第7話:ロジックの支配(宮本玲奈)
新幹線のグリーン車は、妙に静かだった。
車内の空調音とレールの揺れだけが、規則的に響いている。
座席は六つ。
通路側に私と麻里、窓側に亜紀さん。
前列には直也と侑里香、窓際に莉子。
全員が何かを考えている。
けれど誰も、話さない。
侑里香は全員の座席表と、名古屋到着後の動線を印刷して配っていた。
配布された紙には、到着時刻・出口・エスカレーターの優先レーン・タクシー乗り場・現地での誘導順が秒単位で書かれている。
完璧すぎて、もう笑うしかない。
その紙を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
――効率は美しい。
でも、私の呼吸を奪っている。
前方では、侑里香が直也に低い声で何かを伝えている。
資料の差し替え。
会場の警備動線。
栗田会長との撮影角度の確認。
前日にGAIALINQプロジェクトにジョインしたばかりなのに、もうすべてを把握している。
直也は、それを静かに聞いているだけだ。
肯定も否定もせず、ただ聞く。
…… “様子を見ている” の?。
私はそう感じた。
彼の瞳は、冷静な観察者のそれだった。
グリーン車の照明が少し落ち、車内放送が流れる。
「まもなく名古屋です」
全員の背筋が同時に伸びた。
だが、誰も言葉を発しないまま、列車はホームへ滑り込んだ。
名古屋駅の東口。
外の空気はすでに初夏の匂いがした。
スーツ越しの熱を感じながら、私たちはタクシーに分乗した。
到着したのは、栗田自動車名古屋本社ビル。
近代的なガラスの壁面に「クリタ自動車」のロゴ。
報道陣のカメラが並んでいる。
会長室の前で、侑里香が私たちに振り向く。
「皆さん、報道列は私が誘導します。
直也さんは中央右、会長の左側へ。」
まるで無線指揮官のような口調だった。
その瞬間、報道のフラッシュが走り、
侑里香が一歩前に出て、自然な動作で報道の列を遮った。
直也を守る、というより―― “配置する” 。
栗田会長が笑顔で手を差し出した。
直也が応じる。
カメラのシャッター音。
侑里香はその後ろで、静かに腕時計を確認していた。
秒単位で、式典を進めている。
私はふと、背筋に冷たいものを感じた。
――制御が始まっている。
午後。
Archetype Robotics社のAIロボティクス製造に関する打ち合わせ会議。
壁一面のスクリーンには、AIロボティクスの量産試作機が映し出されていた。
侑里香が議事進行補佐として座っている。
彼女はタイマーを手元に置き、
「次は提供価格帯について、三分以内でお願いします」と淡々と言った。
会議の空気は、異常なほど静かだった。
誰も雑談をしない。
資料をめくる音だけが響く。
――合理的。
けれど、これでいいの?
麻里さんがタブレットを閉じ、小さくため息をついた。
「彼女、議事録よりも早く進行してるわね」
私は黙って頷いた。
直也は、終始落ち着いていた。
冷静に聞き、淡々と質問し、結論を出す。
まるで、侑里香の「完璧な枠組み」の中に自分を一時的に置いているかのようだった。
――直也は観察している。
やはり、様子見しているんだ。
夕方。
次は栗田自動車広報部との打ち合わせ。
議題は、栗田自動車のブランドアイコンとしてRICOを採用する件。
本来は私が調整役を務める予定だった。
だが、侑里香が資料を整え、会議開始の直前にこう言った。
「この部分、私の方で進めておきました。
少しでも効率的に進めさせて頂くためです」
その言い方があまりに自然で、
誰も反論できなかった。
私は、手の中のペンを握りしめる。
――支配が、始まった。
会議の途中、モニターに映るRICOが満面の笑みを見せた。
栗田モータースの広報担当が拍手し、莉子が嬉しそうに笑っている。
「RICOが “世界のクリタ” の顔になるんだね!」
そう言う彼女の瞳がきらめいていた。
その笑顔を見て、胸が少し痛んだ。
彼女の純粋な喜びと、この場の異様な秩序。
それが同じ場所に存在していることが――耐えがたかった。
隣を見ると、亜紀さんが無言で会議資料を閉じた。
その指先が震えていた。
麻里さんは、ただ静かに時計を見つめている。
……私たちは、もう “参加者” ですらない。
まるで、完璧に調整された舞台の「背景」に立たされている気分だった。
会議の最後、侑里香が静かに告げた。
「これからは、直也COOの時間は全て私が管理し、
全ての会合に同席させて頂きます。
――全て、一ノ瀬COOを守るためです。」
その瞬間、空気が凍った。
誰も、何も言えなかった。
私は唇を噛んだ。
守る、という言葉が、
まるで「閉じ込める」と同じ音に聞こえたから。
そして直也は――やはり何も言わなかった。
ただ、静かに侑里香を見ていた。
その目に宿る光が、
観察か、それとも試練か、
私にはまだ、分からなかった。
――理想の中で、人が呼吸を失っていく。
それを目の前で見せつけられながら、
私はただ、指先の震えを止められなかった。




