第33話 ヴェルデとダンジョン
お気に入りの日の出を見せるため、リアンたちを乗せて空を飛んだ。
誰かを背に乗せて飛ぶのは初めてだったが、存外悪くはなかった。
美しい日の出を皆で共有し、そのあとは近くに湧いている温泉に浸かった。
実のところ温泉に浸かるのは初めてで合ったのだが、こちらも悪くなかった。
身体だけでなく、心までもふやけてしまいそうになった。
――だからだろうか。
異変にはすぐに気が付いた。
周囲の気温が急に上昇し、肌がひりつくような殺気を感じた。
イフリート。火の上位精霊。
これまで迷い込んできた悪魔族やミノタウロスよりも遥かに上位の存在だ。
子供達は熱気に当てられてしまったようだが、リアンがうまく介抱してくれている。
イフリートはまるで品定めをするかのように上空から我らを見下している。
だが、その殺気の矛先は明らかに我を向いている。
それで、これまで疑念として胸に抱いていたことが確証に変わった。
――受け入れすぎたか。
来訪者が増えたのは、双子やリアンをダンジョンに住まわせるようになってからだ。
始めは偶然だろうと思った。だが、明らかに頻度がおかしい。
これまでも強力な個体が戦いを挑みにやってくることはあった。だが、数百年に一度という程度だ。
果たして、ダンジョンとは数奇な場所である。
我はきっと、ダンジョンボスとしての威信を試されているのだろう。
――他でもない、ダンジョンによって。
このダンジョンの主として君臨するに相応しい存在であるのか。ダンジョンが差し向けた刺客に敗北すれば、恐らく我を下したものが新たにダンジョンの主に据えられる。
たかだか人間の男一人と相打ちとなった我をこのダンジョンのボスに相応しくないと、そう評するのか?
ボスとして外敵を排除せず、人間や無力な子供たちを受け入れたことが気に食わないのか。
いずれにせよ、我は今、ダンジョンに試されているのだ。
「ふ、それならば思い知らしめるだけよ。少々派手にいこうではないか」
この地における絶対的王者は誰であるのか、ダンジョン自身に分からせる必要がある。
ダンジョンが、我にボスの資格を問うのであれば、知らしめてやればいい。
とはいえ、我が本気で戦えば、辺り一帯は焼け野原になる。あるいは、山が一つ二つ消し飛ぶであろう。
イフリートは様子を窺っているのか、臨戦体制ではあるもののすぐには襲いかかってこないだろう。
我はしばし逡巡し、子供たちを守るリアンの方へ首を回した。
「リアンよ。この一帯に結界を張ることはできるか?」
「この一帯って……どの辺りまでだ?」
リアンは一瞬たじろいだが、力強い目で我を見返してきた。
反射的に「無理だ」と拒絶することなく、範囲を問うか。
奴に気付かれぬように密かに笑みを漏らし、挑発するように少し顎を上げて発言する。
「そうだな。この山……いや山脈全てだ。お主ならばできるであろう?」
「はあっ⁉︎ この山脈全てって……目に見える範囲全部ってことかよ」
リアンは少し声を上擦らせたが、片手を額に当てて「ははっ」と笑った。
「余裕だよ。この山の標高が一番高いから、ここを中心に楕円状に結界を張る。戦うなら上空で頼む」
「ふ、無論。そのつもりだ」
リアンは我がイフリートと戦うつもりであると汲んだようで、激励するように拳を突き出してきた。我は頷きを返し、リアンが結界を張れるように勢いよく上空へと舞い上がった。
眼下では、早速リアンが結界を展開している。
リアンを中心に、瞬く間に光を屈折させる楕円状の結界が視界いっぱいに広がっていく。
まったく、無駄がなく美しい結界だ。
普通の魔術師であれば、最低限自分だけ、あるいはパーティのメンバーを守ることができる範囲に結界を張れれば上等であろう。
視界で捉える範囲全てに結界を張るなど、この我にすら難しいことを易々と成し遂げるとは末恐ろしい男だ。敵に回したくないと思った相手はリアンが初めてだ。
さて、舞台は整った。これで思い切り力を振るっても、我の大切なダンジョンはリアンが守ってくれる。
イフリートと同じ高さに到達し、奴の前に滞空する。
「お主はダンジョンに唆されてここに来たのであろう? 残念だが、我はもう少しこの地で穏やかに過ごしたいのだ。そのためにも我の力を示す必要がある。本気でかかってくるがよい。相手をしてやろう」
誘うように火球を放てば、イフリートは真っ直ぐに火球目掛けて突っ込んできた。
さすがは火の精霊。火球をものともせずに、そのまま我に向かってくる。
イフリートは両手にそれぞれ炎を起こし、パンッと手を合わせた。
その両手から螺旋状に渦巻いた炎が勢いよく襲いかかってくる。
「ふん、こざかしい」
我は腕の一振りで炎の渦を一蹴すると、力一杯尾を振り抜き、巨大なかまいたちを生み出した。
イフリートは灼熱の炎で大気を熱して上昇気流を生み出し、我のかまいたちをうまくいなした。ふむ、面白いではないか!
もう少し遊んでやりたいのは山々であるが、広大な範囲の結界を張っているリアンのためにも、ダンジョンに圧倒的な力の差を見せつけるためにも、早急に片を付けねばなるまい。
我は口を大きく開き、喉奥に魔力を集中させる。
バチバチと、喉の奥で雷が弾けて喉を刺激する。
小細工は不要だ。圧倒的な力で制圧する。
スウッと鼻から大きく息を吸い、全力のブレスを吐き出した。
激しい雷を纏った青い炎が、真っ直ぐにイフリートに向かっていく。
イフリートは迎撃するのではなく、回避に命をかけたらしい。
ものすごい速さで上下左右と飛び回って我のブレスを回避しようとしている。だが、我のブレスに狙われたものは骨の髄まで焼き尽くされる運命なのだ。
イフリートの後をピッタリ追尾する稲妻を纏った炎。
苦し紛れに火球や炎の渦を打ち込んでいるが、その炎さえも吸収してさらに威力を増したブレスがイフリートに襲いかかる。
爆発と稲光が弾け、常人であれば吹き飛ばされるほどの衝撃波が広がる。
悲鳴すら上げる暇も与えず、イフリートは雷と炎に焼かれて消滅した。
我は鼻からスウッと息を深く吸うと、力の限り咆哮を上げた。
勝利の咆哮ではない。これは、ダンジョンに対する牽制だ。
我は絶対的王者であり、このダンジョンの主である。それは揺るぎもない事実。
我を試すような小賢しいことをするなと、これでダンジョンにも伝わっただろうよ。
ともあれ、久しぶりに思い切り魔力を練って吐き出したのだ。幾分かスッキリとした。
今回は全力を出すまでもなかったが、最後に全力で戦ったのは、リアンが初めてこの地に降り立った時だったな。
「ふん、そこらの魔物よりもあやつの方がずっと骨があるし油断ならぬのだよ」
我を討つものがいるとすれば、それはきっと――
だが、友であり家族であるリアンが我を害することはない。
現に、悠然と翼を動かしながら地面に降り立てば、リアンは興奮を隠しきれない様子で我に駆け寄ってきた。
「すっげえな! 最後のブレス! 俺との戦いでも見せなかったじゃないか!」
「ふん、あれぐらいお主ならば容易く止めてしまうであろう」
「いやあ、どうだろうな? 少なくとも結界一枚じゃ防げる気がしないぞ。多重結界ならいけるか? 何枚張ればいい? 属性耐性も組み込んで……さっきのブレスは火と雷か? だったら……」
途端にブツブツと先ほどのブレスの攻略法を考え始めてしまった。こういうところが末恐ろしいのだ。
あくなき探究心。向上心。いや、一番はそれが当然であると考えている奔放さであろうか。
周囲を見渡せば、戦いの前と何ら変わらぬ光景が広がっている。
それも、リアンが結界でこの地を守ってくれたからこそである。
「それより、子どもたちの様子はどうだ」
「あ、そうだな。大丈夫だよ。身体に篭っていた熱は放出したし、三人とも水を飲ませた。今は寝ているが、時期に起きるだろう」
「そうか」
今回の来訪者は明らかに我が狙いであった。
これまでの者たちが全てそうかは分からないが、我のせいでこのまだあどけなく真っ白な子供達を傷つけてしまうところだった。自分が傷つき破れることよりも、彼らを失う方がずっと胸が痛む心地がする。
我はリアンの側で仰向けに並んでいる三人に鼻を寄せて様子を確認した。呼吸も安定しているし、体温も正常だ。
ようやくホッと息をつくことができた。
我は来るもの拒まず、去るもの追わずの生き方をしているが、これほど他者に心を許したのは初めてだ。
心に深く入り込みすぎてしまうと、いつか別れが来た時に辛くなってしまう。
だから、どこか一線を引いた付き合いをしなければいけなかったのかもしれない。
「もう、手遅れだがな」
彼らはもう、我の心の奥深くに入り込み、深く腰掛けてしまっている。
「ん? 何が手遅れなんだ?」
無論、この男もである。
「……いや、なんでもない。子供達が目覚めたら、小屋に帰ろう。帰りは彼らに補助魔法を使うことを許す。しっかり支えてやってくれ」
きっとかなり消耗しているはずだ。長時間の飛行は避けたいが、それよりも早くいつもの慣れ親しんだ場所に連れて帰ってやりたい気持ちが大きい。
「! お、おう! 任せとけ!」
「過剰な魔法は控えるのだぞ」
「う、分かってるって」
こやつはあまり調子に乗せるとやりすぎるので、しっかりと釘は刺しておく。
親に捨てられ、生きる意味も目的も分からず彷徨っていたアルクとシエル。
愛するパーティに尽くしすぎてパーティを追われてしまったリアン。
仲間に変わり者だと爪弾きにされ、人の世界を流れるように生きてきたシャム。
そして、長い悠久の時をこのダンジョンで独り生きてきた我。
誰もが心にポカリと欠けた部分を有していた。そんな者たちが集まり、こうして家族とも言える関係を築いている。お互い共にいることが当たり前だと思い、相手を大切に想っている。
もうどれほどの時を生きてきたのか分からないが、間違いなく今が最も充実し、「生きている」と感じられる。
どのような形であれ、いつか別れの日はやってくる。
だが、少しでも長く、平和な日々が続けばいい。
今はそう密かに願うばかりである。




