第3章(2)
冷たい印象の室内だった。
灯りはなく、幾何学模様の彫られた大きな窓から、日光が差し込んでいる。
規則的に並ぶ長机の先に、段差があった。
壇上には豪勢なオルガンと、ひとつの石の棺が置いてある。
老人は段の下で佇んでいた。
何人かが頭を下げて、段の下に並んでいる。
明らかに、棺に誘導されていた。
俺は段差を上り、棺を覗き込む。
遺体が安置されていた。
男の遺体だ。
少し干からびているが、不自然なほど明るい顔色で、安らかな表情を浮かべている。
辺りは白い花で埋め尽くされていて、独特な匂いを感じた。
花の匂いと、遺体の臭いだ。
死後、かなりの時間が経っているように思う。
誰の遺体だ?
誰かに似ている気もするが、よくわからない。
こんなものを見せて、何がしたいんだろう……。
俺は説明を求め、老人を見た。
「その者が、あなたに信仰心を示したと聞きました」
信仰心? なんのことだ。
俺が無言でいると、老人は続ける。
「迫る死を恐れることなく、この国を――フォレスティアを救っていただくよう、あなたに進言したと聞きました」
「――!」
俺は再び遺体を見た。
そうか、これはあの人間か。
言われてみたら、特徴が似ている気がする。
あのときの表情とはまるで違ったから、わからなかった。
結局、助からなかったのか。
申し訳なさで胸が痛み、目を伏せる。
俺の反応を見て、人間たちはざわついた。
やはり正しかった、などと言っているのが聞こえる。
「この者は、天界に昇ることができるのでしょうか」
「神のもとで復活するのでしょうか」
「教えてください、天使さま……」
なにを言っているのかわからない。
問い質すわけにもいかず、俺は考える。
この人間は、あのあと救助されたのか。
わずかでも意思を伝えられたのか?
あのとき近くに人はいなかった。
俺とこの人間の会話を聞けたものはいない。
この人間が俺を天使と伝えて、周りに誤解を撒いたのか。
「…………」
俺は腕を組む。息をのむ音が聞こえたが、あえて無視をした。
……少なくとも、敵認定はされていない。
それはよいのだが。
誤った情報が伝わっている。
大袈裟なまでに曲解されている。
訂正しなくていいのだろうか。
底知れぬ不安が、俺の頭によぎる。
「あの、天使さま」
「神はどのようにお考えなのでしょう。あの津波の意味は……」
可哀想に。人間たちはすっかり怯えている。
お前たちが心配することはなにもないのに。
なにか言ってあげられたらいいのだが。
俺は困窮してナビを見ると、彼女は閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
「あれは、――邪なるものにより、引き起こされました」
「?!」
思わず仰け反る俺。
幸いなことに、誰も俺を見ていない。
ナビは宙に浮いたまま前へ進み、皆の視線を一心に集める。
「我々神の民は、邪なるものと戦う同志を求めています。彼のように――正しい意思を持つものを」
機械的な声。人間たちの感嘆の声が響く。
ナビはゆっくりと棺に着地して、中にいる遺体を斜に見下す。
「これより、我々は――聖人と対話します。しばし、席を外しなさい」
「は、はい!」
素直なやつらだった。ナビの言葉をひとつも疑うことなく、ぞろぞろと退散する人間たち。
その姿を呆然と見送った俺は、誰もいなくなったのを確認後、ナビに向き直った。
「おい、ナビ。どうしてあんなことを言ったんだ」
ナビはふよふよと浮きながら、遺体の周りを飛んでいる。
聞こえていないのか。
俺は少し声量を上げてもう一度言った。
「おい。あれはニースの指示で言ったのか?」
「はい、ハーベストさま。まだ喋らないでください」
「!」
反射的に口をつぐむ。
どうして? 人間は出ていっただろ。
俺が目で訴えるのを無視して、ナビは無言で辺りを漂う。
しんと静まる聖堂内。
耳を澄ませていると、わずかな音が聞こえた気がする。
突然、ナビはパッと一方に目を向けた。
パイプオルガンの筒が天井に伸びている方を見て、鋭い声を出す。
「そこにいるのは、誰ですか」
俺もそちらを見上げる。
暗がりで、何かが身動ぐ。
「隠れても無駄ですよ」
ナビは赤い瞳を光らせながら言った。
いつからあそこにいたんだろう。
パイプオルガンは高い天井近くまで伸びている。
その隙間に隠れるようにして、ひとりの人間がこちらを見下ろしていた。
「バレちまったか」
あははと軽やかに笑う。
あんなところに、人間が上れるのか?
そう思えるくらいにあり得ない場所にいる。
「出ていきなさい、あなたも」
ナビは相変わらず機械的に言い放った。
「えー……」
逆光でよく見えないが、声質は男だ。
「出ていきなさい、今すぐ」
ナビが重ねて言うと、男はとぼけた声で言う。
「今出たら、捕まっちゃうんだよね」
「…………」
「わかる? 俺は、こっそり忍び込んだの」
いま出ていくのは無理だ。彼は強い口調で断定する。
「捕まったら袋叩きに遭う。あんたらのせいで、みんな気が立っているからさ」
「…………」
ナビは押し黙る。
確かにそうだと思ったのか。
対応に悩んでいるようだ。
妙な起動音が頭から出ている。
俺は小声で尋ねてみる。
「どうしたんだ、ナビ。何がしたいんだ」
「ハーベストさま。我々は即刻、人払いをしなくてはなりません」
人払い?
人間に見られたらまずいことでもするのか。
気味が悪い話ではあるが、俺はナビの指示通りにするよう言われている。
「優しくお願いしてみたらどうだ」
「人間に弱い姿勢で臨むのは、禁止されています」
ああ、なるほど。
そういう前提なら、対応が難しいかもしれない。
権威に屈しない人間もいる。珍しいタイプだが、目の前のあいつは明らかにそうだ。
そういう人間は、いくら脅してもたぶん効果はない。
腕を組み考える。
「それは、俺も禁止されているのか?」
「基本的には。しかしハーベストさまには、非常時の裁量権が認められています」
「もしかして、今は非常時か?」
「…………」
ナビは悩むように、右に左に宙を漂う。
「はい、そうです。困っています」
彼女は上目遣いに俺を見た。
非常時なら、発言してもいい?
そう捉えた俺は、男を見上げて声を上げた。
「どうして忍び込んだんだ? 俺たちに用事があるのか?」
こちらの要求ばかり伝えてもどうしようもないだろう。
まずは穏便に、相手の出方をうかがう。
その対応は当たりだったらしい。彼は、すぐに嬉しそうな声をあげた。
「そうそう。あんた、偉そうなやつだから。うまくやれば、俺の頼みを聞いてもらえるかなと思って」
「頼み?」
なんだろう。
“偉そうなやつ”というのは引っ掛かったが、否定はできないのでそのままにする。
「聞こう。言ってみたまえ」
場違いながら、俺は期待した。
どんな突飛な依頼が飛んでくるやら……。
しかし、彼はふと声音を低くして言う。
「そこのさ、死んでるやつ。聖人とか言われてるんだけど……」
――そいつ、俺の友達なんだよ。
「えっ……」
思わず、間抜けな声が出た。
「困ってんの。そいつの家族が。勝手に死体を使われて」
意外な話だった。
この遺体は、この街のとある商家の一人息子だという。
父親の船に乗り、他国へ貿易に向かっていたところ、津波の被害に遭った。
「こいつの母ちゃんが、泣いてるんだよ。気持ち悪い化粧されて、可哀想だって」
その言を受け、改めて遺体を見た。
……確かに、気持ちが悪い。
穏やかに見えた顔は、ところどころに違和感がある。
なにかを含まされているように膨らんだ頬。無理やり縫い留められた口やまぶた。
紅を差されて無理やり血色があるように見せている。
「あんたの一言で、解放してやれねぇかな。こいつを家族に返してやれって、言ってくれないかな」
「…………」
俺はナビを見る。
すっかり固まっていた。
あまりにも想定外の内容らしい。
俺は再び腕を組んだ。
その考えは、理解できなくはない。
“友達”に対して示したい誠意として、筋は通っている気がする。
「場合によっては、できるかもしれない。だから、まずは下りてきてくれないか」
「わかった」
あっさりと言うことを聞いた人間は、するするとパイプを伝って床に降り立つ。
光のそそぐ先に出てきた彼は、ようやくその容貌を視認することができた。
毛先が不揃いな深い緑色の髪を、雑にひとつに縛っている。骨ばった粗野な顔つきと、筋肉質な体は、力仕事を生業としていそうな印象だ。
年齢は若そうだ。醸し出される雰囲気は軽く、あまり人生経験の厚みは感じない。
「君、名前はなんと言うんだ」
あまりに興味が湧いたから、ついいつもの癖が出てしまう。
「キトライド。キトって呼んでいいぜ」
ニヤリと笑う顔。
いたずらをしそうな子供のものと、あまり変わらない。
「俺はハーベスト」
自然な流れで名乗ると、ナビが卒倒しそうなくらい青い顔をして続けた。
「ハーベストさま、です。神の御使いですよ、人間。ひれ伏しなさい!」
「神の使い? 本当に?」
キトはじろじろと俺を見る。
「一応信じてやるけど。この街のやつら、そういうの騙されやすいから。あんまり意地悪なことしないでくれよ」
そのように牽制され、俺はついホッとしてしまう。
騙されない人間もいる。
経験上わかる。こういう人間こそ、大事にしなくてはならない。
キトは多少警戒を向けながらも、友人の話を続けた。
「こいつな、確かにいいやつだったんだ。自分より街を助けてとか、言いそうなやつだった」
作られた顔を見ながら、ポツポツと語る。
仲が良かったこと。何度も助けられたこと。ついうっかり自分を守るのを忘れるお人好しだったこと。
だが彼は最後に「でも、」と強く否定する。
「そういう面は誰でもあるだろ。俺だって、その現場にいたら同じように言ったかも」
まともでいられる状況じゃなかったんだろ?
キトは懸命に、友人の聖人性を否定した。
「最後は立派だったかもしれない。でも最後にそうだったからといって、こいつを人間じゃなくすのはどうなんだ」
そのときどうだったかは知らない。
でも、落ち着いたらわかるだろう。
街のやつらに崇められるより、家族のもとで安らぎたいに決まっている。
少なくとも、こいつはそういうやつだった。
「俺と、こいつの家族がそう言ってんの。どうしてそれがわかんないかな」
聞けば聞くほど、筋が通っている。
キトは別に、彼の立派さを否定しているわけではない。
そこだけ切り取って、都合よく評価するなと言っている。
勝手に偶像化される気まずさは、俺にもよくわかる。
何かしてやりたいと思った。
溺れながら、苦しみながら、必死に手を伸ばす人間。
本当の望みはなんだったのか、しばらく考えていた俺だから――キトの話は心に染みた。
「どうだろう、ナビ。なんとかならないものか」
俺は小声で尋ねた。
俺の権限で、どこまでしてやれそうか。
それを探りたいと思ったのだが。
ナビは妙な起動音をたてながら、遺体の周りを漂っている。
「どうしたんだ」
「…………」
強ばった顔でぐるぐるとまわるばかりで、反応がない。
急に不安が込み上げる。
「ナビ。任務に支障が出ているのか? なにかまずいことがあるなら、説明してくれないか」
すると彼女は、泣きそうな顔でこちらに目を向ける。
「人払いをしなければ、次の指示に進めません」
「次の指示?」
「このままではタイムオーバーになり、裁量権が拡大されます」
「タイムオーバー?」
ナビはうなだれ、背を向ける。
入り口のほうへ、ゆっくり移動する。
なにか術を使ったのか、まるで生き物のように、入り口がバタンと開く。
そこには未だ人間たちが、群衆を作っていた。
どよめきと共に、一斉に視線が向けられる。
さっきより増えてないか?
フライトの周りだけ隙間が空いていたが、あとはみっちりと人に覆われている。
人間たちに構わず、ナビは空を見た。
釣られて俺も見る。
彩度の高い、生きている空だ。
そこに妙な動きをする雲がある。
もしかして、ゼノか?
あいつ、他になにか仕事があるとか言っていたよな。
ナビは言っていた。今回の任務は、人間に危害を与えるようなものではないと。
『ナビが命じられているのは、そのような内容ではありません』
正しくは、そう言っていた。
……よく考えたら彼女は、ゼノの任務についてはなにも言及していない。
空から、なにかが落とされる。
街からは逸れているが、まだ街の敷地内。家が建つ山のほうに、加速しながら落ちていく。
「ああ、もう駄目です。始まってしまいました……」
頭を抱えて、悲鳴のような声を上げるナビ。
なんだよ。なにが起こるんだ。
山の木々に飲み込まれたそれは、一見なにも起こさない。
ただ、無数の鳥が一斉に山から飛び立っている。
それは、そこはかとない災害の前兆のようだった。
痛いほどの静けさの中、ドクン、と空気が揺れた。
それは以前と同じ――心臓の鼓動のような、揺らぎだった。




