が、なぜか胸に刺さった。


「食べすぎると、明治村行ってからお昼入らなくなるわよー」

 亜紀が笑いながら言う。

 玲奈と麻里も頷き、空気が一気に和んだ。


 そして――。

 莉子がすっと屋台の隣に回り、木の芽でんがくを一本手に取った。

「じゃあ、私はこっちで」

 そう言って、まるで挑発するように直也の方へ歩いていく。

「はい、直也くん、あーん♡」


 その場の空気が一瞬だけ止まる。

 直也が苦笑して受け取り、ひと口かじる。


「……うまいな」

「でしょ? こういうの、旅の味って感じだよね」

 莉子が満足げに微笑んだ。

 その横で保奈美が少し口を尖らせている。

 そしてそれを亜紀と玲奈と麻里が笑ってみているのだ。


 私はもう、何も言えなかった。

 ルールも、秩序も、ここには存在しない。

 ただ、彼の周りにある “関係” がそのまま秩序を作っている。


(……これが、一ノ瀬直也の世界)


 合理では測れない。

 でも、確かに人を動かす重力がある。

 GAIALINQの枠外で、彼が見せる “温度” に、私はどうしても抗えなかった。


 春の風が通りを抜ける。

 遠くで太鼓の音が鳴った。

 観光客の笑い声の中、私はただ黙って歩いた。


 ――この世界を、理解できるようになる日は来るのだろうか。


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